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他人に自慢するのが大好きというのが、青年の性質だった。
父親は名の知れた大富豪であった為、彼が望んだものはなんでもすぐに手に入れられた。
最新の家電製品や世にも珍しい姿形をしたペット、挙げ句の果てには高級車など、例をあげてもキリがないほどだった。
そしてこれらのことを、すぐに一般家庭に生まれた他人の子に話し、自慢し、いい気になる。
しかしそんな彼に最近ある悩みが出来た。
自慢する種が尽きてきたのだ。
いわゆるマンネリ化である。
どんなに美しい絵画やオブジェ、高価な車や奇怪なペットを見せても誰も驚かない。
彼にとっての日々の楽しみがなくなってしまったのだ。
大好きだったテレビやラジオも聞かず、ただ横になるだけの日々を続けていた。
彼は心底落ち込んでいたのだ。
それこそ眠れない夜をここ1ヶ月の間過ごしていた。
そんなある日の夜のこと。
いつものように彼はベッドに横になりながら、
「みんなをあっと驚かせられるような自慢のネタがないものか」と思案に暮れていた。
その時だ。
部屋の隅から彼に向かって大きな声が聞こえてきたのは。
「おい、そこの若者。起きなさい」
彼はその声で、ハッとして「誰だ! 泥棒か?」
と警戒しながら声のする方へと声をかけた。
するとその声の主は部屋の隅からゆっくりと、中央のベッドへと無言で歩み寄る。
白い髭を生やした優しい表情の老人。
白いゆるやかな服を着て、裸足で、大きな杖を手に持っていた。
相手が老人だとわかって、少し警戒を解いたが、それでも身構えながら彼はもう一度尋ねた。
「もう一度聞く。 アンタはいったい誰だい?」
すると相手の老人は優しい目つきで答えた。
「ワシはこの世界の神さ」
「なに、神だって?いったいなんの悪ふざけです?それとも何か変な薬でもやってるんですか?」
「薬なんてやっとらんよ。 ワシは本物の神さ」
「馬鹿馬鹿しい。何かの冗談でしょう?」
と、彼がいうと相手は答えた。
「よく考えてみなさい。
ワシは鍵のかかったこの屋敷の壁をすり抜け、音もなく現れた。
これは神にしか出来ぬ所業だと思わないか?」
青年は見つめた。
無欲で害のなさそうな相手の表情。
そして鍵のかかった部屋のドア。
確かに普通の人間なら考えられない事であった。
「……たしかに貴方はただの人じゃないみたいだ。
貴方が本当に神様のように思えてきましたよ。
しかし一体僕に何の用です?」
「天界の上からこの世界を眺めるのがワシの趣味なのだが、この家からどこか寂しげなものを感じた。
そこでここへやってきたのだよ。
何か望みのものを一つ言ってみなさい。
かなえてあげよう」
「なんだって。
ほ、本当に何でもいいんですか」
「ああ、なんでもだ。
私は一度口にした事を取り消したりはしない。
本当なら天界の神が下界の人間達に対して干渉してはいけない決まりなのだがね。
まあ、退屈しのぎというやつだよ」
「退屈しのぎでもなんでも構いませんよ。
願いをなんでも一つ叶えてくれるなんて。
ああ、なんと素晴らしい事だろう……」
「さあ、なにが望みだ?」
そう言って神は促した。
彼の頭の中に様々なものが浮かび上がっては、そして消えた。
美しいスポーツ・カー。
いや、もっと素晴らしい豪邸、家具でもいいな。
またはキラキラと光り輝く宝石やペットもありだ。
あるいは……。
「さあ、望みを言ってくれ」
神はまた言った。
だが青年はいざとなるとなかなか決められない。
誰もこれも、自分の有り余る財を使えば手に入るものばかりだ。
もし手に入れて他人に自慢したとしても、誰も驚いてはくれないだろう。
迷っているうち、彼はふと、ベッドの隅に広げてあった1ヶ月前に購入した雑誌の1ページに視線を向けた。
旬の女優を特集する、この雑誌で一番人気のインタビューコーナである。
そのページに記載された写真を見つめていると、青年の頭の中に一つの考えが閃いた。
「そうだ! いいことを思いついたぞ。
僕は今まで他人に、手に入れた"モノ"しか自慢してこなかった。
だが、自慢出来るものは"モノ"以外にもあるじゃないか。よし、決まった…………」
青年はその雑誌を手に取ると、インタビューページに記載された写真を指差しながら神に向かって願った。
「この写真に写る、今や国民的女優、アール。
その美しいルックスや演技力でドラマや映画、
コーマルシャルにも引っ張りだこの大人気女優です。
そんな彼女を僕の恋人にしてほしい。
どうです? できますか?」
青年が選んだのはモノではなく、人脈であった。
国民的大人気女優と恋人になるなんて、いくらお金を積んでも叶うことのない、誰でも一度は想像をした事があるであろう大きな夢だ。
神は首を縦に大きく振った。
「勿論出来るとも。
ワシは神だ。叶えられない願いなど何もない」
青年はニヤリと笑った。
これで皆を驚かせる事が出来るというものだ。
しかもあのアールと交際できるなんて。
なんという幸運に自分は恵まれたのだろうか。
しかし、そんな青年のにやけ顔を見て、神は慌てて声をかけた。
「だ、だがその"アール"という女が恋人になって、本当にお前はいいのか?
