世界を救った勇者と海の町の娘 第一話

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世界を救った勇者と海の町の娘 第一話

第一話 ボロボロな男と無力な町娘 その日、大陸の空を覆い隠す闇に七色の光が奔った。 とある場所を中心に、空へ登る七色の光の柱が、闇にあたって螺旋を描くように広がっていく。 あれはきっと救世主の放った魔法だ! 世界を救う魔法だ! いろんな場所で誰かがそう叫んだ。確信はない。ただ、そう心から信じられるほど暖かい気持ちが乗せられた光だった。 なにかを倒すための攻撃魔法と違って、包み込むような優しい回復魔法のような光。 しばらくして、光の柱を中心に闇が払いのけられていく。空に晴れ間が……久々の青空が広がり始める。 その時に、大陸中で歓声が上がる。 うるさいくらいに喜びの声が叫ばれる。魔王がばら撒いた闇が払われたんだ! 魔王は倒れた! 大陸は救われたんだ! と。 私も、街のみんなも、きっと大陸中のみんなが平和の訪れに喜んで、はしゃぎ回る。 その日から、街中お祭り騒ぎだった。兵士たちはまだ警戒しているものの、みんな無邪気にはしゃいで……。 翌日には国王軍から正式に魔王討伐完了の報せが国中に伝わって……魔物、魔王との長い戦争が幕を閉じた。 それと同時に本格的に祭りが始まる。今後困らない程度に、備蓄していた食料を出し、騒ぐ。 みんな笑って…平和を、無事を祝う。 通りすがりの隣人と喜びを伝え合い、誰かは大切な人に想いを伝え、誰かは愛を育ませて、家族で幸せに過ごして……そして私も誰かに想いを伝えられたけど断って……魔王のいない世界を生きようとしている。 私も世界中の人も、みんな。 私、エリン・ピースは自宅へ向かっていた。みんなの楽しそうな声に背を向けて、舗装されたレンガの道を歩く。少し暗いけど月明かりに照らされているので怖くはない。 ほんの少し街から離れた病院……私の家へ向かっているのだ。 壁の中で国王軍の駐屯基地と街のちょうど真ん中にあり利用はしやすい位置にある。 つい三日前まで、魔王の闇の力によって暴走していた魔物が襲撃して来たので……国王軍の騎士団や街の領主の直属部隊の人たち、町民も怪我をして運びこまれている。 ただ、状況は落ち着いて来たので、父に、ちょっとだけ休憩をしてきなさいと言われて、街へ出ていたのだ。 色んな人に絡まれて休んだ気はしないけどね……。 歩いている道が二つに別れたので、川沿いの道を歩く。 とてもきれいな川で私はこの川の側を歩くのが好きだった。 祭りの熱気に当てられて変に熱くなった心も冷静になる気がする。 ……ちょっとだけ顔見知りの男の子に告白された。私はあまり彼のことを詳しく知らないし、何もときめくものは感じなかったので、お付き合いは断ったんだけど……今更罪悪感が襲ってくる。 悲しそうな顔をしていた。だけど、私はお試しで付き合うということはしたくなくて……好きになった人と付き合いたい。 少なくともその男の子はその人ではなかった。 ……恋なんてする暇が今まではなかったから、これから、どうしようもないくらい切なくなって、どうしようもなく寂しくなって、どうしようもないくらいその人の側にいたくなる……そんな気持ちが私にも芽生えるのかな?  迷いながら、悩みながら、川の上流にある私の家に向かって辿っていく。  ふと、川の色が変化してきた。半透明の水に、なにか別の液体が混じっている。月明かりのせいでこの距離からじゃ色が解らない。  私は、川のすぐそばまで近づいて、そのおかしな色の液体を辿っていく。  赤黒い液体だった。……仕事場でよく見る色。  上流に行くに連れて、その色はどんどん濃くなり……一本の木にたどりつく。川岸にあったせいで、半分水没してしまい、根っこが川の中にある。その根にきれいな川に、色を付ける大元があった。  黒い鎧に白色の服を合わせている男の人。ぐったりとうつ伏せで、木に引っ掛かっていた。  ……街を囲む壁には、水を通すように穴があいている。けれど魔物が侵入しないように、柵が設けられている。入ってこられるのは魚くらいだ。  もしかしたら、何かの拍子に穴があいているのかもしれない。彼にとっては幸運なことに。  私は水の中へ飛び込む。