とんち小僧

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私はとんち小僧だった。 「とんち小僧はどんな大人になるだろう。」とよく周りの大人からと言われた。 「末恐ろしいと大人になる。」と言われたが、その時期が来たら「偏屈な人と。」言われた。 偏屈は他人から見て偏屈なだけであって、私自身ではキチンとした道理に沿った言動をしているだけだ。 私からすれば、周りの人が偏屈に私の道理を曲げようとしてくるのである。 「周りの人の考えが間違っているだけだ。」そう思った。 しかし、その間違った道理に合わせる一般性が私には無かったことに気がついた。 道理に合わないから偏屈やひねくれではない、一般的ではなかったのだ。 一般的になるという事は私にとっては、周りの人好意や趣味趣向を疑わないこと。 私は、偏屈を捨てた。 同時に頓智も浮かばなくなった。 「渡っては行けない橋は渡らない。」 「屏風の中の虎は絵でしかない。」 そんな、大人になった。 何か、大切な才能を捨ててしまった気がする。 「とんちの反対はちんと。」 今はこれが思い浮かぶの精いっぱいの頓智だ。
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