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「その龍、どうしたの?」  ある日、食べ終わったパンの包装紙を畳みながら僕は尋ねた。山城さんと龍はまだお弁当を食べている。どうやら彼女はきゅうりが苦手らしく、ちくわの真ん中に刺さったそれを几帳面に全て引き抜いて龍に食べさせていた。 「何や、箕輪君、やっぱり気になっていたんか」  彼女も誰かに話したかったらしく、それから色々なことを教えてくれた。  例えば、龍の長さは三十センチ定規二本より長いが、三本よりは短いこと。  時々鳴き声を上げるが、それはまるで水滴の落ちる音のような声であること。  寝ているときも浮いているから、重さを感じることはないこと。 食べ物は野菜が好きなこと。 「私、きゅうりはどうしてもあかんねん、青臭くて。だからこの子が野菜好きで助かるわ」  打算的やな、と彼女は自分で言って笑った。笑い声も下手くそな演技のようだ。 「箕輪君は嫌いな食べ物とかないの?」  僕は首を横に振ると、彼女はおお、と驚いて見せる。 「嫌いなものも食べられるように矯正されたから。うち、そういうことに厳しいんだ」 「偉いわ。真面目なんやな」  授業開始五分前の予鈴が鳴った。 「なんやもうお昼休み終わりかいな。この子のこと、まだまだ話すことあったのに」 「また今度聞くよ」 「ほんま?」  彼女の表情も声色も変わらない。しかし、何となく嬉しそうに僕には見えた。僕らはそれぞれ手を合わせ、ごちそうさまでしたと斉唱する。  龍も満腹になったのか、けふ、と小さくげっぷをした。  机上のアラームが鳴って僕は勉強を止める。  スケジュール通り、家に帰って三十分の身体運動をした後、一時間の勉強を今済ませた。次は三十分で夕食を食べる時間で、冷凍唐揚げを皿に取り出してレンジで温める。その後は再び勉強を一時間、そしてお風呂に入って寝るだけだ。一人食事を取りながら、夜のニュースを見る。  父も母も仕事で遅くまでいないが、寂しさを感じたことはない。この家には彼らが決めた決まりごとが、そこかしこに息づいているから。磨く歯の順番、見て良い番組、礼節や効率の為に定められた約束や規則の数々。僕は毎日それらを忠実に守る。  歳の離れた姉がおり、彼女も結婚して家を出るまで同じように規則を守っていたらしい。だから彼らは、子育てをこの方法しか知らないのだ。  ご飯を食べた後、薄手のパーカーを羽織って外出の準備をする。食後の勉強内容はスマートホンで英会話ラジオを聴くことだ。だから、この時間は外出することができる。平日の決まり事は大きく『家にまっすぐ帰ること』と『勉強や運動をスケジュール通りに実行すること』で、家に戻ってから外出してはいけないとは決められていない。  いってきます、と僕は誰もいない家に向かって言う。これも決まり事だから、しっかり守らないといけない。  鍵を閉めて、マスクをつける。理由は顔を見られたくないというのが一つ、そしてもう一つは血の匂いにいつまでも慣れないから。
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