第三話 恋を自覚した元勇者と勇者を救った町娘

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第三話 恋を自覚した元勇者と勇者を救った町娘

 その街は、廃墟よりはマシ、という建物ばかりだった。けれど、行きかう人は笑顔だったり、やる気があったり……希望に満ちていた。  きっと、数カ月あれば素敵な街になってるよね。  そんな街でも露店が並んでいて、目移りしてしまう。露店は闇市のようなもので、廃墟に埋もれていたリサイクル品が多い。……ほとんど盗品っぽいけどねー。 「ルカ、あれ食べたい」  あたし、ルカはマオに手を引っ張られて振り向く。黒く夜空のような髪の女の子はぴっと指をさしていた。 「クレープか。いいね! 食べよっか」  マオちゃんの提案を素直に聞いて、クレープを二つ買う。生地にホイップクリームといくつかのフルーツが包んであるだけのシンプルなものだけど、甘酸っぱくておいしかった。  お行儀は悪いけど、二人でそれを食べながら街を歩く。 「おいおい二人とも、休憩か」  ふと、声をかけられる。長身で体の大きい男性。色素の薄い茶髪……銀と茶色がまじったような髪を撫でつけていて、ちょっといかつい騎士、ガイ・フリードマンだ。  ただの騎士から、ヒューマ二クス王国軍王都騎士団団長っていうながったらしい肩書きをゲットしていて、このパーティの中で二番目に出世した男。一番は、王さまになったレイオくん。 「まあ、美味しそうね、一口ちょうだい?」  その横にいたのはガイの彼女、栗毛色のポニーテールが特徴的で、活発そうなお姉さんのアンナさん。この人も元騎士なんだよね。魔王を倒す前にガイさんに説得されてやめちゃったの。プロポーズみたいなセリフで。ガイと幼馴染だし、パーティの一員ではなかったけど結構仲良くしていた。 「はい、どうぞ!」 「マオのも」  あたしとマオちゃんはアンナさんに差しだして、それぞれ一口ずつあげる。 「どっちも美味しいわねー。わたしもあとで買おうかしら?」 「おかわり欲しいかも! 騎士団長さまのおごりでお願いね!」 「マオのもー!」 「……それくらいの稼ぎがあるからいいが、夕飯はいらなくなるぞー」  傍から見れば、家族に見えるような関係なのかなぁなんて、ちょっと考えてしまう。……だとしたら、二人は両親としてマオは妹、リールは双子の姉で、レイオくんは従兄? ルルはお姉ちゃんかな。  ……一番上のお兄ちゃんだけ行方不明だ。 「それでだな……俺たちの方は収穫なしだ」 「病院、村長さん、ここの騎士団の支部長とかにも聞いて回ったんだけど誰も、イルシオンくんのこと見てないんだって」 「あたしたちも情報ゼロ……。流通関係の人なら噂話くらいあるかなって思ったんだけど、凄腕の剣士がいる! とか」  でも、もうイルシオンお兄さんは、もう戦いたくないのかもしれない。みんな彼が優しい人だって知ってるから、きっと疲れてどこかで休んでいるんだ。……だから、あんなにつよい人でも、戦っていないなら噂なんて流れない。 「ここで四か所目……魔王の城からそんなに遠くないから、見つかってもおかしくないのにね……」  頭の中に大陸の地図を想い浮かべる。魔王城は大陸の中央にあり、王都は大陸の西だ。あたしたちがいるのは大陸の中央より少し西の街。最初は魔王城の北にある街……あたしたちが魔王討伐に向かう前日に泊っていた街から捜索をはじめたんだけど手掛かりはゼロ。 「一旦王都に戻らないとだな……」 「どうして?」  マオが素直に聞いた。あたしもなにか用事があったっけ? と首を傾げる。物資は十分なはずだけど。 「お前ら……レイオの即位式だろ。半月もせずに始まるのに騎士団長が帰らないわけにはいかないし、保護者の俺が帰るんだからお前たちも一緒に戻らないとだ」 「あーそっか忘れてた!」  レイオ・ヒューマニクスくん。次の王さまになる仲間。その人の即位式……あたしにとってもほとんどの国の人にとっても単なるお祭り程度だけど大事な儀式。 「まったくなぁ。あいつ悲しむぞー。あと意外と根に持つからなぁー」  いつものお返しとばかりにあたしにそう意地悪してくる。 「そんなこといっちゃうんだー! ガイがレイオくんのこと陰険だって言ってたってちくっちゃおー。マオちゃん、証人になってくれる?」 「うん、しょーにんになる」 「あ、ずるいぞ! しかもそこまで言ってない!」 「あたしたち三人にクレープ奢ってくれたら許して上げるー」 「……いいけど、さすがに太るぞ」 「女の子にいっちゃいけないこといったー!」  なんて、あたしたちは騒ぎながら歩き出す。  ……イルシオンお兄さん。あたしがお兄さんみたいに慕っていた人。みんなはあなたがつい人だっていうけど、あたしはあなたの弱い部分、知ってたよ。  ……ほんとはね、お兄さんが見つからないでほしいんだ。そりゃ、会いたいけど……あんなにつらいことがあっても立ちあがってたんだもん。  つらくても立ちあがるってみんな……本当の妹のリールまで評価してたけど、きっとそれはずっとその背中にのしかかってたんだよね。だから、全部下ろしきるまで、どこかで静かに暮らしててほしい。  どうか、お兄さんが元気に静かに暮らしていますように。  私より、イルさんが早起きなことはめったにない。基本的にねぼすけさんだ。  毎朝私、エリン・ピースが起こしている。……イルさんの無防備な寝顔を見られるのは役得だと思うけど。 「おはようございます、イルさん」 「おはよ、エリンちゃん」  黒く長い髪で、優しいけどどこか力強い目つきの黒い瞳の男の人。例えるなら夜空。星も月も、そしてこの星も優しく覆ってくれる人。 二歳年上のお兄さん。すっごくかっこよくて、すごくやさしくて、どこかおどけているというかふにゃっとしているけど、だからこそ包まれている安心感、甲斐性があって……。  同居人で私の初恋の人。この人を癒すために、支えてあげたいと心の底から思える人。側にいてほしいと思う人。 「今日は、はやいですね」 「ちょっと嫌な夢をみちゃったんだよねー……。だから、早起きついでに朝食も作っておいたんだ」  そういって、テーブルの上に並べられたサンドイッチを指差す。嫌な夢ってなんだろう? と気になってしまったが私は、深く掘り下げるべきではないと思って、言葉にしなかった。 「ありがとうござます! 早速いただきますね」 「どうぞ、召し上がれ」  私たちは向かい合って座り朝食を摂る。冒険やしていたので料理をする必要性があったからか、イルさんの料理は美味しい。  男の人の作るご飯、というものもあれは今朝みたいなサンドイッチのような料理も作れて幅が広い。  私は、郷土料理というものに近い料理ばかりなのでちょっぴり恥ずかしい。 「今日は、おやすみの日だっけ」 「はい、そうですよ」  お父さんの病院で雑用のお仕事をしている私は定休日がある。他のみんなはシフト性なのに申し訳ないけど、私は……医者の資格も看護師の資格も取れない出来そこないだから……。  あ、朝からすっごくいい気分なんだから落ち込んじゃダメ。  心の中で勝手にネガティブになって、勝手に叱咤する私だった。 「実は、オレもおやすみでさ。……だから一緒に海に遊びにいかない?」 「海ですか?」  ここ、オーハーバは南の海の街だ。暖かい気候で、一年中夏の気温。いつでも海日和。  でも、観光よりも漁業がメインになっているので、この街には有名なビーチと言うものはない。海水浴場はあるけど、そこまで知名度はない。 「ここに来てからきちんと海で遊んだことないなって。エリンちゃんも海に遊びにいっている様子はないし」 「そうですねー……子供のころならほぼ毎日遊びに行ってましたけど、そこそこ成長しちゃうとちょっと……。家のすぐ近くに公園があっても毎日公園に行くわけじゃないですから」 「それもそうか。海があるのはここの人にとっては当たり前なんだな……」  ちょうど一年くらい海で遊んでいないかもしれない。魔王によって魔物の暴走も最近まで激しかったし、落ちつく暇がなかった。  雑用とはいえ、病院は毎日忙しかったし。 「で、どうする? 海、遊びにいくのやめとく……?」  久しぶりにいいリフレッシュになるかも? そう思って私はイルさんに返事をした。 「いえ、遊びにいきましょう! 久々に海で遊びたい気分になりました!」 「良かった。じゃあ、準備したら行こうか」  にこっと嬉しそうに笑う。イルさんが楽しめるように頑張らなきゃ。  荷物を持って、オレとエリンは海へ向かった。砂浜に生えている木の陰に荷物を置いて、仕度をする。  ズボンの代わりに水着を履いて来たんだけど、エリンは着替えどうすんだろう? と疑問に思って彼女を見る。  プラチナブロンドのふんわりとしたショートカット。医療に携わる人として相応しい慈愛をもった優しい目つきで、褐色の肌に映える宝石にたとえてしまいたいほど美しい蒼い瞳。  顔はまだ幼さがあって、整っていてきれいでもあるが、可愛いと思える顔。 いつも、白や薄い青、そんな爽やかな服を着ているけど、今日は白い肩だしワンピースだった。大体、サマーロングブーツと合わせているが、今はサンダルを履いていて、すらっとしている褐色の生足がまぶしい。  ……ワンピースの生地が薄いのか少し、エリンの体のシルエットが太陽で透けて見えるのがセクシーだと感じられた。二つ年下の女の子だけど、きちんと女性らしい魅力がある。  同居しているとき、あまり意識しないようにしているけど、ふと女の子らしさを感じてドキドキしてしまう。最近は、なついてくれたのか距離感が近くなって、嬉しいけど困るような不思議な気持ちだった。 「ど、どうしました? なにか変でした……?」  オレのじろじろ見る視線に気づいたのか、エリンが不安になって。その大きな蒼い瞳で自分の体を確認した。女の子に失礼なことしちゃったな。 「ごめん、そういうことじゃなくてね。エリンは水着、どうしたんだろうって考えててさ」 「水着なら着てきましたよ? うんしょっと」  そう言ってエリンは、肩ヒモに触れると、するりと腕へ通す。すると布がすとんと落ち、一度胸に引っかかり、エリンが引っかかった部分を動かすと、重力にしたがってすとんと布が落ちた。  白いビキニだった。ヒモなどはライトグリーンで、トップにはフリルが付いていてかわいらしい。エリンの褐色の肌に似合っている。……エリンの肌はきれいだな。艶めかしさがあって、でも健康的で……あまり、女の子にこういうことを想うのはいけないと思うのだけど、スタイルがいい。  胸も大きく、きれいな舞台女優のようにお腹はくびれている。ワンピースのときですら解っていた足は、ビキニになったことで、太もも……いやお尻までのきれいな脚線美を見せていた。  ……でも、あの脱ぎ方はこっちをドキドキさせるなにかがあった。 「どうですか、似合いますか……!?」  いつになく元気に聞いてくる。はしゃいでるのかもしれない。 「あ、ああ。すごく可愛いというかセクシーだよ」  ああ、なんか顔が熱い。そう思ってオレは顔を逸らしてしまう。 「わ、私としたことがはしたなかったですねっ……! つい、はしゃいでたようです……」  エリンが、恥ずかしそうに身を縮ませる。エリンは、女の子として普通の倫理観や羞恥心を持ってる子だし、家でもきちんと気を付けていた。  久々の海だからか、お気に入りの水着だからか、ちょっとテンションが上がって、かんがえなしで動いてしまったのかもしれない。  オレとしてはラッキーだったが。……下半身に熱がいかないように気をつけないとな。  すっごく可愛い女の子の水着だ。見ていて幸せになれる。 「そ、それじゃあ、さっそく海に入りましょうか?」 「そうだね。いこうか」  オレとエリンはならんで、海へと歩いて行く。ここの海は、絵本で見るような、まさに南の島の海、という風景だった。  高く遠い蒼い空、澄み切ったエメラルドの海、白い砂浜。 一歩歩くことに、きゅきゅと音がなる。砂粒が細かい証拠だ。波打ち際まで行くと、手前の方は、海の底まで見ることができた。海藻が全く漂っていない。  そんなきれいな場所なのに、人は全くいなかった。家族が一組と、時々見かけるこどもたち数人が遊んでいるくらいだろう。