気温が高いこの地方でも、夜は……夜の川は冷たい。 「大丈夫ですか! しっかり!」  私は声をかけながら、彼をひっぱって川岸に運ぶ。鎧を着ている大人の男の人なので、岸にあげるだけで精一杯だ。水の中による浮力がなければ全く動かせなかっただろう。  ひっくり返し、仰向けにして呼吸を確認する。きっと水中でも呼吸できる魔法を使っていたのだろう。浅くあらいけど、呼吸している。  その呼吸を確認した時、右半分が真っ赤に染まっていることに気づく。……右の額から右目を通り、鼻に届きそうな大きな傷があった。三本爪のケモノに引っかかれたような痕だ。もしかしたら失明しているかもしれない。すごく整った……かっこいい顔なのに。  鎧を外して体温を温めようと横腹についているだろう止め具を探そうとしたら……腹部に大きな傷があった。致命傷でもおかしくないくらい大きな傷が。  怪我には見慣れているほうだけど、思わず気が動転してしまいそうなくらいな深い傷。  乱れる心を落ちつかせながら、私は魔法を唱え、空に手をかざす。  手の平から光の弾が放れて、ばっと光り輝く。閃光弾だ。  それを三つ放ち、信号にする。ここに要救助者あり、と。きっとお父さんか、職場の人が気づいてくれるだろう。街に入る騎士や軍の人は……酔って気付かないかもしれない。  ああ、なんでこんな魔法じゃなくて、回復魔法が使えないのだろう……!  私は、彼の鎧を外し、脱がせる。他には細かい切り傷が多くて……そして体も冷たかった。ずっと、水につかっていたのだろう。  止血する道具もない。回復魔法も使えない。……自分が医者に向いていないことを再認識する。  私はただ……彼の体を温めることしかできない。濡れた体で、彼の体を抱きしめる。ぬれてぴっちりした服から分かるがっちりとした力強い体。  その体をぎゅっと抱きしめて、少しだけ温める。 「ごめんなさい……なにも出来なくてごめんなさい……!」  きっと死んでしまったら……私のせいだ。見つけたのが私でなければ、助かったかもしれない。  出来そこないな私が、恋愛なんかに悩んでいるから……こうなるんだ。  手は動かない。足も動かせない。視界はもう真っ暗で……ただただ沈む感覚がずっと続いていて、どこまで深い場所にいるか解らない。  海の沈むような……空から落ちるような、そんな感覚が永遠に続いている。  寒い。怖い。何も聞こえない。何もできない。  いや、もう何もしなくていい。全部終わったし、全部やりきった。もうオレの居場所はないし、もう必要とされない。  いいんだ。このまま沈んで、落ちて、消えてなくなろう。  必死になにかにしがみついていた気がするけど、それをもう、オレは手放してしまった。  そんなオレに。 「ごめんなさい……お願いだから……助かってっ」  誰かの祈りが、願いが聞こえた。それは暖かい光のようなもので、オレの胸の中心に届いて、全身に熱を、命を吹き返させる。  そして――……。  私は、新品のタオルや医療道具をはこび終えて、部屋の前に座っている。……もう、出来ることがないから。  部屋の中では、お父さんや医療魔法の使える看護師さんたちが彼の看病をしている。それが、無事に終わるのを静かに祈る。  時々、ほかの患者さんのお世話をするためにお使いを頼まれつつ、また彼の部屋の前に戻って来て座って待つ。  ……何時間経っただろうか。空が明るくなってきたころ、部屋のドアが開く。  血に汚れた止血用の道具や彼の衣服などを持って、看護婦さんや助手の医者が出て行く。私がお疲れさまですと声をかけるとみんなが「お疲れ」と返してくれる。あまり活躍できない私にもこういう風にやさしい言葉をかけてくれるのは、心苦しい……。  最後に父が部屋から顔を出して、私を手招きしてくる。 「もう大丈夫なの……?」 「ああ、平気だよ。峠も越えたし、怪我も治癒した。元々回復魔法……多分再生魔法だな。しかも上位のものをかけてあったんだろう。僕や皆の回復魔法以上に回復していたから、なんとかなったよ。それにエリンのおかげも、もちろんあるだろうね。体温を上げようとしたのは間違っていないよ」 「よかった……」  父や手を拭き、部屋の彼のベッドの側に置いてある椅子に座った。  ベッドの上に寝ている彼を見る。