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5.
僕は答えなかった、嘘をついてはいけないというのは決まり事だから。
黙っているうちに予鈴が鳴った。彼女はそんな僕の様子を、いつもの空洞の様な瞳で見守って、それから立ち上がった。
「次は移動教室やから、はよいかんとね」
彼女にどう思われようと、決められたことを繰り返す。家での勉強を終えた僕は外に出る。だから、今日も町の野良猫や鴉が少し減るのだろう。傘を差して、暗がりの道を歩きながら、考えを反芻する。イヤホンからマイケルと花子が繰り広げる英会話が聞こえる。
両親が憎いわけではなかった、むしろ守ってあげたかった。彼らは生きるのが不器用だから、約束と決まり事を彼ら自身の代わりに作った。だから、僕は約束を守る。それは彼らを守ることだから。姉のことも大切だ、一緒に住んでいなくても家族だ。だから彼女も守る。
では僕は。僕は誰が守ってくれるのだろう。
山城さんの質問に答えられなかった翌日も、彼女の様子は変わらなかった。まるで何もなかったように、僕らは昼休みになり決められた場所で食事をしていた。
「龍、触ってみる?」
突然、彼女は一つの提案をしてきた。
「でも、噛むんじゃないの、触ったら」
「大丈夫ちゃうかな。今日この子機嫌良さそうやし」
僕は龍を見る。そいつはいつもと同じような、どこか不遜な表情を浮かべているだけだ。機嫌が良いかなんてわからなかった。
「ほら」
そういって彼女は僕の手を取り、龍の側面に運んだ。指先が彼に、触れた。
「な、大丈夫やろ。どんな感じ?」
「鱗がざらざらしている」
「せやろ。時々首元当たるとちくちくすんねん」
「うん、でも温かい。あと、心臓かな、とくとく動いている」
「せやね。とく、とく、とく。こんなようわからん生き物でも生きているんやからねえ」
僕は頷けない。少し上を向いて、涙を堪えていた。どうして涙が出てくるのか、それをどうして堪えているのかも、わからなかった。
山城さんは僕の様子に気づいていないのか、気づいた上で知らん振りをしているのか、のんびりと、凪の様に語る。
「箕輪くんは優しい子なんやねえ。私より色々感じて、思うこともあって。そんなん全部全部飲み込んで、真面目に生きてるんやねえ」
違う、と叫びだしたかったが、まるで喉に何か詰め込まれたかのように一言も発せない。
「箕輪君って、この龍みたい。全然似てくて、だからそっくりなんよ」
夜に出かける頻度が増えている。
毎日顔を合わせているから、殺し損じた彼女が記憶を取り戻さないか、気が気でないのだろう。だから昔みたいに小動物を殺して回って。
厳しい規則を守りながら、どろどろしたものが少しずつ溜まっていって、それを発散する道具が必要だった。それがナイフであり、溢れ出る血液だっただけのことだ。
でもいずれ崩壊が訪れる。その時、どうなるのだろうか。
山城さんが死んだら、あの龍も消えて無くなるのだろうか。僕は想像する。
今度こそ山城さんが死体になってしまう光景を。それを見つめて、僕は何を思うのだろうか、安堵、悔恨、畏怖。わからない。
わからないまま、その日が来る。
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