遠くの漁港から、その反対の灯台、そして、崖の上にある教会まで見通せるほど広い。 「いい場所だな」 「はい、自慢の場所です」  誇らしげにエリンが笑う。エリンは、自分のことはともかく、故郷のことは大好きでしかたないみたいだ。  オレも、この街が大好きなっていた。人も街も暖かい。オレの住んでいた村も良い方ではあったがここまでじゃないな。  静かに、海の中へ入っていく。 「お、冷たい」 「でも心地いいですよね?」  にこっといたずらな笑顔を浮かべて、エリンが聞いてくる。普段しない表情だったから、思わずどきっと心臓が高鳴ってしまう。  ほんと可愛い女の子だよな。ダグラスがメロメロになるのも解る。いつかこの子も恋をして、同居生活は終わりを迎えるのかもな。……院長先生との約束は、そいつに代わりに果たしてもらおう。  でも今は、この子との友情というか不思議な関係を楽しもう。 「うん、確かに気持ちいい……ねっ!」  オレの膝上くらいの高さまで海に使ったところで、エリンに海水をばしゃっとかける。 「つめたっ……やってくれましたね! お返しです!」  彼女は可愛く両手で水をすくってばしゃっとかけてきた。そこそこ大人になってきたが、オレもエリンもまだまだ子供だった。  ……海水に濡れたエリンは、どこか色香があって……頬に吸いついた髪、濡れて水滴が流れる褐色の肌、そしてなによりも楽しそうな笑顔。どれも魅力的だった。  そのあと、のんびり泳いだり、砂の城を子供の時以来久々に作ったり……近くを通った子供たちにデートだ! って、からかわれたりしたあと、疲れて木の陰に戻って水分補給をしていた。 「上着、乾かすか」  イルさんは、上着をきたまま海に入っていたのですが、中々乾かないみたいでばさっとそれを脱いで、日向に放り投げる。  ……良く鍛え上げられた体。時々、筋トレをしているのを見かけるので欠かさずにしているのでしょう。腹筋も軽く割れていて……。でも、体付きは細くて。  そして、傷だらけの体。あの日、私が助けた日にあった大きな傷も痕として残り、長い前髪で普段隠している顔の傷も、同じように残っていた。  かきあげた前髪の下にあったそれをつい見てしまって……イルさんは「みっともないのをみせちゃったな」と笑いながら髪を戻し、タオルを羽織った。 「みっともなくないですよ。イルさんが今まで頑張って来た証拠です。……何が合ったかは知りませんけど、いっぱい戦ってきたんですもんね。つらいこと、いたいこと……それを乗り越えて、もう終わったっていう証ですよ」 「……エリンちゃんはほんと優しいなぁ」  いつものように、はぐらかすような、からかうような口調だった。けれど、その表情は真面目に私の言葉を受け止めているようだった。  水平線に視線を向けると、イルさんは話し始める。 「嫌な夢を見たって言ったろ? オレの住んでた村に帰ってる夢を見たんだ」 「……故郷ですか?」 「うん。山の中にある村で、近くに古い神殿があってさ、そこを村みんなで守ってる、そんな村だった。だから、小さいときから戦う練習ばかりでね。……その村にオレは帰ってまた戦ってた。みんなに言われるままにね。もう嫌だって思いながらも、戦いたがってるのかなぁ」  イルさんが、故郷の話をするのはこれが初めてだった。その眼はずっと遠くを見ていて……どこかに行ってしまいそうで怖い。  私は、大好きなイルさんと離れるなんていやだ……ずっとここにいてほしい。もう傷つかないでほしい。 「……さ、忘れるためにも、もうちょっとあそぼっか」  イルさんは立ちあがって、海へ歩き出す。その背中は大きくてまだ近くにあるのに……どこか遠くに感じてしまって、私は慌てて立ち上がり、イルさんの手を掴む。 「エリンちゃん……?」 「どこにもいかないでください……イルさんは、もうずっとここにいていいんですよ? ここで平和に過ごしましょ……だって、イルさん、頑張って来たんですから」  顔は見れない。どうしても恥ずかしくて。そして、きっと情けない顔をしているから。 「……どこにもいかないよ。ずっとここにいる。続けられるかぎり、エリンちゃんとも同居生活を続けたいしさ。一緒にいるの楽しいっていうか、癒されるっていうか。……ありがとね」  私が握っていたイルさんの手に力がこもる。優しく包み込むように。それがたまらなく嬉しくて、今度はだらしない表情を浮かべてしまう。  それを隠すように笑って、イルさんと向き合う。 「いえいえです! さ、海に行きましょう!」  私より先を歩いていたイルさんを追い越すように前にでると……砂浜とは違う何かの感触を踏んでしまう。 「わっ」  それに足を取られてバランスが崩れる。 「危ないっ」  ぐいっと手を引っ張られる。バランスを崩していた私はその方向に倒れていって――……どん、という衝撃で眼をつぶる。 「エリンちゃん、大丈夫?」 「は、はい、だいじょ――……」  すぐそこに夜空があった。黒い瞳が私の目の前にある。ああ、そういえば、体に触れている感触も砂ではなく、ぴとっとくっつくような感触で……。  私は、イルさんを下敷きにするように倒れていたようだ。イルさんの太ももに座り、抱きしめられるように。 「ごめん、オレが放り投げた服を踏んじゃったみたいだ。どこか、痛めてない?」  イルさんのかっこいい顔が近すぎて、心臓がもたないので少し離れる。……イルさん、声も素敵だよね。 「とくに痛いところはないです!」  でも、心臓は痛いくらい動悸が激しかった。繋いでいた手は離れてしまっていて、イルさんに厚い胸板にふれていた。  触れている部分が変に熱く感じて、どきどきして顔がきっと真っ赤になっているけど……ふと、気付いてしまう。私の右手が触れているイルさんの左胸。……イルさんの心臓も激しく脈を打っていることに。  ……わ、私でどきどきしてくれているのかな? 私に触れられて興奮や、異性として意識してもらえてるのかな?  そのことを意識して、ますます顔が、体が熱くなる。  ……ちょっと、自分勝手なことしてもいいかな……? イルさんに女の子だって思ってほしいから。  私はイルさんにしなだれかかる。イルさんの胸に私の胸を押しつけて、お腹も押しつけて、手をイルさんの首の後ろに回すようにして……顔はイルさんの頬にくっつけて。  ぎゅーって抱きついてみた。……嫌なら、拒絶されてしまうかもしれない。  付き合ってもいない女の子にこんなことされるのは誰だって嫌だと思う。……でも、イルさんなら、同居人だからとか、理由を付けて取りあえず受け入れてくれるんじゃないかなって、私は、イルさんの優しさを利用するようなことをつい考えてしまう。  ……ただただ、好きな人と触れていたいだけなのに。 「え、エリン?」  珍しく、動揺したような声を出していた。 「……す、少しだけ、このままでいていいですか?」 「……うん」  すると、彼の手が、露出している私の背中に触れる。その感触に思わずびっくりして、嬉しくて、体がびくっと反応してしまう。くすぐったいけど……心地よかった。  どうして、なにも言わずに私のハグを受け入れてくれたんだろう。今、イルさんはどんな気持ちで私を抱きしめてくれているんだろう?  私がなぜ寂しそうにしているのか、理由を察しているのだろうか……? それとも純粋に求められたからそうしている優しさなの……? それとも何か理由はあるのかな……?  私は、ただ、イルさんが愛おしかった。そして欲しかった。触れたかった。イルさんの温もりを、感触を、味わいたかった。  目をつぶって、静かにイルさんを抱きしめる。海の香りに混じって、イルさんの匂いがする。石鹸やイルさんそのものの男の人の匂い。鼓動が重なっている気がした。暖かくて、ほどよく固く、ほどよく柔らかくて。そんなイルさんに触れていると体が火照ってしまって……その火照った私の肌を、草木を揺らす潮風が撫でてくれて、心地よかった。  遠くで、鳥のなく声が聞こえて……。 「お姉ちゃんたちいちゃいちゃしてる!」 「やっぱりかっぷるだー!」 「シスターさんがそういうのいけないっていってたー!」  子供たちの楽しい声で、私たちは慌てて離れた。  ボルテ、フィン、ミネの少年少女三人を途中まで送りつつ、オレとエリンちゃんは街の壁側にあるレンガ作りの家に帰宅した。  夕飯はエリンちゃんの当番なので、オレは自室で休むことにした。完成する少し前にリビングに行って、食器を並べる手伝いをしよう。  海にいったあと、波の感覚がなんとなく体に残る。その波の感覚と共に……エリンちゃんの体の感触を思い出す。  同居しているエリンちゃんを、これ以上意識するのはまずい。そう思っていたけど、忘れられない感触に、興奮してしまった。  鮮明な記憶が少しずつおぼろげになっていくのを惜しく感じてしまう。ほど良い体温。すべすべして、もっちりしている褐色の肌、頬。……大きくもなく小さくもない柔らかい胸。すらっとした足、太ももの感触もよかったな……。そしてすごく甘い匂いがした。女の子の、エリンの匂い。  ああ、なんか変態みたいだ。ずっと意識してなかったのに。可愛いなくらいの女の子に、安心したし、こんな風に興奮、いや欲情してるなんて。  ……男という生き物だから、なんて言い訳はしたくない。自分は、慕ってくれている、なついてくれている女の子に、変な気持ちを抱く悪い男だ。  ……妹もいたし、パーティメンバーには女の子もいたし、慣れてたつもりなんだけどな。  自分に嫌悪しながら、腕の中にあった感触を思い出す。小さくて、ぎゅっと強く抱きしめたら壊してしまいそうなくらい儚くて……もっと抱きしめたくなる、切なくなる気持ちを抱かせる感触を。  この気持ちは、興奮と欲情とはまた違う感情に思えた。似ているけど異なるもの。なんとなく、枕を抱きしめて思い出してみる。再現してみる。  ……なんか、すっごく切ない。胸のあたりにあるべきものが足りない気分だ。 「イルさん! そろそろご飯できますよ!」 「わかったー!」  オレは返事をしてすぐにリビングへ向かう。エプロンを付けた小さな後ろ姿をみて、胸の中で炎が灯って、何かが溶け出ている感覚を覚えた。  翌日、私はお仕事の日。イルさんは今日もおやすみなようで定期検診にきていた。  お休みだったのは知っていたけど、今日が検診の日だったことを私は知らなくて……たまたま入ってくるところで出くわして、ひらひらと手を振って挨拶しあった。  髪を後ろで結って気合いを入れている私は、医療器具を運ぶ。 でもお仕事中なのに、昨日のことを思い出して、とっくんと心臓が高鳴る。やっぱり好きだなって……。  イルさんの感触を、匂いを、温もりを思い出してどきどきする。  ああ、私、幸せだなぁ。お仕事、雑用ばかりで医療なんて全くできないけど、もっとがんばろう!  ああ、お父さんに話を聞きにいかなきゃないんだった。医療器具を運び終えたあと、次に頼むことがあるから、とお父さんに呼ばれていたので、院長室へ向かう。  部屋に入るためにノックしようと思ったが、中から声がした。  ……このかっこいい声はイルさんだ。まだ診療中だったんだ。少し待ってよう。  扉の隣に立って、二人の話が終わるのを待つ。……必然的に声がきこえてきてしまうわけで。  イルさんの体調の話なら、聞いても問題ないよね……? と言い訳しつつ。 『約束の方、どうなってるかな?』 『特に、進捗はないですよ。オレ自身、できることはないですから』 『……そうか。まあ、頼んだよ。自然と別の道を選ばせられるように、選択肢を見せてあげるだけで良いから。エリンに、医療以外の夢をみさせてあげてくれ。……諦めて楽にさせてあげてくれ。僕が期待してしまって、応援した手前、言ってあげられないんだ』  夢をあきらめさせる……? 私の医者になる道を……?  イルさんとの同居生活の目的がそれ……?  お父さんの気持ち、イルさんが隠していたこと……秘密裏に私に夢をあきらめさせる約束をしていたことに、ショックを受けてしまった。  ……医者、看護師になれないことは解ってた。回復魔法が使えないから。でも、医療の近くでお手伝いしていければいいなって……イルさんに、回復魔法が使えないから、雑用だけだったことを隠していたのに……イルさんは、知ってたんだ。 