331人が本棚に入れています
本棚に追加
/167ページ
第79話 魔王様の大返し
空が赤く燃える。薄雲の隙間より差し込む陽射しが、次なる朝を告げた。都の住民はまだ浅い眠りに落ちているだろう。
郊外には既に配下が整然と並び、臨戦態勢となっていた。遠くの防壁の上には、守備兵の待ち受ける姿も見える。両軍ともに、火蓋が切って落とされる瞬間に備えていた。
「陛下。いつでも出撃が可能です」
「まずは私が出よう。そなたらは牽制に徹し、ユラグ隊を見つけたなら、そちらに襲いかかれ」
「承知しました!」
本来であれば、城攻めも配下に任せる予定だった。そこを敢えてエイデンが出張るのは、早急に戦を終えてしまいたいからだ。イスティリアの撃退はあくまでも前座である。その時間を短縮したいが為に、自らの力を振るう事に決めた。
娘と離れて丸1日が経過した。一刻も早く居城に帰りたいと願うばかりだ。
「では始めるぞ。蹂躙(じゅうりん)せよ」
エイデンの号令とともに、全軍は小隊単位に分かれて移動した。騎馬隊は槍を弓に持ち変えて、守備兵に向けて射込む。
城内から敵の騎馬隊が飛び出してくる。だが、南北西の各門を攻めては退くエイデン軍に翻弄され、狙いを定められないでいた。馬の自力も段違いだ。追えば容易に逃げ切られ、さらに追跡すれば、その穴を別の騎馬隊が脅かす。
そうして守備兵は一人、また一人と、弓矢によって戦線を離脱していくのだ。
「よし。そろそろ行くか」
エイデンは魔法兵を背後に残したまま飛翔した。そして魔法によって暗雲を生み出し、街中を夜闇に引き戻した。赤黒く染まる空が、生々しい出血を連想させるようで、一層不吉なものに見えた。
「魔王に楯突く愚か者どもめ。まだ私の力を知らぬと宣(のたま)う気か!」
エイデンは横一文字に大きく腕を払った。極めて鋭利な風刃が疾走し、門扉に直撃した……かに見えたのだが、それは見えない壁によって阻まれた。
「ほう。防護魔法仕込みか。さすがは王城という所か」
2度、3度と攻撃してみるも、結果は同じだった。これには守備兵も歓声をあげた。魔王恐るるに足らず、といった様子である。
「今のうち、ぬか喜びに浮かれておれ」
エイデンは手段を変えた。風刃のような広範囲の攻撃は改め、雷による一点突破を目論む。
「これならばどうだ!」
暗雲で蠢く幾筋もの稲光が集まり、西門の真上に落とされた。ガラスの割れるような音が聞こえた刹那、轟音が鳴り響き、地面を大きく揺るがした。
もはや魔王軍を阻む守りは無い。焼け焦げた石の破片を乗り越えて、グレイブ軍が中へ突入し、大声で勝ちを喧伝しながら駆け抜けていく。
その事態を受けてイスティリア軍は我先にと逃げ出した。騎兵歩兵、指揮官や末端の垣根もなく、完全なる敗走を晒したのだ。街の住民たちが絶望の淵へ突き落とされるには、十分過ぎる光景であった。
「なんと歯応えの無い! ニンゲンなど相手にならぬわ!」
暗雲垂れ込める空で、エイデンが高らかに嘲笑う。だがそこへ、示し合わせた通りに一団が駆けつけた。
「そこまでだ、魔王ォーーッ!」
東の原野を駆ける集団は騎馬隊だった。白馬揃えの部隊は、遠目からもよく目立つ事だろう。都に取り残された人々は、そちらを指差しては高らかに叫んだ。
「味方だ! 援軍か来たぞ!」
「おい、あの旗を見ろ。もしかして……」
「間違いない、ユラグ様だ!」
「皆喜べ、ユラグ様がお戻りになったぞーーッ!」
街中が歓喜の声で大いに揺さぶられる。人々は恐怖すら忘れ、2階3階の窓を開け放ち、喉が嗄れる程の声援を送った。先程まで息を潜めていたとは思えないくらいである。
守備隊の逃げ去った防壁の上も、いつしか観衆が集まりだし、やがて人垣で満ちた。大した人気だと、エイデンはどこか呆れたような面持ちになる。