黒い、男性にしては少し長い黒髪は汗でしっとりしているが、顔は初めて私が見たときと違って安らかで……熟睡しているようにみえた。まつ毛がながいな……きれいでかっこいい……戦士らしい勇ましい顔。役者さんみたい。 「身元が分からないのが困ったところだ……。戦士や軍人なら認識票を持っているか刻まれている筈なんだが……」  彼に見惚れている私に、お父さんがそう声をかけてきた。服から彼の身元を示すものは出てこなかったようだ。  壊れにくい素材でできた身元を示す道具、もしくは術式を体に刻み、触れることで魔法陣のように表示するものがある。基本的に首にかかっているのだけど……流されてしまったとか。  ふとなんとなくぐるっと回って彼の体を見てみて半周、彼の右腕に痣があった。  もしかして、これが認識票の術式?  触れると、彼の名前が空中に浮かびあがる。だけど……魔法は不完全なのか出身地や生年月日、そして彼の名前すらきっちりと表示されなかった。 「……首じゃなくて手首とは。正式な軍人とかではないのかもしれないな。本人以外が触れて発動した、ということは術式が壊れかけているのか……。簡単な術式ゆえに壊れにくいものが壊れかけているなんて……よっぽどの戦闘をしていたのだろう」  私は辛うじて読み上げられる部分だけ読み上げてみた。 「名前は……イル、なんとかさん。年齢は、私より二つ年上みたい。十八歳だって。住んでいた場所は解らないし、どこの所属かもわからない……」  私は読み終えて手を離すとふっと認識票が消える。……たくましい腕だった。古傷だらけで、痛々しいけど……戦ってきた人の腕。  ここで倒れている他の患者さん以上に傷ついた腕。……ふと、あの人の事を思い出す。彼の腕にはなにもなかった。傷一つなくて。だから、なにも感じなかった。 「取りあえず、イルくんとでも呼んでおこうか。呼ぶのに不便だしね。ほかの患者さんは落ちついてきたし、気になるのなら彼の看病を任せてもいいかい?」 「分かった。私に任せて」  お父さんの目をみて、力強く返事をする。……私が見つけた患者さんだから。お父さんが部屋を出て行くのを見送って、私は彼の手を握りなおす。  大きくて、固い手だ。きっと一杯戦った人の手。いっぱい誰かのために苦しんだ人の手。 「……助かってよかった。救えてよかった……。もう、これ以上傷つかなくて大丈夫ですからね」  彼の、夜の闇のような髪が伸びて行き、無精ひげが出来てしまうくらい日がたった。二週間と少し……彼は目覚める様子はない。  時々苦しそうにうめき声をあげるたび、汗をぬぐってあげたりしてあげることしか私にはできなかった。  着替えや栄養剤の投与は、お父さんや助手さんのお仕事。こんな私が……お父さんの仕事を継ぐ、もしくはきちんと手伝えるようになるのかな……。  お父さんに頼まれたお使い……食材をいくつか注文しに街に行って私は病院へ戻る。  ……なにもできない私だけど、彼の側にいないといけないような……使命感のようなものがあった。  なんだろう……この不思議な気持ち。初めて感じる感情。熱くなって火照って、体中に流れる……魔力よりも体中に広がる気がする。  イルさんの部屋に入ると、風が吹いて私の髪を撫でた。窓があいていて、扉を開けたことで風が通ったのだろう。  思わず目をつぶってしまったので開くと、窓の側に人影があった。緑の患者さん用の服に身を包んだ。黒い髪の男の人。  ドアを開けた音で気づいたのか、くるっと振り向いて、無精ひげを生やしたちょっともさいけど……どこかかっこいい顔で、やさしい笑みを浮かべる。 「たぶん、看護師さんだよな。若くて可愛い子だ。助けてくれて、ありがとうな」  久々に喋るからか、少ししわがれていて、その数言だけでごほごほとせき込んでしまう。ちょっときざなセリフが似合う……かっこいい男のひとだった。  ここで寝ていた彼が、目覚めたのだ。 「いえいえ……助かって本当によかったです……。でも私は看護師見習いなので……そ、そんなことより、体調大丈夫ですか!? すごい重症だったんですよ」 「いやぁ、そんなことないよ。平気……」  そう言ってイルさんは、ふらっと崩れてベッドに倒れかかります。 「……ダメだったみたい」 「だ、大丈夫じゃないじゃないですか……!」  私は慌てて、イルさんの側によって肩を貸して、起こそうとするものの……彼の体は重くて起こせませんでした。  