「……私、ちょっとばかなことしてたみたい」  イルさんには知られたくなかった。イルさんのことが好きになったからというのもあるけど、それ以前から、普通に医療に携われる……イルさんみたいに誰かを助けられる人だと見栄を張っていたかったのに。  医者や看護師になれなくても、医療のすぐそばにいられるならそれでいいとは思ってたけども……いつか、言う時が来るとしても、まだ、知られたくなかったな。  ……そっか、知ってたんだ。私、恥ずかしいな。見栄張って隠して……あの夕焼けの中で、私を慰めてくれたイルさんに嘘をついて……。  イルさんは、なんて思ってたんだろう……。こんな風に嘘をついてた私のこと、振り向いてなんかくれないよ……。  抱きしめあった感触が、受け入れられていたという気持ちが、一転して……哀れな私に情けをくれただけなんじゃないか、という冷たい気持ちに変わる。  イルさんは、優しい人だから……初めて話したあの日も、助けてくれた日も、きっと昨日のことも、ただ、優しくしてくれただけなのかもしれない。  ネガティブな思考がぐるぐる回る。そんなことはない、と言う考えもあった。信頼、同居人としての、家族に近い親愛のようなものがあったから、そんな哀れな子を受けいれただけではなく、もっと別の感情から来るものじゃないかと。きっとそれは恋愛感情ではないけども、冷たいものではなく暖かいものであると。  ……ああ、でも今はだめ。悪いことしか考えられないよ。  気になって、気になって……その場にいるのがつらくて、私は離れていった。  イルさんにとって、この同居生活は、出来そこないを諦めさせるためだけのものじゃないよね……?  優しいあの人を疑ってしまう。罪悪感と不安が津波のように襲ってくる。  家に帰って、院長先生にいわれたことを思い出す。  エリンの夢をあきらめさせて、医療関係から遠ざけてくれたら、オレの正体を秘密にする、と言う約束。  正直、エリンちゃんが医療関係に携わっていたいならオレはそれでも別にかまわない。オレは、回復魔法が使えなくとも、医療のためにエリンちゃんが本気で頑張ってるなら、それを応援したいし支えたい。……同居人で、家族のようなものだから。  でも、医療関係という選択肢……医者や看護師と言う選択肢しか見えてないのなら、もう少し選択肢を増やす手伝いはしたいと思った。今のエリンちゃんなら、いろんな道を選べるから。  きっと、初めてあった時、似てると思ったのはこの部分なんだろう。オレには、一つの道しか選べなくて、エリンちゃんは一つの道しかないと思いこんでる。  それならもっと多くのものを見せてあげたいなって。 「た、ただいま、です」 「おかえりエリンちゃん」  家にエリンちゃんが帰ってくる。部屋の間取り的にオレの部屋、お風呂場以外はリビングを一度通らないと行き来が出来ない ちょっと元気がないみたいだった。仕事で失敗でもしたのだろうか?  あまり、触れない方がいいだろうと判断する。静かに支えてあげるんだ。つらかったって自分から言ってくるなら、正面から慰めてあげよう。 「ご飯、もうじきできるけど、どうする? 先にお風呂?」 「先にご飯で。荷物置いてきますね」  そういってエリンちゃんが行って帰ってくるまでに、料理をテーブルの上に並べておく。  戻って来たエリンちゃんと椅子に座り、食事を始めた。  ……今日のうちに聞いておかないとね。 「ねえ、エリンちゃん」 「ど、どうしました?」  改まって聞いたせいか、エリンちゃんが変にかしこまってしまった。 「そんな、大事なことじゃないんだけどさ。今度、王都に旅行に行こうと思うんだ」 「……王都にですか? 帰って、きますよね」 「もちろん帰ってくるよ。新王の即位式を見たらね。……明日には、出ようと思う」  エリンちゃんが不安そうな顔で、オレを見つめる。昨日の海でのことを考えると、そんな反応をするんじゃないかなって思ってた。そんなになついてくれるというか、慕ってくれるのは嬉しい。 「でさ、エリンちゃんも一緒に旅行にいかない?」  だから、君と一緒にいたいなってオレも思ってしまったんだ。二ヵ月一緒にすごしてきて、エリンちゃんがいない生活はきっと物足りないから。 「私も一緒にいって、いいんですか……?」 「エリンちゃんが一緒だと、きっと楽しい旅行になるから。ダメかな……?」 「ダメじゃないですよ! ぜひ、一緒に旅行にいきたいです! あ、でも、お仕事が……」 「大丈夫、エリンちゃんが了承してくれたなら、お休みにするって院長先生がいってたよ」  彼女はぱあっと明るい笑顔を浮かべて「じゃあ、付いて行きますっ! 急いで準備しますね!」と頷いてくれた。  なにか落ち込んでいたようだけど、笑顔になってくれてよかった。  エリンちゃんの笑顔を見ると、胸のあたりからゆっくりと熱が広がっていって、落ちつく。でも、同時に心臓の鼓動が少しだけ早くなる。興奮、欲情、そういうものとは違うこの感情をなんていうんだろうな。  オーハーバからヒューマニクス王国王都までは、徒歩ではかなりの日数がかかるが、馬車を使えば約三日で付く。  盗賊や、野生のケモノ、少なくなったとはいえ魔物の危険性もあるので、傭兵や騎士団の護衛がついている行商一行の馬車に乗せて貰うか、そこに混ぜてもらって移動するのが一般的な旅行の仕方だった。  でも、どうしてもルートが決まっているので、そこから離れる場合は、自分で馬車、馬を借りるか、徒歩で移動するしかない。  私たちは、オーハーバから王都行きの行商人の馬車に乗せて貰うことにした。料金を払って、二人で幌馬車に乗せて貰うことになった。御者……というか馬車の持ち主は、問屋さんらしくて、色んなアクセサリーや家具、小物が積んであった。  クッションを敷いて、私は馬車の後ろ、出入り口になっているところの側に座って揺られていた。  ……オーハーバの壁がどんどん遠くなっていく。もうじき、見えなくなるだろう。初めて街の外に出かけるから、少し不安だった。 「次に帰ってくるのは一週間後になる……ちょっと恋しくなるかもね」  隣にイルさんが座って、そう優しくいってくれた。……イルさんと一緒にいられるから、そこまで怖くはなかった。  昨日、家に帰るまで、イルさんは私をどう思っているのか不安だった。哀れな子、そんな扱いに気付かずに甘えていたらどうしようって。  でも、昨日、旅行に誘ってもらって思い出した。それだけじゃなかったって、ただ哀れな子に優しさを向けてるだけじゃなくて、元々イルさんは優しくて……恋愛感情じゃないと思うけど、海に誘ってくれたり、こうして旅行に誘ってくれている。……一緒にいると楽しいから、と。ご飯もそうだけど、私を楽しませようとしてくれたり、してくれている。  その行動は、憐みとか情けとかそういうものとは違う気がして……ううん、違うと思いたかった。  今夜、お父さんとイルさんの約束についてきいてみるんだ。回復魔法が使えないことを、医者や看護師に向いていないことをどう思っているのか。  ……そのことを隠していたことを、どう思っていたのか。不安はほとんど溶けだけど、まだ少し残っているものも、無くしてしまいたいから。  イルさんが振り向くことはなくても、なんの気兼ねなく想っていたいから。  夜、広い草原で、何台もの馬車が円を作るように並べられて、その中で私たちは就寝のための準備をしていた。  テントを張ったり、人によっては寝袋を用意したり、魔法で薪に火を灯して、明かりを生み出す。  私とイルさんは、テントを張って寝ることにしていた。……一つ、テントの下で寝ることになっていた。  魔道具であるランプでテント内の灯りを確保する。シートの上に、薄い生地の布団を敷いて眠る予定だ。  水浴びは、魔道具を用いたシャワー室が用意されているのでそこを一行の全員で交代で使い、さっぱりしている。  ……二人、ほぼ同じ時間にシャワーを出たので、テントの中にお互いの石鹸の匂いがたちこめていた。 「まだこの辺りは暖かいけど、王都の方に行くとちょっと肌寒くなるから、ちょっと厚手のものを用意しないとだね」 「そうだったんですね……あまり考えてなかったので薄い物しかないです」  自分の着替えの内容を思い出してみる。薄手のワンピースやシャツばかりだった。 「じゃあ、明日どうにかしよう。……そろそろ寝よっか」  布団に入り、イルさんは横になろうとしていた。 「あ、あのイルさん」  そんなイルさんに声をかける。あのことを聞くために。  ねっころがろうとしていたイルさんは体を起こして「どうしたの?」と尋ねてきた。  ……大丈夫、きっとイルさんは、哀れな子、出来そこないとか思ってないはずだから。深呼吸して、質問してみた。 「……イルさん、私が回復魔法、使えないこと知ってたんですよね……? それとお父さんに、諦めさせるように言われてたとか……」 「聞かれちゃってたか。……うん、ごめん、知ってた。同居生活をする時そんな風にお願いされた。『僕のせいで医者以外の道が見えていないのは可哀想だ』って」  イルさんは素直に喋ってくれた。その顔は申し訳なさそうに顔を伏せていて……。 「……初めてお出かけした日、泣いてしまったのはそれが理由だったんです。なにもできない自分がいやで……それを優しく慰めてくれたイルさんに知られたくなくて……無力な自分が恥ずかしかったから」  顔を伏せて、ぽつりぽつりと気持ちを形にして、こぼしていく。  イルさんには、きちんと話しておきたい。知られているなら、自分から出来そこないだと言っておきたい。  イルさんはきっと……出来そこないの面倒を見てた、なんて思っていないと信じて。  恋愛感情はなくとも、信頼を築けた楽しい同居生活であったと。 「……きれいな夕焼けだったから覚えてるよ。なんとなくオレに似てる気がしたんだ。なんというか……不器用な感じがしたっていうか、重荷を背負ってるって感じが。……あとで院長先生から、君が回復魔法を使うことができないけど、医療の道を目指してるってきいて、理由が解ったんだ。オレもエリンちゃんも、道を選べなかったんだって。自分の未来が決まってるって思いこんでいたんだ。……オレは選択肢なんてなかったけどね」  優しい声が私の耳朶を震わす。それは、懺悔のように聞こえた。後悔の念も籠り、まるでなにかに謝っているようだった。私だけでなく、ほかのだれかにも。 「エリンちゃんが、普通に医療に携わってるって嘘ついたことなんて気にしないよ。むしろ、そう言い切ってしまいたいほど頑張ってるのは一番近くてみてたから。……それにさ、もうひとつ、エリンちゃんに内緒で聞いたことがあるんだ」  内緒で聞いたこと? 回復魔法が使えなくて医者、看護師になれないこと以外に隠していることは私、ないはずだけど……?  疑問に思って伏せていた顔を上げる。イルさんが、優しい顔で私を見ていた。彼はほほ笑みながら、嬉しそうに言う。 「君が、オレを見つけてくれたこと。最初に見つけて、看病してくれたこと。……本当の意味で、エリンちゃんが命の恩人だって、聞いたんだ」  恩着せがましいからと思って言わなかったことだった。お父さんがそれも教えていたのだろうか。  ……あの日、ダグラスさんから守ってもらった日、『オレの命を救ってくれた人』とイルさんは言ってた。私はそれを、医者、看護師の仕事をしているから、という意味に受け取って罪悪感があったのだけど……イルさんは、本当の意味で命の恩人ってその時から……? 「確かに、回復魔法が使えないと、医者、看護師……あと薬剤師か。医療にきちんと携わるのは難しいかもしれない。けれど、エリンちゃんは医療に携わる人間として、大事な心を持っていると思う。優しい女の子だと思う。……院長先生には、やめさせてあげてくれって言われたけど、エリンちゃんが頑張るならオレは応援するよ。大変な道だと思うけど。側にいられる間は絶対に。友達、とはちょっと違うけど家族のような近しい人としてね」  どこまでも力強くて……受け止めてくれる優しい言葉だった。ふと、一昨日のイルさんに抱きしめられていた感覚を思い出す。  まさに、あの行動がイルさんの言葉を現していた。受け止めて、支えてくれた。 「でも、今の道以外を知るのも手だと思う。