もう一度よく考えた方がいいぞ。
彼女を連れて街を歩いたりしてみろ。
大パニックになってしまうんだぞ?」
確かに、と青年はもう一度考えた。
……アールと交際するとなると、これまでのように自由に街を歩く事は出来なくなるだろう。
週刊誌やテレビ局に付け狙われるかも知れない。
しかし、そんなネガティヴな考えもすぐに青年の意識の奥底へと消えていった。
……だが裏を返せば、みんなそれほど俺に注目し、チヤホヤすると言うわけだ。
あの大人気女優の心を射止めることが出来た男の事を皆気になり、そして羨むだろう。
考えただけでもなんと爽快な事だろうか。
「構いません。
さあ、早く叶えて下さいよ。
彼女にはやく会ってみたくて僕はウズウズしているんです」
「………………。」
神は何やら深く考え込み、しばらく叶えて良いものかと葛藤しているようだった。
……確かに彼女が一般男性と交際していると知ったら、下界の人間達は皆大パニックになるだろう。
神の立場としてそれは果たしてよいのかと悩んでいるのだろうな、と青年は思った。
だが青年は、この期に及んで叶えないことはないだろうと心配していなかった。
先程、神は"一度口にした事を取り消したりはしない"と言ったからだ。
その予想通り、しばらくして神は青年の方に向き直ると「…………分かった。 叶えよう」
と呟いた。
そしてその翌日。
彼は手に入れたばかりの彼女を連れて、街へと繰り出していた。
想像していた通り、こちらを見た人々は誰一人として例外なく驚いていた。
「フフフ、神様は僕に素晴らしい願いを叶えてくれたものだ。
願いを叶えた後、すぐに天界に帰ってしまった為、お礼を言うことができなかったが、もしもう一度会えたら最高のもてなしで礼をするとしよう」
青年は大パニックになっていく人々の姿を眺めながらそう笑う。
だがしばらくして、どこか人々の様子がおかしい事に彼は気づいた。
普通の人間が国民的女優アールを目にしたならば、驚き、そして喜びの視線を向けながら発狂し、パニックになるものだ。
だが彼らはそうではない。
その目に映るものは恐怖であった。
彼らは明らかにアールを見て恐れ慄いているのだ。
……そういえば先程から、アールを見た人々はみんなまるで"恐ろしいもの"を見たかのように叫び、そして蜘蛛の子を散らすかのように逃げていく。
一体何故だ??
昼間は人々でごった返している大通りを歩いていたはずなのに、気がつけばもう辺りには人っ子一人いなかった。
まるで世界にアールとただ二人だけ取り残されてしまったかのようにポツンと佇むしか青年にはできなかった。
「なあ、アール。
一体これはどう言うことなんだろうね?」
そう青年がそばに立っているアールに尋ねるも、彼女はただ、美しい髪をなびかせながら、にっこりとこちらに向かって微笑むだけであった。
一方その頃。
アールを一目見て逃げ出した人々は、遠く離れた場所まで離れると、信じられないと言った様子で騒いでいた。
ベンチに座って話し込んでいる、サラリーマンと老人、そして中年の女も、例外ではなかった。
「み、見たか?」
「え、ええ。やっぱり、アレは幻じゃなかったのですね?」
老人の問いにサラリーマンが答える。
「あ、あれは確かにあの有名女優だった、アールだった。間違いない!!」
「い、いやそんなはずないわよ!」
二人の会話を聞いていた中年の女が、事実を認めたくないと言う風にして、大きな金切り声を上げた。
「だって………………。
だって、あのアールは、2日前の深夜に交通事故で亡くなったのに!」
こうして神が心配した通り、下界は一瞬のうちにして大混乱に陥るのであった。
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