イルさんは自力で立ち上がり、ベッドの上に横になりました。ふーと大きく息を吐きながら。 「イルさん、安静にしていてくださいね。なにかあれば私が用意しますから」 「ああ、ありがとう。よろしくね。……イルさんってオレの事?」  イルさん、とつい反射的に読んでしまった。……私もお父さんも彼のことを呼ぶときはイルさんだから。 「ごめんなさい、勝手にあだ名をつけてしまって……あなたの認識票の魔法、壊れてしまっていて……」  その言葉を聞いて、彼は右手首を左手で触れる。なにも起こらなかった。もう壊れて魔法が発動しなくなったのかな……? 「気にしないで。イルって呼ばれるの、なんか新鮮でいいなぁ。これからもそう呼んでくれよ。オレの本名なんて気にしなくていいからさ」 「あ、ありがとうございます。えっと……私は、エリン・ピースです。ここの院長であるお父さんの娘で……看護師見習いとしてお手伝いをしてます」  私があなたを発見しました、というと恩着せがましい気がしたので、言わないことにした。 「よろしく、エリンちゃん」  にこっと笑って彼は手をひらひらとふる。  きっと軽薄そうにも写ってしまうくらい明るい動作。でもなんとなく、軽薄というものとは違う……やさしさから来る行動な気がするんです。 「それで、貴方の本名は……?」 「オレはイルでいいよ。それ意外のものは……もう必要ないからさ。君の患者のイルだ」  そんな明るい顔が一瞬だけ、真面目な顔になって、すぐに明るいやさしい顔に変わる。  その一瞬の顔が……怖いくらい冷たい顔で、少しびくっと反応してしまいました。 「……ひげと髪の毛整えたいな。そういう道具ない?」 「あ、えっと、ご用意しますね……!」  私はぴゅーっと走り出して道具をそろえに行く。側にいたい、という使命感はあるけど、彼の隣はなぜか落ちつかない……。 顔の傷に、腹部の傷。あとは全身色々重症で……特に大変だと言われたのは。 「君、魔法がもう使えないね。魔力喪失症だ。珍しい……」  髪の色が変わった時から、うすうす気づいていた。  魔力喪失症。魔力というものは生きている限り、自然と生成される。だけど、限界以上に魔力を使いすぎると、魔力を生む器官に障害が起き、魔力を作らなくなる。  子供と、初心者魔法使いに多い症状だ。子どもは限界を解らず使いすぎてしまい、魔法使いは自分の実力を過信して大きな魔法に手を出し使えなくなる。  オレは……魔法が必要な場面が多くて無理して浸かってしまったからだろう。 「まあ、生きるだけなら魔法は必要ないですから。生きるための仕事に、必要な魔法はあるかもしれないですけど」  エリンちゃんのお父さん、ここの院長であるレナードさんにオレはそう言った。彼は頷いて、「まあ生きるだけなら確かにだね」とカルテに何かを書き込む。 「さて、もう少し経過をみたいからしばらくは入院してもらってもいいかな? 君の回復力はすごいから多少の外出は許可するよ。ただ、エリンや看護師を付けてね」 「ありがとうございます」  ぺこっとベッドで上体を起こしたまま頭を下げる。 「で、君の身元は? お仕事とか本名とか」 「せっかくなんでやり直したいんですよねー。いや、生き直したい、かな? イルでいいですよ。仕事は……冒険者とか傭兵とかそんな感じです。旅をしながら魔物を倒してお金稼ぎしてました」  オレは、側の棚にかけられている装備を見る。前までは魔力がこもっていて白かったはずの黒い鎧に、一本の剣。 「なるほど……魔物退治……。ここに流れ着く前に最後にいたのは」 「大陸の中心……魔王城ですね。勇者たちと魔王討伐ための選抜部隊として一緒に戦ってました」 「よくいきていたね……」 「ま、魔物退治だけなら普通ですけど、討伐部隊に編成される程ってすっごい強いんじゃないんですか!? たぶん、この街じゃ誰も勝てないかも……」  エリンちゃんが驚いてくれて嬉しい気持ちになる。魔王討伐隊に編成されるまで頑張ったからなぁ。 「この街の誰よりも強いかは分からないけど、けっこー頑張ったからね。オレ強いよー。この辺りの魔物を倒すなら任せてね」 「なるほどね……大体事情は分かった。身元はそのうち話してくれればいいよ。