医者、看護師以外の医療に携わる道を見てみるだけでもね。エリンちゃんは院長先生のことがあるから、医者と看護師以外が見えてないと思うんだ。……探すのも手伝うよ。もし、諦めてしまっても、次の道を見つけて、そこを進むまで、オレは一緒にいるからさ。邪魔にならなければだけど」  イルさんはほほ笑みながらいう。退路も別の道も用意しつつ、それでも背中を押して上げるよ。優しく吹く潮風のように背中を押してくれて、木陰のように心地良い居場所になってくれる……私の故郷のような素敵な人。 「邪魔になんてならないですよ。私、頑張りますから、イルさんに応援してもらいたいです。お願い、できますか?」 「もちろん。まかせて」  にこっと彼は笑う。その笑顔は本当にかっこよくて……心臓がときめいてしまう。心を苦しめていた不安と言う氷の鎖は溶けてなくなった。  イルさんはやっぱりそんな人じゃなかった。  だから、私は……。 「やっぱりイルさんが好き……」  うん、大好き。今まで、誰かのために戦って、そのために奪った命に後悔している優しい人。誰かを励ますように支えるように笑顔を浮かべてなごませてくれる人。私のために本気になってくれる人。  できることならすべて投げ出して、彼の胸に飛び込んで支えて、包みこんでほしかった。あんなに心地良くて、どきどき興奮できて……でも幸せを感じることなんてきっとない。  だけど、それだけの私にはなりたくなかった。  イルさんに選んでもらえるような女の子になりたい。抱きしめられるんじゃなくて、受け止められるんじゃなくて、抱きしめ合えて、支え合えるような関係になりたい。  あれ、なんでイルさん顔を真っ赤にしてるんだろう? 笑顔を絶やさないイルさんには珍しく、目を見開いて驚いているような顔をしていて……まるで、告白されたような――……。  そこで、自分の失敗に気づく。もしかして、声に出てた……?  顔が……ううん、体中が熱くなる。変な汗がぶわっと出てくる。心臓はドキドキしてしまって……。 「え、エリンちゃん……?」  イルさんに声をかけられて、私は驚いて飛びはねてしまいそうになる。 「お、おやすみなさい!!」  私は、誤魔化すようにばっと布団に入って、横になってイルさんに背中を向けた。  やっぱり声に出して言っちゃったみたい! 好きって伝えちゃったんだよね……!? ああ、どうしよう……明日、普通に接することができるかな……。  少し、思考が落ちついてきた私は、ぐるぐると考えて、一つのことを思いついてしまう。イルさんのあのリアクションはどっちだろう?   隠していたことがあってもイルさんは私の力になりたいと言ってくれた。家族に近い友達と。  じゃあ、イルさんは私に好きって言われてどう思ったんだろう? 家族なような子だから、そんなこと考えたこともないし、想うこともない、とか……?  でも、拒絶って感じではなかったような……?  私が自分の中で考えても答えは出ることはなく、悩み続けるしかなかった。ぱちっと光が消えて、イルさんの「お、おやすみ」と言う声が聞こえる。  また悩んでしまう日々が始まってしまいそうだった。……けれど、今の悩みは、苦しくはなかった。  邪魔だったものはなくなって、純粋に恋愛ができる……ふられてしまっても、お友達でいられたらいいな……。  光を消して、オレも布団を被ってなんとなくエリンちゃんに背中を向ける。  抱きしめた時もドキドキしたが、今はそれ以上に心臓が暴れていた。戦闘の時の興奮よりも強く激しい動悸だ。  テントの中を爆音が響いて、エリンちゃんに聞こえてしまうんじゃないかって心配になるくらいに。 『やっぱりイルさんが好き』  エリンちゃんの言葉が再生されて、心臓が高鳴った。敬語じゃなかった。あれはきっと無意識な言葉で、……とろけたような、眼がうるんで顔が赤らんでいて……つい、心から溢れてしまった言葉に思えた。  ……恋愛的に好きなのかはオレには解らなかった。家族に対する好きなのかもしれないし、異性に対する好きなのかもしれない。ただ、その言葉はエリンちゃんが本気で思っていることだけは解った。  それにもうひとつ、解ったものがある。   オレは、エリンちゃんのことを異性として好きだ。    こんなにも心臓がうるさいのは、こんなにもエリンちゃんに触れて興奮、欲情してしまうのは、こんなにも……胸に物足りなさ、切なさがあるのは、全部、エリンちゃんを好きになってしまっていたからだ。  ……いつからだろう。初めてあった時から可愛いと持っていた。褐色の肌の可愛い女の子だと。暮らし始めてネガティブだけど笑顔が可愛くて、エリンちゃんは隠し事をしていたことを恥じていたが、オレの方こそ何も言っていないのに、優しくしてくれて……健気で、一生懸命で……。  ああ、オレ、あの時、エリンちゃんが言い寄られた時、嫉妬してたんだ。付き合ってもないのに独占欲が働いてたんだ。  気付いて恥ずかしくなる。その時にはもうすでにエリンちゃんが大好きだったんだ。 ……こんなにも似ている女の子を、守りたい。支えたいと思ってしまっていたんだ。  騎士のあいつは言っていた。『恋愛は熱いものだ』と。  王子のあいつは言っていた。『恋愛は、全てに変えてしまえるほどの感情だ』と。  ……親友たちの言う通りだ。すべてに変えても、いや、これからの全てをくべて、この感情を燃やして、したがっていきたい。  エリンちゃんのために、生きていきたい。  ……ダグラスのやつと同じようにならないように気をつけないとな。  初恋に気付いたオレは、その感情と向き合いながら目を閉じた。  ……寝るのには時間がかかってしまった。  国に戻って来てすぐ俺は騎士団屯所へと向かう。ここ一か月離れていたからな。重要な件は手紙をよこせと言ってあるが、万が一もある。 「フリードマン団長! お疲れ様です!」  騎士団長室へ向かう途中副団長のザロが挨拶をしてくる。歳は彼の方が上だが、俺の方が立場が上になっていた。 「ご苦労だった。ここ数日でなにかあったか?」 「はい! それに付いて報告があります。……新国王が直々に話したいと」 「分かった」  頷いて騎士団長室へ向かう。 「……お連れも連れて行くので?」 「あの世界を救った勇者一行だ。問題はないだろう?」 「ええ、その通りでしたね」  えっへへーとルカが無邪気に笑う。マオは興味深そうにキョロキョロしていて、アンナは居心地が悪そうだった。……やめたばかりだもんな。  いまだに慣れない騎士団長室に入って、俺は映像魔法を発動するために魔法を唱えた。魔力の糸は向こうと繋がり、新国王、俺たちの仲間のレイオ・ヒューマニクスが投影される。金の髪に、金の瞳。中性的にも思える整った顔でありながら、王としての気品、そして男らしさを感じさせる。この旅で色んな場面を乗り越えて、目つきがよくなったからか。  『お疲れみんな。彼が見つからなかったのは残念だけど、君たちになに事もなくてよかったよ』 「ああ、なにも見つけられなくてわるい……それで早速だけど話って?」  俺は横目でアンナを見る。彼女は根っからの騎士だ。辞めた後でもそれは変わらない。今にもレイオの前に膝を付きたくて体が震えている。  仲間になってから、友人として振る舞えというレイオの言葉に素直に従っているが、心身に染みついたくせは中々抜けないようだ。 『……父の件だ。前国王が僕の即位式を邪魔しようとたくらんでるようでね。北の方に旧国王派の残党が集まっている。数は千程度。多くはない』 「……即位式に早速襲われるのはイメージダウンになりかねないか」 『そういうことだ。魔王を倒してやってきた新時代、その最初の国王が暗殺未遂なんて話が出回るのは今後に響くだろう』  暗殺未遂とさらっといっている辺り、こいつは強くなったと思う。もっとネガティブというか弱気な奴だった。  だけど、イルシオンと知り合って、覚悟が決まったのか強くなってる。暗殺のために攻撃されても自分と姫の身は守りきるつもりなんだろう。 「じゃあ、俺たちは暗殺の実行犯を止めれば良いんだな。……パレードで狙われそうなところを徹底的に監視、それと逮捕」 『ぜひお願いしたい。なるべく秘密裏に。もうすでに何人か逮捕して情報は聞き出してある。そこを重点的に小人数で対応してくれ。……敵軍の方はリールとルルにお願いした。暗殺の実行と共に、失敗であろうとも攻め込んでるようだからね』  俺は驚いて思わず聞き返してしまう。 「リールが?」 『うん。「お兄ちゃんならこうするはずだから」だってさ。……ほんと、あんな健気な妹を置いておいてどこに行ってるんだろうね』  兄のイルシオンが死んだかもしれないと、ショックで引きこもっていたが、なんとか立治ったようだ。完ぺきではないから早くあいつを見つけてやらないとな。 『魔力は辿れないようだけど、取りあえず生きてることは解っているし、きっとすぐ見つかるよね』 「ああ、きっとな。……最近仮説をたてたんだが、嫁さんでも貰って隠居してるんじゃねぇかなって」 「あ、それあたしも思ったかも! イルシオンお兄さん、素敵な人見つけたらころっていっちゃいそうだなーって」  パーティ内での恋愛はなかった。ルルとルカは、イルシオンと友達以上に仲良くなっていたが恋愛と言う感じではなかった。家族、そう言い表していいような仲間だ。 「ね、マオちゃんはどう思う? ってあれ……?」  ルカがそんな間抜けな声を出したので俺も振り向くが、マオの姿がどこにもなかった。  部屋に入ってきたときまではいたのを覚えているが……どこへ行ったんだ?   街を守る城門をくぐり、私たちは王都に到着した。 「わぁ……」  レンガ造りと石造りが混在するきれいな街並みだった。きっと区画整理されているのだろう。道にそって建物がずらっと並んでいる。  新国王即位に向けて、紙や風船で飾り付けがされており、街をゆく人たちもにぎわっている。  遠くの方に、大きなお城が見えた。魔法を用いて作った大きな城、ヒューマニクス城が。きっとこの街全体をあの城から見渡せるのだろう。  馬車に揺られながら王都をしばらく進むと、開けば場所に止まる。そこにはいくつもの馬車と、いくつもの簡易なお店が並んでいた。露店市、というものだろう。 「お客さん、ここが終点だよ。何事もなく付いてよかった。帰りは違う方向だから名残惜しいが……」 「おじいさん、ありがとうございました。良い旅になったよ。また元気で」 「お世話になりました! おじいさんに女神さまの加護がありますように!」 「ああ、またなー! 駆け落ちはいいが、あとできちんと故郷に帰って挨拶するんだぞー」  御者のおじいちゃんは私たちを駆け落ちした夫婦だと思って譲らなかった。何度も否定したけど、そのうち諦めてしまった。  もちろん、イルさんと夫婦として扱って貰えるのは嬉しいけどね!  私たちはおじいさんに手を振って、歩き出す。 「エリンちゃんが女神さまのことを言うの初めて聞いた」 「お父さんの影響が一番ですけど、医療をやってるとどうしても神頼みでいられなくて……それで、このあとどうするんです?」 「まずはエリンちゃんの服を買おうか。そのかっこうじゃ寒いもんねー」 「……たしかに、ちょっと肌寒いです。きちんと気候のこと考えるべきでした」  南の暖かい気候に合わせた服しかなかったため、私はいつもの薄手のシャツにロングスカート、その上にイルさんから借りたパーカーを羽織っている。……ぶかぶかだけど、イルさんの匂いがしてちょっとふわふわしてくる。  大分マシではあるけど、薄手のためまだ寒い。 「行商と一緒に行動すると良い特典があるんだよ」  イルさんは得意げな顔で私に言ってくる。 「特典とは?」 「朝早い時間に着くように移動してるから、良い商品がまだ残ってる場合があるんだ。服は解らないけど、武器や魔法アイテムはいいのがあったよ」  そんな風に私たちはおしゃべりしながら歩いていると、ちょうど服を売っているお店を見つけた。 「いらっしゃい。北の方から持ってきた服だよ。よければ見て行って」  店員のお姉さんが明るく教えてくれた。 「北の方って寒いんですよね? それにしては生地が薄いような?」  私は服を手に取りながら、疑問を口にしてしまう。 