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また、あの空間に戻っていた。相変わらず、どこまでも白が続いている。自分の頬がぬれているのに気づき、俺は、慌てて頬をぬぐう。
「どうだった」
はじめの声が聞こえる。
「君の命が、君一人のものだと思ってた?」
後ろを振り向くと、無表情の彼が立っていた。
「生きたい」
自然と口から言葉がこぼれ落ちた。
「俺は、生きたい」
彼と視線がぶつかる。しばらく俺たちは見つめ合っていた。
「実はね、死ぬか生きるかを選ぶなんて嘘だったんだ」
「えっ」
「君をだましていたんだ」
「嘘だろ」
「君は助かるんだ」
はじめの視線は変わらず、俺の目を射抜いていた。
「もうじき君はベッドの上で目覚める」
「じゃあなぜ……」
「これで、もう死にたいなんて思わないだろう」
はじめがニッと笑顔を見せる。その子供のような顔を見て、肩の力がふっと抜けた。
「あれがこの世に戻る扉だ」
彼が指差す方向に、また扉が出現していた。先ほどと同じ、木製の重々しい扉だった。
俺は扉の前に立った。さっきまでの出来事が頭をよぎる。それらが全て夢の中の出来事のように思えた。
「彼女さんと仲良くするんだよ」
はじめが言う。
「ああ」
「部長さんとも一緒に飲みに行ってさ」
「そうだな」
「もうここに来たらだめだよ」
「分かってるよ」
「僕の分まで……」
そこで言葉が途切れる。
「幸せに生きてね」
俺は振り返る。そこには優しい笑みを投げかける、はじめの姿がある。誰かに似ていると思ったが、やっと分かった。俺に似ているんだ。
「ああ」
大きくうなずき、また扉に向きなおす。
俺がこの世に戻れば、沙希や部長はどんな顔をするだろうか。考えても無駄か。そんなの分かるわけない。俺はただ、生きるだけだ。
両手に力を込め、扉を押す。差し込んでくる光に目を細めながら、俺は光の中を前へ前へと進んでいった。
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