魔王討伐隊にいたなら軍属、騎士団扱いになるから、入院費は国から降りるだろうし、気にしないでここで休んでいってくれ。それじゃあお大事にね」と言って、レナードさんは部屋をでていくのだった。  この国の福利厚生は手厚い。騎士団や街ごとの領主の軍に入れば色んな得点がある。学校だって、義務教育で中等学校まで学べるし。  まあ、魔王とのごたごたのせいで、成人年齢が十八歳に下げられて、高等学校に通わず、軍や騎士団で二年くらい練習して、魔物退治や戦場に送られるような状況だったけど。  嫌なことを忘れるように、部屋にいるもう一人に視線を向ける。  プラチナブロンド……いや、銀と言ってもいいほどきれいなふんわりとしたショートカットの髪。小麦色の肌に映える大きな青い瞳。整った年相応に可愛い顔をした女の子。  オレは視線を落とし、彼女の体を上から下へ見て行く。  肩の出たシャツにコルセット、そして短めのスカートをはいていて、靴はロングブーツだ。コルセットで腰の細さを強調していて、彼女の胸の大きさも強調されている。結構、大きいと思う。  太もももいいな。肌の露出している肩もいい。彼女の褐色の肌はなめらかでさわり心地がよさそうだった。  ……どこでも、女の子をじろじろみるからいけないんだよな……。失礼だって妹に怒られる。  女性に惹かれてしまうお年頃なオレは、視線を外す。彼女は魅力的な女性だった。 「えっとその……どうかしました? 服装が変とか……?」 「いや……君の肌がきれいだったからさ。気温も暖かいし、南の方の街?」 「は、はだがきれい……! は、はい! 南西の街ですね! 大陸の一番南の国オーハーバです」  素直に、彼女の肌を褒めると、そう元気に答えた。彼女の肌の色……褐色の肌は南の地方特有のモノだ。  ……まあ、そんなこと関係なく、きれいだなぁとか可愛いなぁとか思ってみてたんだけど。 「よし。じゃあ、早速出歩きたいから付き合って貰ってもいい? 街の事を教えてほしいなぁ」 「わ、私なんかでよければ……!」  彼女は肩をこわばらせて、変に声を張って、緊張気味に答える。そんな様子がほほえましくて、つい笑みを浮かべてしまう。  私はイルさんと一緒に街へ出た。ちょっとふらふらしているので、心配で声をかけてしまうのだけど、そのたびに「リハビリリハビリー」と言って休んでくれない。  ……ひげをそって、髪を整えた彼はますますかっこよくなっていた。服も患者の服ではなく、私が用意したラフな服に着替えている。  顔の傷があるのでそれを隠すために右の前髪は長いままだけど……ぼさぼさだった髪は大分落ちついている。  純粋に、かっこいい人の隣にいるのは少し嬉しくなる。もちろん、緊張もするけど。………今まで、顔でいうならイケメンな人といても、こんな風になったことはなかったんだけど……なにが違うんだろう?  そんな疑問を持ちながら、彼の横顔を時々盗み見ていると街へ着く。 「なんか、騒がしいなぁー。みんな忙しそうだ」 「お祭りの準備がありますから。まず、魔王を倒した勇者を称えるお祭りと、新王さまが玉座につかれた記念のお祝いが」 「……なるほどね」  さっきまで、笑みを浮かべている顔が、また違う顔になる。なにか、痛みを感じているような顔。  それがどうしても気になって……。 「あの――……」 「さてさて。銀行はどこにある? お金をおろせる内に早めに下ろして、登録し直さなきゃ! 腕のこれが壊れちゃ身元の確認出来なくなっちゃうしね」  すっと元の笑顔になって手首をとんとんと叩きながら、私に尋ねてくる。私の声は……かき消されて。 「……銀行はこっちです。案内しますね」  ああ、ダメな私。患者さんの気持ちに寄り添うのが怖いなんて。  この国には銀行があり、どの街の銀行でもお金をおろせる。大体は魔力による身元証明書。騎士や軍人さんは、イルさんのように認識票でやりとりができるようになってる。  魔法で投影できなくても、腕の術式に刻まれている模様は、個人個人違うので、銀行の受付さんが使う魔法で調べて、誰か個人を見つけることができる。  私はその様子を少し離れた場所にある椅子に座って眺めていた。 「オレの本名か……イル――……」  遠い場所にいた私には聞き取れなかったけど、受付のお姉さんがびっくりしていた。もしかして、イルさんって有名人?  