「たぶん、季節がある地域なんだろう。暖かい冬、春に近い気温の季節と寒い季節。そろそろ向こうは寒くなる時期だから、売れ残った暖かい時に着る服を在庫処分に持ってきているんだと思う」 「もう、人聞きが悪いよお兄さん。向こうでは季節外れだけど、売れ残りじゃあないからね。彼女さんもなにかいってやってよ」 「か、彼女だなんてっ。でも、可愛い服ありますね。イルさん、これどうでしょう?」  私は一着手にとって体に合わせてみる。水色のフードの付いたジャケットだ。きっちりした生地を使っていて風を通さなくて暖かそう。 「似合うね。……にしてもエリンちゃん肩出すの好きだよね。きれいな肌だから見てるこっちはいいけども」  たしかに、この服も肩の部分が切り抜かれていた。両手を広げると脇が見えるくらいには大きな穴が作られている。  私の持ってきたノースリーブのシャツと合わせるといい感じになるかな? 「じゃあ、こっちの白いスカートと合わせてみようか? おしゃれに疎くて申し訳ないけど似合うと思うよ」  イルさんの言葉にしたがって、そのスカートを手に取る。あとはハイカットの靴を選び、その他三日分ほど一通り選ぶと。 「合計いくら?」 「二万ヒュムだね。……うん、確かに! まいどありー」  イルさんはさっとお金を払ってしまう。 「か、買ってくれるんですか?」 「旅行に誘ったのはオレだしね。可愛いエリンちゃんを見られるのは、オレだって幸せだから」  袋に詰めて貰っている間、そんな風に返されてしまう。……昨日のせいもあってすぐに私の顔は熱くなる。  お、お返ししてみようかなっ。 「じゃあ、おしゃれした私を、きちんとみてくださいね……?」  さすがに、可愛い私、とは言えなかったけど、少しはアピールになっただろうか? 今までのイルさんだと「ああ、もちろん」って返されてしまいそうだけど。 「わ、わかった……」  赤くなって顔を逸らすイルさんがいた。あれれ……? いつもと違って、照れてる? 心臓の鼓動がさらに加速する。  昨日のことを意識してたりするのかな? それってもしかして、意外と私のこと……? 「いちゃいちゃするの、お店の前ではやめとくれー」 「「は、はい!」」  店員さんに話しかけられて私たちはその場を去るのだった。  オレとエリンちゃんは王都の大通りを歩く。さっきよりも王城が見えやすい。距離は離れているが、この通りは直接王城まで繋がっている道だった。 ここはパレードに使われるようで、飾り付けは派手。そして多くの騎士たちが常に巡回していた。 「イルさん、フードかぶってますけど、寝ぐせとか気になるんです?」 「いや、顔を余り見せたくなくてさ……。オレ、行方不明になってるはずだから」  なるほど、とエリンちゃんは納得してくれる。知り合いに合ってしまったら、エリンちゃんとの同居生活が終わってしまうから。それは嫌だった。  オレはのんびり暮らしたい。大好きなエリンちゃんと平穏に。 今向かっているところもリスクがあるから、あまり行きたくないんだけどね。この件については一番信用できる人だから。 「ついた。このお店だ」 「武器屋さんですか?」 「うん、王都一番の武器屋。王国軍にも武器を卸している名店だよ」  説明すると、オレの手を柔らかい感触が包む。視線を落として見ると、エリンちゃんがオレの手を小さな両手で包んでいた。 「武器、必要なんですか?」  心配するような、怖がっているような、そんな表情。海に遊びに行ったときにも本気で言ってくれていたね。だからオレは君のことが好きなんだ。  みんなは戦えと言ったけど、戦うなって言ってくれたのは君だけだから。  その小さな手に握られていない方の手を使い両手で包む。 「武器はいらないよ。ここに泊めて貰うんだ。ほかの宿は客でいっぱいだろうから」 「そうなんですね……」  ほっとしたようにエリンちゃんの手がそっと離れる。少し寂しい。  オレとエリンちゃんはお店の中に入る。そこには、白髪を伸ばし、後ろでしばっている老人がいた。 「いらっしゃい。明日に備えて早く店じまいするから、申し訳ないが時間には気をつけてくれ」  その老人はカウンター席で本を読みながらそう答える。 「親戚の子供が来たのに、追い出しちゃうの?」  オレがそう言うとばっと顔を上げる。メガネの奥の瞳が大きく見開いていた。  フードをとって「やぁ」と片手をあげてオレは挨拶する。 「……いきとったのか。髪の色が変わってたから気付かなかった」 「うん、元気だよ、おじさん。久しぶり」  カウンターのすぐ近くまで行くと、さっきまで険しい顔をして本を読んでいたおじさんは優しそうなおじいさんの顔をして歓迎してくれた。 「どこにいっとったんだか……。みんな心配してたぞ。そしてその子は?」 「順番に話すよ。この子は、エリン・ピース。今住んでる街でお世話になってる子なんだ」    イルさんは、かいつまんで武器屋の店主さん、ヴァリー・セイヴァーさんに話した。イルさんを探している人に教えないことを約束して。  隣で聞いていたけど、大分はしょっていて私には内容は解らなかった。  私の知っている限りのイルさんだけしか見えない。どこかで戦って大怪我をして、私の故郷で療養しつつのんびり暮らしていると。  新国王の即位式を必ず見るという約束を誰かとしていたようで、そのために王都まで来たそうだ。 「なんだ新婚旅行か」  なんて、ヴァリーさんはからかいつつ、私たちに部屋を案内してくれる。客室のようで、左右の壁に沿って一つずつベッドが置かれている部屋に。 「今使えるのはここしかない。まあ、のんびりしていってくれ。夜、はしゃぎすぎて大声出すなよー」 「そんなことしないよ……」  夜にはしゃぐ? まくら投げとかかな?  ヴァリーさんは部屋を出て店番に戻ったようだ。ドアを閉めて私たちは荷物を置く。 「い、イルさん。早速着替えたいと思うので、その……」 「ああ、解った。外で待ってるね」  上着ありがとうございます、とお返ししてから、買って貰った服に早速着替える。  イルさんは、結構お洒落すると気付いてくれるし、ほめてくれる。最低限のお化粧しかしてないけど、ちょっとだけ口紅を変えると気づいてくれるし、髪型を結っているとそれも気付いてくれる。  ほかの誰でもないイルさんだから、気付いて貰えると嬉しいんだろうなぁ……。おしゃれは自分が楽しいからしていたのに、イルさんに褒めてもらいたい私がいる。 「イルさん、もう大丈夫ですよ」  着替えを終えて、イルさんを部屋に招く。 「ああ、やっぱりエリンちゃんに似合ってる。可愛いよ。……あんまり、女の子にいうべきじゃないだろうけど、エリンちゃん足きれいだよね」  いつものようにイルさんがほめてくれた。さっきかったジャケットとスカート、ハイカットを履いたものの、靴下はくるぶしくらいのもので、私は素足を晒している。  いつものように、だったけど、イルさんの顔が少し赤くなっているように思えて……なにか違うものを感じてしまう。 「褒めて貰えて嬉しいです! でも、確かにちょっと後半はダメかもですね。イルさんの変態さんっ……」  ちょっと普段言わないような、お返しの言葉を言ってみる。私を褒めてくれた言葉に対して、調子に乗りすぎてないだろうか。 「あ、ああ、ごめん」  また、イルさんが顔を隠して逸らす。いつもと違うイルさんの姿を見て、少しは意識してくれているのだとやっと確信する。  ……脈あり、ってやつなのかな?  じゃあ、もう一歩だけ踏み込んでみよう。ちょっと大人こと、背伸びして、イルさんと同じたかさになるように。 「そ、そのですね。そういう風に言ったものの、私……イルさんにならそういう目で見られてもいいですよ……?」  私は、イルさんに必要とされたい。そして、イルさんの支えになりたい。……ううん、お互いに必要として、支えある関係になりたい。今は、同居人として支えあえる関係だけど……彼氏、彼女として。  異性としてみられたい。女の子としてみられて……性的にもイルさんになら……。 「それって――……」  イルさんが確認するように言葉を紡ぎだそうとしたとき、コンコンっと部屋のドアがノックされる。 「おじさんかな?」  イルさんがそう言って部屋のドアを開ける。でも、そこには誰もいなかった。  すると、イルさんが顔を下げて、視線を下にむける。 「久しぶり、イルシオン」 「……ああ、久しぶり」 舌足らずな高い声が聞こえた。なんとなく小さい女の子だと思ってしまう声。  イルさんがドアの前を開けて、その子の姿が見える。  黒く長い艶やかな髪に、吸いこまれそうなぱっちりした黒い瞳。身長はイルさんのお腹くらいの高さで、幼い女の子。でも、可愛いというより美人さんと表現したくなる女の子だった。  黒い髪と黒い瞳、その二つの特徴がイルさんとかぶっていて、どこか似ている気がした。  でも、何よりも目を引くのはその子の額に生えている角だ。獣人、というのは他の大陸にはいて、時々港で見かけることはある。この国では珍しい。  きっと、この子は他の大陸からきた子なんだろう。  って、今、イルさんのこと別の名前で読んだよね? イルシオンって言うんだ……。  そのイルさんは、女の子に視線を合わせて質問する。 「どう? 結構楽しくやってる? えっと……」 「マオ。記憶しておいてね。うん、楽しくやってるよ」  独特の空気があった。親しいような、そうでないような、近いのに壁があるような、そんな雰囲気。  すると、マオちゃんと名乗った女の子がイルさんから私に視線を移す。  私もイルさんと同じように視線を合わせて挨拶をした。 「初めまして。私はエリン・ピースっていいます。よろしくね、マオちゃん」 「よろしく、エリンさん。マオはマオっていいます」  じーっと黒い瞳が私のことを見つめてくる。な、なんだろ? 「イルシオン、良い伴侶を見つけたんだね。唯一マオに教えられなかったもの」 「は、はんりょ……!」  マオちゃん、結構難しい言葉知ってるんだね! と私は思考停止してしまう。 「ああ、こう言う風に一緒にいてくれるのはとても幸せだよ」  イルさんは、伴侶と言う言葉を否定せずにマオちゃんにいう。同居人という意味では近いからかな?  マオちゃんが来てからずっとイルさんは、真面目な顔をしていた。ほほ笑んでいるけど真剣で……。  私の見たことのないイルさん。『イルシオン』さんがいるような気がした。 「マオがいうのはきっとお角違いなんだけど、イルシオンのことよろしくね。マオたちみんなイルシオンのこと好きだから」 「はいっ。お世話は任せて!」  マオちゃんがそう優しく言ってきたのできちんと返す。イルさんの面倒は……ううん、私たちは支え合って生きて行きたいから。 「で、マオ。再会できたのはいいけど、みんなには内緒ね?」 「うん、内緒。でも、イルシオンにはちょっと働いてほしいなって」  すると、ポケットから一枚の折りたたまれた紙を取り出す。それは地図だった。この王都の細かい街の地図。  そこに、あとから書き足したと思われる赤い点が、いくつか付いている。 「旧国王派がここからレイオを暗殺しようとしてるんだって。今判明してるのはこのポイントだけ。ほかにもいくつかあるだろうから、イルシオンにお願いしようと思って」  心臓がぎゅっと鷲掴みにされた気分になる。イルさんが、戦闘しなくてはいけない。そう思うと苦しくて。 「……どうしてオレに?」 「たまたま王都に帰って来てたっていうのもあるけど、騎士団として行動しているみんなより、イルシオンの方が身動きを取りやすいから。それに強いしね。あの魔王を倒した勇者さまは」 「マオがそう言うのはやめてくれ……」  さらりと、マオちゃんがとんでもないことを言う。  え? イルさんってただの冒険者、傭兵じゃなくて、勇者!? 魔王を倒した!?  あの日、この大陸の空を覆った七色の光を思い出す。力強いあの光を。世界を救うほどの優しい光を。 「イルさんが勇者……?」 「あー……エリンちゃんには今度詳しく話すよ。それじゃあオレはオレで、暗殺者を倒すよ。あいつの大事な日だから。このチェックポイントの……一番近いところ。