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田村が考えている内に、男は他の友人の所へ行ってしまった。相変わらず男は、大きな笑い声を上げている。
「しかし、相変わらず面白い奴だな、お前は」
小嶋は満足げにそう言った。こいつは、あいつが誰だか分かっているらしい。それどころか、あの男の存在に疑問を持っている者は、この場には一人も居ないようだ。
田村は煙草を口に付けると、ため息をつくように煙を吐く。やはりどうにも納得が行かない。田村は思い切って、はっきり訊いてみることにした。
「おい小嶋、お前あの男の名前を言ってみろ」
「何言ってんだ。あいつはな……」
小嶋はそこまで言うと、急に固まってしまった。騒々しい酒の席で、二人だけが静かに目を見合わせていた。
「いやいや、ちょっと待てよ?おかしいな」
小嶋は少し慌てた様子でそう言うと、腕組みをして唸り始めた。だが、そこから先が続かない。
「待て待て、他の奴に訊いてみる」
小嶋は言うと、隣に座る松崎に話しかけた。だが松崎も同じく、答えに詰まってしまった。
「まあ、あんな奴も居たさ」
最終的に松崎は、そう結論づけた。だが田村と小嶋の間には、不穏な空気が漂い始めていた。男はそれでもお構いなしに、愉快にべらべらと喋っている。気づけば男は、この飲み会の仕切り役になっていた。
「んじゃまあ、この辺でお開きにしましょうか、ねえ」
男が手を叩きながらそう言う。この同窓会の幹事が佐藤さんであることは、本人でさえ忘れているかのように思われた。
全員の心にもやもやしたものが残ったまま、遂にレジまで来てしまった。
「そんじゃ、皆外で待っとこう」
男はそう言うと、ふらふらと店を出た。かなり出来上がっているようで、真っ直ぐ歩くだけで精一杯といった様子だった。
田村はそれを傍目に、男の傷のことについて考えていた。確かに西田はサッカーをやったこともあるし、それで誰かが怪我をしたこともあっただろう。だが、どれだけ頭の中を探しても、そんな思い出は一切見つからなかった。
暫くして、会計を済ませた佐藤さんが戻ってきた。だが、どうにも浮かない顔をしている。事情を聞くと、どうやら支払い金額が思った以上に高額だったらしい。
「もっと資金には余裕を持たせてたつもりだったんだけどな。もうちょっとでオーバーする所だったの」
佐藤さんは困った顔でそう言っていた。だが、皆大分酔っ払っているらしい。既に二次会だなんて言ってる奴も居る。
田村は煙草を地面に捨てて踏み潰すと、あの男の姿を探してみた。しかし、もう彼を見つけることは出来なかった。
田村は小嶋の方へ目をやると、首を傾げてみせた。小嶋はそれを見て少し笑うと「ありゃあ、泥棒か幽霊のどっちかだな」と呟いた。
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