人差し指を口にあてて、内緒のジェスチャーをして、分厚い封筒を受け取ると私の元に来ます。 「おまたせー。じゃあ、街の案内を再開してもらってもいいかなぁ?」 「は、はい。続きをしますね」  オーハーバは大陸の南西にある街で、海に面している。私の住むあたり……病院や騎士団の屯所は街の北にあるので海は見れないけど、もう少し南にいけば海を臨めるだろう。  街の北は、レンガ作りの建物が多いが、南に行くほど白い建物が増えて行く。石灰つかって建物を作っているためだ。  港を中心としている街なので、海の方に重要な施設が多い。港、市場、商店街、役所などの機関、そして住宅街。その順番で層になっている。その外にお父さんの病院、騎士団の屯所、街を守る壁がある。  今はその街の役場にいて、ちょうどそこを区切りに段々になっている。一種の津波対策だ。高低差があることで逃げられやすくなるとか、被害を抑えられるとかどうとか。  その一番端の柵の側まで、私とイルさんはやってきた。  少し、港……湾からずれてしまいますが、西の方角で太陽が沈むのを見ることができる。白い街がオレンジ色に染まって……海もオレンジ色に変って……不思議と心がとろりと溶けるような、そんな暖かい風景です。 「……きれいな街だな」  いつものような口調じゃなくて、一言ぽつりとイルさんがこぼした。  その顔もオレンジ色になりながら、沈む太陽を見ている。 「はい。私の自慢の街です」  すごく、すてきな街だ。人は優しくて、自然もあって、ご飯も美味しくて……そんな街に誇れるくらい自分も誰かに貢献できる人間になりたかった。  だから医者になろうと思った。もしくは看護師になろうと思った。  でも、私には回復魔法が使えない。なるための才能……いいえ、資格がない。 「……何か、嫌なことでも思い出した?」  いつになく、真面目な言葉で彼は私を心配してくれる。気付けば、私の頬が濡れていた。 「ご、ごめんなさい。ちょっと色々思い出しちゃって……」 「……泣くのは悪いことじゃないよ。オレもしょっちゅう泣いてるから」  やさしく背中をとんとんと彼はしてくれる。お兄ちゃんがいたら……こんな感じだろうか? 「イルさんも泣くんですか……?」 「泣くよ。人間だしね。つらいことや悲しいこと、痛い目に合えば泣くさ。大人の男が泣くのは情けないかもしれないけどね……」  太陽を見る目は、それよりもっと遠い場所を見つめている気がした。その目を私に向けられて……どういう感情がこめられた目か、理解できた。  悲しみや、悔しさ、無力感がこもった目。……私と同じ、なにかが出来なかったと悔やみ続ける目。  だから、今の私に共感してくれているのかもしれない。そういうつらいことがあっても仕方ないと、受け入れてくれるのかもしれない。 「……事情は聞かないよ。だけど、話して気が楽になるなら、いつか聞かせてほしい」  彼はそう一言やさしく私に言うと、太陽に視線を戻した。その言葉が、ほかの誰の言葉よりも心にしみる。乾いた土に垂れた一滴の雫のように。  染みわたって……認めたくなった無力さを、やっと自分自身だと向き合えて……また涙があふれてくる。  私はつい……彼に縋りついて泣いてしまう。とっさの行動で、無意識の動きだった。……きっと、この瞬間に彼を信用しきってしまったからだ。  出会って数日……話した時間はたった数時間程度。でも、彼を信用できた。  私ときっと同じだから。私よりもすごいことをしていた人のようだけど、あの目は、あ の表情は私と同じ苦しみを抱えてる人。  だから私は、共感してしまって、信用してしまって……そして自分自身と向き合うきっかけになる。  何も出来ない自分というのを、医者や看護師に向いていないという自分を見つめることができたのだ  涙でぬれる私の頭を、彼は優しく、撫でてくれる。この私を受け入れてくれる。それだけ で十分、心の支えになる。ほんの少しやさしくされただけで、こんなに信用してしまうなんて……私はちょろい女の子かもしれない。  でも、兄のような……親しい年上の男の人、という感じでなついてしまっているのは事実だった。 「娘が随分世話になったようだね」  最初の一言がそれだったので、びっくりしてしまった。  ……可愛い女の子にはついついやさしくしてしまうくせのせいだ。