ここを襲って、情報を聞き出して、こいつらの拠点に攻撃をしかけてさらに詳しい情報を聞き出すから、明日の昼すぎ、ここに来てくれるか? そしたら、情報をマオに全部渡すから」 「ありがと、よろしくね」  それだけいうとマオちゃんは黒髪をひるがえして、部屋を出て行く。と思ったらひょこっと顔を出して。 「みんなには二人のこと言わないけど、結婚式には呼んでね。マオ、一度くらい友達の結婚式に参加したいなって」 「け、けっこ……!」  私が慌てているうちに「お幸せにー。おじゃましましたー」と去っていってしまった。  ……そういえば私もイルさんも、結婚できる年齢なんだなぁ、と改めて意識してしまって恥ずかしくなった。  日が落ちる。きれいな山並みに太陽がすっと隠れていった。  その様を、僕、レイオ・ヒューマニクスは玉座から見ている。即位は明日だけど、実質的な王として僕は君臨していた。 「今日の執務は以上になります」  補佐にそういわれて、玉座を立つ。自分の寝室へ向かうまでの道を歩きながら、あの日のことを思い出す。  ちょうど、その会話をした場所を通りかかったせいだろうか。 『僕は王になれるだろうか』 『ここまで来たんだし、取りあえずやってみればいいじゃない。期待に答えようって思ったなら、王さまにきっと向いてるよ。オレが勇者をやってるようにね』  きっと僕よりも期待がのしかかっている友はそう言ってくれた。なら、迷うことはなく僕は王になりたい。  父とは違う優しい王に。民に縋ってもらえる王さまに。  廊下をあるいていると自然と人が退いて行くのだけど、僕の部屋の前に、一人の女性が立っていた。  薄く蒼みがかった冷たい夜の月を思わせる長く美しい銀の髪。陶磁器のように白い肌。  その顔は可愛らしさと美しさを兼ね備えていると思う。少し強気な目つき。大きくぱっちりした金の瞳。僕の家系と血のつながりがあることを証明するものだった。  その、女性らしい体のラインを、豪華でありながら決してうるさくないドレスが、際立たせる。  国の者たちは、僕を太陽にたとえる。金の髪と金の瞳は、その輝きに似ていると。  僕の対をなす彼女は、月に例えられる。銀に輝く美しく冷たい、しかし慈愛に満ちた光だと。  従妹でもあり、婚約者でもある少女、ルミナス・ヒューマニクス。  優しい頬笑みを浮かべて僕を待っていたようだ。 「お務め、ご苦労様です。王子。明日のことについて話し合いたいのですが、よろしいでしょうか?」 「もちろん、構わない」  僕は彼女に手を差し出し、彼女はそっと手を添える。優しく包み、二人で、僕の部屋へと入る。これで、僕ら以外に人目は無くなった。  すると、ぎゅっと僕の手を強く握り返す。そして強引に僕を引っ張って……。 「あー一日長いかった! おつかれ! レイオっ」  月のような慈愛に満ちた笑顔から、それこそ太陽のようにまばゆい明るい笑顔を浮かべて、ルミナス……いや、ルミが抱きついてくる。  ルミの女性らしい柔らかい体の感触に、嬉しくもどきっとしてしまう。……彼らにむっつりとか言われてしまう由縁なんだけど、特にルミは胸が大きい方だから、抱きしめられると押しつけられて……男としては興奮せずにはいられない。  昔は、そんな自分が嫌だったけど……大好きな女性のなら仕方ないと、ガイのおかげで思い直せた。 「おつかれさま、ルミ。夕飯までゆっくり休もうか」  細身でありながら女性らしい彼女の背中に手を回し、僕も抱きしめる。王として頑張るのは民のためだ。だけど、僕が僕として頑張るのは、この子のためだった。  幼馴染で、従妹で、同じ年で……おてんばむすめっていわれてたくらい明るく元気な女の子のため。  姫になる身として育てられたから普段、おしとやかにしているけど、彼女は変わらなかった。僕も、成長はしたけど、きっとあの頃と変わっていない。  なんでベッドに座り、肩を寄せ合う。 「明日は、正式にレイオが王さまになって、あたしと正式に結婚するのを発表するんだっけ」 「うん。なにごともなく即位式が行えればね」  即位式は、王城を出て、ぐるりと王城周辺の回り、ヴィクティ教の王都教会へ向かう。女神ヴィクティは正直、王権に関係しないが伝統としてこの流れが決まっている。 「暗殺がどうこうだっけ? 心配してないよ。だって、レイオが守ってくれるんでしょ?」  ルミが笑って僕にいう。それだけの冒険をして、試練を乗り越えて、力を手に入れた。彼には遠く及ばないが、ルミ一人くらい守りきる力はあるはずだ。 「ああ、ルミは必ず守る。僕の大事なお姫様だから」  そういうと彼女は顔を赤くする。素のルミは、感情がすぐ表情に現れるから、可愛い。 「昔はそんなこと言わなかったのに。かっこよくなっちゃって」 「かっこよくもなるさ。君に似合う王になるためにね」 「もう、ほんと調子のいいこといっちゃって」  ルミが僕の首に腕を回し、顔を近づけるとろんとした瞳が何を求めているのかは解っていた。  瞳を閉じて、僕も顔を近づけて――……。 「オレはね、自分でいうのもなんだけど、世界を救った勇者なんだ」  お昼を武器屋さんの隣にある喫茶店で済ませ、王都の観光をして……お夕飯は、ヴァリーさんと一緒に三人で食べて、お風呂も済ませたあと、私とイルさんは、夜の王都を窓から眺めていた。  王都は、街灯の魔道具が多くて、街が夜でも明るい。地上に星があるようで、その星に照らされるレンガや石作りの街並みは、ぼんやりとおぼろげで、幻想的に感じた。  少し、私の街より高い場所にあるからか、見える星も新鮮に感じる。空の星と地上の星に飾られたこの国中心。  オーハーバとはまた違う、素敵な街。  そんな夜景を見ていると、イルさんがぽつりと話し始めた。 「冒険者、傭兵、はちょっとだけ嘘になっちゃうね。旧国王の魔王討伐隊は……一応ほんとかな。参戦したけど、抜けちゃった」  夜景からイルさんに視線を向ける。イルさんの黒い瞳は夜景や夜空よりも遠くて、もう二度と触れることができないものを見ているように思えた。 「……前に、村の話はしたよね。古い神殿があるって。実は、大昔に女神さまが住んでるって言われてた神殿で、オレの一族は、いつか魔王が世界征服を考え出して災いが訪れた時、世界を救うものが生まれるって言い伝えられてる家系だった。だから、生まれてからずっと鍛錬を続けて……戦うのが当り前な人生になってた」  山の中にある村、ときいて少しのどかな物を想像していた。神殿を守る一族も、門を守る騎士と同程度のもののイメージで……イルさんにのしかかっている重みはとてつもなく大きかった。 それこそ、この大陸そのもの……世界そのものと等しいくらい。 「二年くらい前から魔王の勢力が伸び始めたでしょ? そのころにさ、女神さまが夢に現れたんだ。オレだけじゃなくて、村人皆の夢に。オレは世界を救う勇者だって。少し前に、魔物について話したね。いっぱい倒したんだ。魔物も、魔王の負の魔力に取りつかれた人……魔人も。敵対しているだけのただの人も。いろんな人を殺した。世界を救うなんて大義名分があっても、女神さまが世界を救うように言ったけれど……それでもオレは、戦い疲れちゃってさ。魔王と倒したら、燃え尽きちゃって。もういいやって。傷だらけで動けなくて。だから……ホントは死ぬつもりだったんだよね。たまたまエリンちゃんに見つけてもらってなかったら、たぶん死んでた」  えへへ、と彼は笑うけど、きっと私に気を使ってこんなのどうってことないよって笑っているけど、すごくつらかったんだと思う。だって、イルさんは優しい人だから。 「でもさ、エリンちゃんの声が聞こえてさ……生きたいって思えたんだ。あの日、傷だけでなく、心もエリンちゃんに救ってもらってたんだなって。ほんと、ありがとね」  そんな空元気だった笑みから、心からの笑みに代わって心臓が高鳴る。私、イルさんの役に立ててるんだなって。 「イルさんを救えてよかったです。イルさんがいてくれたから、私、夢をあきらめても、追いかけるにしても、頑張ろうって思えるようになったから」 「お互いに、力になれたってことか。同居人として、オレとエリンちゃんって相性いいのかもね」 「はい、きっとそうです」  イルさんが、私から夜景に視線を戻す。 「ごめんね、エリンちゃんがあんなに秘密で悩んでたのに、オレも隠し事しててさ。……オレもおんなじだ。エリンちゃんに、色んなものを殺してるって知られるのが、怖かった」 「いいえ、気にしてないですよ。イルさんだって私のことを受け入れてくれてるのに、嫌うわけないじゃないですか」  申し訳なさそうな顔をする彼の手にそっと手を重ねる。どうか、気持ちが届きますように。 「イルさんと私ってきっとどこか似てるんです……どこか少しだけ似てて、でも違うから仲良くできる」  だから、私はあなたを好きになった。そんなあなたが苦しんでる姿はみたくない。みんなが戦えっていうなら、私はあなたに休んでって言いたい。平和に過ごしてって。 「イルさんは、もう休んでいいですよ。私、イルさんが苦しんでる姿みたくないです。いつもみたいにへらへら笑っててほしいです。……だから、あの街で一緒に静かに暮らしましょう?」  彼は、頷くと私の手を両手で包む。きっと恋心は伝わってないけど、イルさんを慰めたいって気持ちは届いたはず。 「うん、そうしたい。エリンちゃんが頑張るのを支えたいから。……もうしばらく一緒に暮らそう。だけど……明日だけは許してね」 「はい、明日だけですよ。イルシオンさん」 「……イルで頼むよ。オレはエリンちゃんの側ではイルでいたい」  私たちはほほ笑み合う。きっとこれからも変わらず一緒に静かに暮らしていける。  変わるとしたら……私が一歩踏み出した時。イルさんに想いを伝えた時なんだろう。  ……イルさんと見つめ合うのが恥ずかしくなって、視線を逸らす。たぶん顔が赤く菜てると思う。 「わ、私に出来ることが一緒に暮らしていてあったらいってくださいねっ。イルさんを支えるためだったらなんだってしますよ! イルさんの好物を作ったりしますし、甘えたっていいですからね!」  イルさんが平和に暮らせるように頑張ります! という気持ちを込めて、眼を逸らしつつも気持ちを形にしてみる。 「甘えても、いいんだ……?」  ぽつりとイルさんが呟いた。なにかお願いしたいことがあるのかな……? 「そのさ、エリンちゃん添い寝してもらってもいい? ……人の温もりがほしくてさ」 「そ、そいね……! そのままの意味ですよね!?」 「あ、うん! そのままの意味でだよ!」  きっと、ただ添い寝するだけでも、同居人ならしないと思う。親しい男女でも中々。……私が、頷いてしまったのはイルさんが好きだから。同居人ってだけでなく、片思いの人だから。  ああ、私って単純だ。好きな人に求められたら、応えたくなって仕方がない。  イルさんが変なことをするような人じゃないと知っている。そういうことをするなら……きっと了承を取る人だって。だから、安心して頷いた。 「……いいですよ? 抱き枕にしちゃってください」 「ありがと。……実は、海でのハグ、ドキドキもしたけど安心できたんだ」  イルさん、意識してくれてるのかな……? 私にハグされて、安心もしてくれたんだ。それなら、少なからず嬉しいってことだよね。  イルさんとの心の距離は近いと確信をちょっとずつ持つ私だった。  エリンちゃんを抱きしめながら、瞼を閉じる。彼女の温もり、彼女の息吹、それに甘い匂い感じながら。  ぎゅっとオレの胸に押しつけるように抱きしめる。海の時も思ったけど、エリンちゃんは柔らかくてあったかい。  今はパジャマを着ているから、海の時みたいに肌と肌は密着しない。  ……それでも、オレはドキドキしてしまっていた。好きだって意識してしまったせいで、ますます。……変に意識しすぎるとまずいことになるから、気をつけないと。  あの切なさは、物足りなさは、恋愛から来るものだったんだな、と改めて理解する。  エリンちゃんが好きだ。優しく受け止めてくれて……戦わなくていい平和な居場所になってくれるエリンちゃんが。  甘えさせてくれ、と言った時も嫌な顔せずに、こうしてくれて。こんなに優しい子なんだ。幸せになってほしい。  ……エリンちゃんがオレを選ばなくても、幸せになれるように支えたい。  できることなら、オレを選んでほしい。オレが幸せにしてあげたいというエゴがある。