「ユーレイナ、魔法兵に当たれ!」
「よかろう。後ろの兵を借りて行くぞ」
彼女は隊列から離れ、後列へと下がった。それからは向きを城外に変えた。目標はデューク隊である。
「テーボ、お前はこのまま直進。敵の騎馬隊を叩け!」
「親分はどうすんだい?」
「僕か? 言うまでも無いだろう!」
その言葉を最後に、ユラグは馬ごと高く跳ねた。すると彼の愛馬に翼が生え、光の粒子を撒き散らしながら空を舞った。これはユーレイナの発案である。視覚に訴える事で、より強烈な印象を群衆に与えようというのだ。事実、後世に語り継がれそうな程度には、見ごたえのあるものだった。
「魔王、お前の悪行もこれまでだ!」
「来るか小わっぱめが!」
両者が剣を引き抜き、暗雲の下で馳せ違う。激震に揺れる大気。重たく響く金属音。人々は固唾を飲んで見守りつつも、王の遺児に頼もしさを感じていた。
「よっし、オレたちゃ馬を潰しに行くぞ!」
「敵を一息を踏み潰す。私に続け!」
グレイブ隊は狭い街中から飛び出し、城外を駆けるテーボへと襲いかかった。中距離から弓を射る。だが、その全てはテーボの風魔法により、地面に叩きつけられた。
「しゃらくせぇぞ! チマチマ戦ってんじゃねぇ!」
テーボ隊が速度を上げた。相当に疾く、隊列も密集している。迫り来る100程の軍に、グレイブは圧倒されかけた。
「いかん。散開せよ!」
グレイブ隊は衝突を避けた。隊列が、握りこぶしを開けたようにして、一瞬の内に広がりを見せた。
その隙間をテーボ達に通過させた。すれ違い様に、1人2人と討たれ、馬から転げ落ちていく。そうして戦いを続けていくうちに、魔王軍の騎馬隊は徐々にだが、確実に数を減らしていった。テーボ側の被害はほとんど発生していない。
「まだまだこれからだ、気合い入れろ!」
テーボは腹の底から叫んだ。それは配下にではなく、聴衆を意識しての事だった。
目を東門から西門へと移したなら、こちらでも戦闘が始められている。ユーレイナとデュークによる魔法合戦だ。
「小僧よ。妾に討たれる覚悟はありや?」
「婦女子に力を振るうは騎士道にもとる。しかし、我が王の覇道を阻むのであれば、容赦はせん!」
「ほっほっほ。ハナタレごときが大口を叩きおって……」
ユーレイナは指先に金色の光を集めた。その背後でも数百に及ぶ光が、まるで星空のような輝きを見せた。
「者共、闇魔法で押し潰す。構え!」
こちらは総員、両手を天に向けて魔力を込め始めた。各々の頭上には漆黒の球体が生まれ、獲物を求めるかのようにして蠢いた。
「目にもの見せてやれ!」
「蹂躙せよ!」
光線と球体が両軍の狭間で激突した。押し合いは束の間。光線が闇を切り裂き、デューク隊に向かって走った。
「回避!」
デュークが伏せを命じた。だが反応は間に合わず、部隊の一角が削り取られた。腕を、肩を撃ち抜かれた兵達が、その場に膝を折ってしまった。
「むむっ。これは!?」
「ホッーホッホ。歯応えが無さすぎて、欠伸が出そうになるわ」
「横隊だ、2列横隊に陣変えだ!」
「無駄な足掻きを。1人残さず討ち滅ぼしてくれようぞ」
状況はユラグ軍が優勢だった。遠巻きに見守る住民も期待がにわかに膨らみ、歓声と声援惜しまず叫んだ。
この決戦において、最後の大仕事はエイデンにある。ユラグの手によって傷つけられ、北へと逃げ帰る約束となっているのだ。
──さてと。そろそろ頃合いか。
エイデンは最後に派手な衝突をし、離脱しようと間合いを計っていた。その意図はユラグにも伝わり、中空で睨み合う時が続いた。
無言のまま向き合う。あまりにも静かなひとときだ。しかし闘気は弾けんばかりに押し合い、暴発しかねない程になる。
エイデンが切っ先を天に向け、魔力を限界まで高めた、まさにその時だ。胸元から想定外の声が聞こえた。
最初のコメントを投稿しよう!