とくに、エリンちゃんは放っておけないタイプの子だった。  オレに似ているから。 「いや、そんな顔をしないでくれ。嬉しいんだ。あの子は家族以外にはあまり気を許さないからさ。何年も務めている看護師や助手にも気を許してくれない。まあ、仕事関係の人は仕方ないかもしれないが、友達らしい友達も一人や二人くらいだしなぁ。男友達なんて見たことない」  ぽつりぽつりと院長先生が言葉をこぼす。父として、娘が心配だったんだろう。 「……少しでも、あの子の役に立てたのならよかったです。それでですね、昨日お金をおろしてきたので、いつでも手術代とかもろもろ払えますよ」 「……国の保険を当てにしたくない?」 「せっかく行方不明になってますから、居場所、ばれたくないんです。もう戦うのはいいかなって」  素直に思ったことを口にすると、院長はメガネを整えて、オレに聞いてくる。 「それは……君が本当は魔王討伐の精鋭部隊じゃないからかな?」  もう一度、院長に驚かせられる。よく、嘘がわかったなと。 「……娘の話を聞いてね。討伐の精鋭部隊程度で受け付けの人が驚くかなって。それに僕は院長だから、この町の騎士団長とかと仲がいいんだよ」  ふと彼は振り向き、ドアを見る。声が漏れてないか気にしているんだろうか? 「……精鋭部隊は、まだ派遣されていなかった。魔王討伐は、一週間後のはずだった。そうだろう?」 「……ええ、そうです。せっかく有能な人間をそろえたのに、国王は出撃させなかった。……いえ、前国王は精鋭部隊として募った人間を、自分を守る直属部隊にするつもりでいた。あの魔王の闇で、大陸が滅びかけたとしても自分の命は守るために。……だからオレたちは……魔王を倒しに部隊から離れて行動した」 「……なるほど。前国王はあまりよろしくない噂が流れていたが、そういうことだったとは……。でも、精鋭部隊は派遣されたことになっているね」 「ええ、前国王がそういう人間だったと知ったら暴動が起こってもしかたないでしょう? だから、新国王は派遣されたと言う事実に変え、前国王は魔王との戦争は終わったと言う象徴として、新国王に座を譲ったというカバーストーリーになっているはずです。あいつが国に無事に帰ったようだから」  あの、むかつく国王を思い出す。あいつはよく出来た人間だったが、父親に似たわけではなかったようだ。 「……もう、オレの正体はおわかりでしょう。だから……できるなら、ほかの誰にも言わないでもらいたい。オレ、この街で暮らしたいなって思ってるんです。戦闘にかかわらず平和にのんびりと」  もう、剣を握ることはなるべくしたくない。魔物を殺したくない。魔人も殺したくない。殺さなくていいと言う選択肢を選べるのだから。  それしかしらないで生きて来たけど、もう、そんな生き方を選ばなくていいのなら、オレは、唯一出来ることだった剣を捨てて、生きて行く。 「いいよ。約束しよう。ただ一つ、お願いがあるんだけど、いいかな?」  そのお願いは、知りあってたった数日の男に言うことではなかった。  目の前で泣いてしまったことを謝りたくて、私はいつもより早起きして、彼の部屋へ向かった。  ……あの後、気不味くてなにも話せなかったから。  彼の部屋まで行くと、お父さんとなにか荷物を抱えたイルさんがいた。も、もしかしてもう退院……?  ずきっと心臓に針が刺さったかような感覚が襲う。 「ああ、エリン。ちょうどいいところにきた。イルさんと一緒に自室に戻って荷物をまとめなさい。そろそろ自立するにはいい歳だからね」  お父さんが声をかけてくる。自立? 荷物をまとめる……? 「今日から、ここを出て暮らすんだ。イルさんにお世話を頼んだ……いや、世話をするのは君だ。頼んだよ」  私の理解が追いつく前にお父さんはふらーっと別の患者さんの元へ行ってしまう。 「え、えっと……」 「……院長先生っていつもあんな感じ?」  苦笑しているイルさんを見て、私はやっと整理が追いつきます。  つまり、イルさんと同居生活しろ、ってこと……?  出会ってたった数日。話した時間は数時間ほど。信頼はすっごくしているけど……そんな男の人と、奇妙な同居生活が始まることになりました。
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