……ダグラスに近い考えだから、きちんとエリンちゃんが喜ぶことを判断していかないとな。  少なくとも、親しいお兄さんくらいには想ってくれている筈だから、このままの関係が続いてくれるといいな。  ……きっとそれが終わるときは、エリンちゃんが誰かを選んだ時か、オレが告白した時なんだろう。  幸せな気持ちを、満たされる感覚を覚えながら、オレはまどろみの中に落ちていく。 ヴァリーさんから、ダガーを二本戴いてイルさんは街へと出て行った。暗殺者を捕まえに。 ここを出る前にイルさんは、私に誓ってくれた。殺害は必ずしないと。  フードを被ってるせいでヴァリーさんに「お前の方が暗殺者ってなりじゃないか」って笑われていた。  ヴァリーさんに今の内にお店の清掃をするからと言われて、私は隣の喫茶店でお昼を取ることにした。新国王を一目見ようと、大通りはずらっと人の列が出来ている。オーハーバも人が多い時期は、混みあうけど王都には負けているなぁ。  唯一空いていた席に座って、私はパンケーキを食べる。甘みを味わいながら、甘い時間を思い出す。  イルさんと添い寝……幸せだったな。いつもよりイルさんの寝顔は安らいで見えたのは気のせいじゃない、よね?  いつも以上に子供みたいでかわいかったな……。  ふと、そんなことを考えていると、からんと言うベルの音が聞こえてその方向を見る。  武器屋さんに女の子が入って行った。金髪のボブカットの女の子だった。顔は解らない。  閉店って書いてあるお店に入って行ったってことは、ヴァリーさんの知り合いかな?  少ししてその子が出てくる。真正面からその女の子を見て……きれいでかわいい子だと思った。  金髪のきれいな髪。ネコのような目つきのエメラルドの瞳。そして白い肌。華奢な体付きの女の子で、騎士が着るようなきっちりした白い服に、赤いケープを付けている。スカートも同じような美しい赤。  その可愛い顔を見て、元気で明るい子と言う印象と共に、どこか暗い雰囲気を感じる。きっと悲しいことがあったんだろう。明るい青空のような女の子なんだとおもう。今は曇ってしまっているようだけど。……あと誰かに似ている気がする。  たぶん、私と同じ歳くらいの女の子。  その子は、この喫茶店の店員さんに話かけたあと、私の席までやってくる。 「ごめんなさい、今空いてる席がないらしいの。嫌でなければ合い席よろしいかしら?」 「はい、どうぞ!」 「ありがとう」  お礼を言って彼女は座る。どことなく礼儀正しくて気品がある。立派なお家の出身なのかもしれない。  店員さんに予め注文していたようで、パンとスープが運ばれてくる。  その子は丁寧な所作でそれを食べ始める。ひょっとしたら貴族の人なのかな? 「あなた、観光客?」  私もパンケーキたべよっと。そう思ってフォークを手に取った時に声をかけられる。 「そうなんです。同居人と一緒に来てて」 「レイオく――国王も人気なのね」  名前と国王さまとの間に不自然な間があったけど、気にせずに会話を続ける。 「私じゃなくて、同居人が即位式に興味があるようで……付き添いなんです」 「仲がいいのね。彼氏さんとか?」 「えっと……それに近い関係、であってほしいなって感じです」  イルさんと私は、もうどんな関係と言っていいか解らない。でも、恋人未満ななにかであってほしい。 「あなたは、ここの人なんです?」 「今はね。元々は山の方に住んでいたのだけど、引っ越して来たの」  私と同じ年なのにしっかりしている子だなぁと感心してしまう。  そこで会話は途切れてしまって、食事を再開した。彼女の方があとから食べ始めたのに、先に食べ終わってしまって、「ごちそうさま」と言う呟きが微かに聞こえた。  丁寧な喋り方だけど、この子本来の喋り方でない気がした。不自然と言うか、勝手な印象だけどらしくないと思えてしまう。 「相席ありがとう。これからお仕事だからこれで。また会えたらお話しましょ? わたしはリール。リール・セイヴァー。あなたは?」 「私は、エリン・ピースです。またお会いできるのを楽しみにしてます。お仕事がんばってですっ」  最後に「ありがと」と言ってリールさんは去っていった。……去り際に見せた明るい笑顔がきっと素の彼女のものなのだろう。  拷問はしたくない。だけど、どうしても情報を聞き出さないといけないんだよな。  オレはロープで縛り上げた二人を見ながら考える。  最後の方にパレードがやってきたときに、暗殺できる場所……風車の中にやってきて暗殺者二人を簡単に無力化した。ナイフは抜いていない。  片方は意識があるので尋ねてみる。 「なあ、拠点と暗殺ポイント、教えてくれないかな?」  返事がない。聞こえているようではあるけど。  仕方ないので、意識がある方を担ぐ。そして、窓の近くへ運んでいく。  この窓は、出入り口だ。風車を点検するための。そこに暗殺者を寝かせておく。 「お、おい?」 「しゃべってくれるなら引っ込ませる。喋ってくれないなら、このまま放置」  風車の回転は遅い。早ければ一瞬だろうけど、今日はあまり風がないので、ゆっくりと引きちぎるだろう。  ゆっくりと近づいてくる風車を見て、相手は焦り出し「分かった! 喋る!」と簡単に話し始めてくれた。想像力のある人でよかった。  引っ込めて拘束をとき、地図とペンを渡す。素直に相手は書き始めてくれた。 「他の暗殺者が潜んでる場所は解らない……だけど、我々が拠点にしていたのは此処だ……」  それを受け取って、確認する。王都のはずれか。 「信じるから」  オレは、暗殺者に一言そういって地図の場所へ走る。  王都の壁の中は、ぎっしりと建物が並んでいるイメージがあるが、意外と畑やたんぼ、草原などなにもない場所がある。  そんな王都のはずれにある畑の真ん中の建物に旧国王派の人間が潜んでいるらしい。さっさと倒して情報もらって、ガイたち騎士団に解決してもらわないとな。  一見、農家の家にしか見えないが……。明らかに不自然な装備をした男たちが見張りをしていた。  よし、早く終わらしてエリンちゃんの元に帰らないと。  食事を終わらせた私はヴァリーさんのお店に帰ってきた。 「ここからならパレードが見られる」  そういってヴァリーさんはワインを片手に、私とイルさんの寝室で椅子とテーブルを用意してくつろいでいる。  私は向かい側に座ってジュースをいただいた。  その窓は昨日イルさんと一緒に夜景を見ていた窓だ。百メートルほどある大通り、そこに並ぶ人々を上から見下ろせました。  国王さまより図が高くなって不敬とかじゃないかな? とおもったけど、とくに気にしないそうで。 「なあ、お嬢さん。あいつは、楽しそうにしてるか? イルシオンは」 「はい、いつも楽しそうですよ」 「……それならよかった。あいつをよろしくな」  ヴァリーさんが会話を振って来たのはそれっきりだった。その眼は窓の外を向いてるけど、昨日のイルさんと同じようにもっと遠くを見ている気がする。  すると、ドアの方。階段を上ってくる足音が聞こえた。一人……の足音にしては多い気がする。  だれかまた遊びにきたのかな?  そう思っていると、ヴァリーさんが立ちあがり、胸ポケットからナイフを取り出して構える。 「お嬢さん、ちょっと壁際に隠れていてくれないか」 「え、は、はい」  私は言われるまま、ベッドの頭の後ろ。壁に沿うように隠れる。  すると、部屋のドアが開き……マントを着た人物が入ってきた。二人で大きな箱を担いでいる。  ヴァリーさんはすぐさま駆け出し、先に入って来た人物にとび蹴りを食らわせた。あ、怪しい人だちだけど、もしかしてマオちゃんの言っていた暗殺者……?  後ろにいた敵が、ヴァリーさんに向かって魔法を放とうとするけど、その前に接近して、付きだしていた腕を掴み投げ飛ばす。ヴァリーさん、良い御年なのに動きが機敏……!  その暗殺者はすぐに起き上がり、もう一度飛びかかるが、ヴァリーさんに蹴り飛ばされて床を転がる。 「きゃっ!」  私の目の前まで転がってきて、フードの奥の瞳と眼があってしまった。そして、男は起き上がると、私に――……。  敵を壁に叩きつける。その時に頭でも打ったのか、そのまま敵は気絶した。 「……ちくしょう」  叩きつけた敵に、さっきまで聞いていた情報を確認する。暗殺のポイント。……その一か所に、ヴァリーおじさんの武器屋が入っていた。  そのことを聞いた途端、自分の愚かさに腹が立って八つ当たりをしてしまったのだ。ヴァリーおじさんは元々剣士だったから戦える。そこらへんの強盗程度ならどうとでもなるだろう。しかし、暗殺者たちは……元騎士だ。旧国王についていって辞めていった騎士たち。  一人や二人なら問題はないだろう。ただ、エリンちゃんがいる。……エリンちゃんを守りながら戦うのはきっと無理がある。ただ撃退するだけならまだしも。  オレは家を飛び出して、近くに止めてあった馬に乗る。これで王都の街まで近づき、乗り捨てて武器屋に向かう。  ……エリンちゃんを守るべきなのに、オレは何をやっているんだ。……怪我、してないでくれよ。オレ、エリンちゃんにもしものことがあったら……。  嫌に鼓動が速くなる。冷たい氷で心臓が囲まれているような、落ちつかない気分だ。変な汗がだらだら流れて気持ちが悪い。 「エリンちゃん……!」  オレは焦る気持ちを抑えることが出来ず、いらいらすることしかできなかった。  山車に乗り、僕とルミは手をつないで柔らかいソファの上に座って、国民にほほ笑む。  大きな歓声が絶え間なく鼓膜を震わせて、少し痛いが、それが僕に対する期待なら応えないわけにはいかない。  時々、騎士団の人が側にやってきて、暗殺者の動向について報告してくれているが、問題なく捕縛できているようだ。  これからの時代に争いはいらない。大陸……我が国ヒューマニクスでの戦争も、他の大陸との戦争もなにもかも。  だから、このパレードは、表向きだけでも平和でなくてはならない。  ふと、この辺りに見覚えがあることを思い出す。たしか、イルシオンのおじさん……正確にはイルシオンの祖父の弟が経営している武器屋の辺りではなかったか?  ふと、見渡してみると視界の上の方に黒い影が見えた。それはすっと窓の中に吸い込まれて消えて行く。  ……鳥か動物? かなり大きかったし、この百メートルある大通りの屋根から向かい側の窓に?  疑問に思いながら顔に出さず、頬笑みを国民に向ける。  僕の知り合いでそんなことができる人間は一人しか思いつかなかった。  私とヴァリーさんは縄に縛られベッドの上に座らされている。目の前には見張りが一人。もう一人は暗殺に使うと思われる道具……バリスタを組み立てていた。 「いっ……」 「……大丈夫か?」 「は、はい。大丈夫です」  私は首の痛み……薄皮を斬られた傷の痛みで思わずうめいてしまった。……相手が私を人質に取り、ヴァリーさんを無力化した時の怪我だ。  ……私は怖くて足がすくんで逃げられなかった。今も体が震えて……泣いてしまいたい。 「結構可愛い女の子だな……」 「おい、乱暴するなよ。生死は問わないとは言われているが、我々は騎士だ。国王さまのためにも変なことはするな」 「お、おう。そうだな」  私に怪我をさせた暗殺者が、舐めまわすように私をみる。注意されてもなお。その視線がいやに粘着質で、生理的に気持ち悪いと初めて感じた。……イルさんにならじろじろ見られても問題ないのに……やっぱり好きな人以外は嫌だ。  嫌悪感、恐怖、それらがごちゃごちゃになって私は怯えることしかできない。  イルさん、助けにきて……。  戦ってほしくはないけど、彼に縋ることしかできなかった。イルさんは頼りになるけど、こう言うことで頼りにしたくなかった……。  彼が本気でいやがっているから……。でも、イルさんは優しくて……まさに勇者だから。きっと私たちを救うために――……。  次の瞬間、バリスタがバキッという乾いた大きな音を立てて砕け散り、その近くにいた敵が吹っ飛び部屋のドアまで転がっていった。  かぶっていたフードが風圧でとれて……夜空のような黒い髪、黒い瞳の男の人、イルさんが現れた。 「くそっ! どうやって入ってきやがった!」  私を舐めまわすようにみていた敵がイルさんに攻撃しに行く。ナイフを持って振りかざす。  敵の腕をなんなく掴み、攻撃を受け止めたイルさんは、私をちらっと見る。そして次にナイフを見た。……その視線は、いつもの優しい視線と違って、険しくするどかった。敵意を向けられていない私ですら、恐怖を感じてしまうほどに。 「……あの子を傷つけたのはお前か」  その声音も、いつもの優しい声じゃなく、ドスのきいた底知れない怒りを感じさせる声だった。  左手に力がこもった。そう思った時にはパキッという音が響き、暗殺者が悲鳴を上げた。ナイフが手から離れ、床に突き刺さる。男の手は不自然なところからまがっていた。  痛みで足から崩れ落ちそうなのをイルさんは手で掴んで、無理に立たせた状態で、顔面に拳を叩きこむ。一度、二度、三度。  腕を上に引っ張って軽く宙に舞わせたあと、その腹に蹴りを叩きこんだ。  さっきの暗殺者と同じように吹っ飛んでドアの方まで転がる。  そういえば……さっきの暗殺者は……?  ドア付近に倒れていないことに気づき、私は部屋を見渡そうと首を動かすと……すぐそばにその男が立っていた。呼吸はあらく、眼は血走っていて……怖い。  私は髪を掴まれて無理矢理立たされる。 「いたっ」 「おい! この子がどうなってもいいのか!!」  また、首筋にナイフが当てられる。  ただ、次の瞬間にはナイフは無くなり、髪を掴む感覚も消えていた。私は床にぽとっと座り込む。  風を感じた。一瞬のうちに二回。なにが起きたか理解できないでいると。 「ぎゃああああああああああッ!」  男の悲鳴が聞こえた。上手くからだをひねって見てみるとイルさんが男の首を掴み、手の平に突き刺しているナイフをぐりぐりと動かしている。  この一瞬でイルさんは私の解放と、敵の拘束の二つをなしたのだ。 「よくもオレの目の前でエリンを傷つけようしてくれたな」  イルさんは、手のひらのナイフを抜いて、暗殺者の肩に突き立てる。その後、左手でひたすら腹部を殴り続けた。  何度も何度も。肉を打つ瑞々しい音と、骨が折れる乾いた音が響き……。 「イルさん! それ以上はダメ!」  私は、大声でイルさんに叫ぶ。……それ以上は殺してしまうから。これ以上、イルさんが苦しむ理由を増やしたくないから。  ぼとっと暗殺者が落ちて、痛みで呻く。  イルさんは、今にも泣きそうな顔で私に向き直って、拘束していた縄をほどき、上着を脱ぐとそっと私の首の傷にあてた。 「ごめん、エリンちゃん……ほんとにごめん……」  声が震えていて、その手も震えていた。 「大丈夫ですよ。イルさんが助けてくれましたから」  そっとイルさんの手を包む。イルさんの手は血で汚れていて、私の手を汚したけれど……決して離したくなかった。  イルさんが助けてくれて本当に嬉しかった。イルさんが、誰も殺さずに済んで本当によかった……。 「さて時間ね。リール、準備はいいかしら?」 「うん、ルルさん、いつでもいけるよ」  わたし、リールは、赤毛の魔女ルルさんの言葉に頷いた。魔力を杖に流し込むように意識する。 「なるべく死傷者は出さないようにとのお達しよ」 「大丈夫、気を付けるから」  ルルさんの言葉にもう一度頷いて、わたしは息を吸う。そして大きく叫んだ。 「来て! 白色の光を纏いし竜……バハムートッ!!」  杖の先についているクリスタルが、まばゆく輝き、その光が天空に大きな魔法陣を描き出す。その魔法陣から落ちてくるように、巨大な竜が現れた。四足歩行の大きな翼をもった白い竜が。  そのドラゴンが叫ぶだけで、空間が震え、木々が木の葉をちらす。遠くに見える敵兵も宙を舞っていた。 「続いて、大地を揺るがす城の巨人タイタンっ。空を焦がす炎の翼フェニックス!」  地面に魔法陣が現れて、その場所が盛り上がり、巨人が現れる。十メートルは超えるほどの巨人だ。その姿は、城に手足を生やして頭を付けたような姿をしている。  もうひとつ、私の真上に魔法陣が現れる。そこを通って、鳥の姿をとった炎、フェ二ックスが現れた。 「三体同時召喚。気合いが入ってるわねー」 「最近、この子たち暴れてなかったから、召喚してあげたかったの。ほんとはみんなをよんであげたいんだけど……」  ルルさんに返事をしながら、わたしはみんなに指示を出す。 「シューティングスター。グランドブレイク。火の子の羽」  ぽつりと彼の魔法の名前を指示する。バハムートは素直に指示にしたがって、アギトを空へ向ける。そして、ブレスを放った。  その光のブレスは、いくつも枝分かれし、そして降り注ぐ。流星群のように。  一つ一つ、光の粒が地面にぶつかり弾ける。敵軍の目の前にふらすように指示しているので、怪我人はいても死傷者はいないはずだ。  タイタンが地面を叩きつけると、敵軍の目の前に大きな裂け目を作り出す。フェニックスは空を炎で覆い尽くすと、羽に似た火の子を降らし、敵軍に降りかからせる。……燃やす対象やレベルは選べるので、火傷くらいで済ませるようにお願いした。  ……敵軍がゆったりと後退していくのが見えた。  世界を救った勇者の仲間だもの。甘く見ないでほしい。 「私の出番なかったわね。私たちの王さまをいわう花火でも上げて置きましょうか」  そう言ってルルさんは、手に持っている杖を空へ掲げて、魔法を放つ。いくつもの火の玉が空へ上がって、破裂し空に花を咲かせた。  それは竜を照らし幻想的な美しさを作り出す。……壁の外にいた敵軍が見えていない国民たちには催しものの一つにしか思えないだろう。  ……お兄ちゃん、わたし、お兄ちゃんがいなくても戦えたよ。だけど……お兄ちゃんと一緒にこれからも戦いたいな。  あのあと、おじさんが後始末をするからと言って、おじさんに指示された宿に行き、医者を呼んでエリンちゃんの傷を手当してもらった。服は血に汚れてしまったから、捨てるかどうか話したところ、エリンちゃんのお気に入りだったそうで、洗濯してもう一度着るそうだ。  自分で傷の手当てができないことをエリンちゃんは悔しがっていたけど……しかたのないことなのかもしれない。  傷は癒えたものの、精神的に疲れているので宿でゆっくりすることになった。 「えへへ……イルさんあったかい」  今度はエリンちゃんから添い寝をお願いしてきた。……オレ自身、今はエリンちゃんを抱きしめたくてたまらなかったから、好都合だった。  ……エリンちゃんが生きていることを実感したかったんだ。失ってしまうんじゃないかと怖かったから。  ぎゅーっとエリンちゃんを抱きしめる。満たされていく幸せな感覚と一緒に、傷一つなく守ってあげられなかった罪悪感が生まれる。 「……イルさんは誰も殺さずに済んだんですから気にしないでください。私の首の傷だって、あとは残らないですから」 「そう、だね」  でも、ふりきれなかった。暴走して人を簡単に殺そうとしたことも、エリンちゃんが傷ついてしまったことも。……あんな場面を見ても受け入れてくれるエリンちゃんはやっぱり優しいなと思えたが。 「そんなに気にするなら……私のお願いきいてくれますか?」 「ああ、オレに出来ることならいくらでも」  エリンちゃんのためならなんだってしてあげたい。好きだから、ってことだけでなく、罪を償いたい。 「じゃあ……街に帰ってもしばらく添い寝、お願いしてもいいですか……? 実はすっごく怖かったんです。けれど、イルさんが側にいてくれるとすっごく安心できて……」  照れながらエリンちゃんが言う。嬉しいな……。大好きな君にそんな風に言って貰えるなんて。 「……ああ、任せてよ」  抱きしめる力をもう少しだけ強くする。この愛おしい温もりを、華奢な体を、今度こそ守り抜く。幸せにする。いつか、オレの側から離れるその時まで。  事件に巻き込まれたショックのせいで、私、変に舞い上がってとんでもないこといっちゃった!!   翌日、帰りの馬車に乗るために王都の街を歩きながら、私は顔を熱くさせていた。変な汗が出てくる。  でも、それを承諾してくれて……イルさん、そんなに罪悪感を感じていたのだろうか……それとも、私を意識してくれているから受け入れてくれたのだろうか?  ……ああ、イルさんの気持ちが知りたい。私の気持ちを伝えたい。今すぐに。……でも、もしも違ったら、今の関係が変わってしまうのが怖いから、踏み出せないよ。 「イルシオン、エリンさん」  馬車置き場の入口に、マオちゃんが立っていた。お見送りに来てくれたみたいだ。 「おう、マオ。お見送りありがとな」 「マオちゃん、また会おうね」 「うん、二人ともお幸せにね」  近づくとそういうふうにマオちゃんは挨拶をしてくれる。 「……マオ、これからも幸せに生きろよ。つらいこともあるかもしれない。負の感情をいっぱい抱くかもしれない。それでも――……」 「それでも、真面目に生きてれば、きっと幸せになれる、でしょ? ほんと、きれいごと。だけど……そっちの方が世界は幸せだもんね」  マオちゃんは、ほほ笑んだ。幼い女の子の笑顔ではなく、どこかきれいな大人の女性のような頬笑み方だった。 「またね、魔王を倒さずに世界を救った勇者さま」  倒さなかった? 疑問に思ったけど、イルさんが歩き出そうとしていたので、私はマオちゃんに手を振ってからイルさんの隣を歩いた。  馬車に乗せて貰って……イルさんの隣に座り、その大きな手を握る。 「エリンちゃん?」 「こっちの方が安心ですから」  しばらく、安心するって言えばなんでも許して貰える気がする! そうずる賢く考えてしまった私は……イルさんにめいいっぱい甘えることにした。  関係はきっと変わってしまうときがくるから、その時まで存分に。きっと変わっても、幸せな方向に行って欲しくて。 「……オーハーバについたらエリンちゃんのご飯がたべたいな」 「私もイルさんのお料理食べたいです」 「海にも遊びに行きたい」 「いいですね! イルさんと一緒ならきっと楽しいですっ」  これからの話をしながら、私たちは馬車に揺られて王都を離れる。  あのきれいで豪華な街が静かに、ゆっくりと、小さくなっていった。イルさんを知ることが出来た街を去り、イルさんを受け入れて、私を受け入れてくれて……同居人から一歩前に進んだ旅行は、残すはあと帰り道だけになってしまった。  またいつかイルさんと旅行に行けますように。  オレの居場所は、血生ぐさい場所にしかないと思ってた。今までずっと。魔王と戦い終えるまで。冒険が終わるまで。  だけど、この温もりが教えてくれた。あの海の街が変えてくれた。  平和で、暖かい街にもオレの居場所はあるんだって。戦わないですむ選択肢は、これからは選んで良いんだって。  眠ってしまって、オレの肩にもたれかかるプラチナブロンドの髪、そして褐色の小さな顔を見る。  安らかな寝息を立てて、幸せそうに眠っている。  この子が、側にいていいと言ってくれるなら、許してくれるのなら、いつまでもあの街にいたい。エリンちゃんの側にいたい。  ……エリンちゃんが言っていた好きが恋愛的なことなのか、それとも信頼できる人としてなのか解らないけど、エリンちゃんにもっと好きになってもらえる自分になりたい。  頼られて、支えてあげられる自分で。  エリンちゃんは、これからどんな道を選ぶんだろう。医療の道を進んでいくのか、そっれとも別の新しい道を進むのか。オレの村みたいに視野を狭めさせるんじゃなくて、もっと多くのものを自由に選んで行ける手伝いをしてあげたい。  ……ただの同居人じゃなくて、人生のパートナーになりたい。別の誰かを選ぶなら仕方ないけど、オレを選んでもらえるのなら、少なくとも同居人のうちだけでも、エリンちゃんが笑顔でいられる日常にしていってあげたいな。  ……いや、オレを選んでもらえるならじゃない。誰かを選ぶときまで、なんかじゃない。それは嫌だ。  オレを選んでほしい。エリンちゃんのような優しい女の子の側にいるのに相応しい男になるから……。  プラチナブロンドの髪をなでる。ふんわりとしているけど、さらさらしていて…さわり心地が良かった。  その頭を抱きしめて、オレは呟く。 「オレ、エリンちゃんが大好きだ」  命の恩人から、気になる女の子になって……大切で支えたい女の子に。  起きているときは、怖くて伝えられないから、ずるいけど、寝ている今だけ、君への想いを口にさせて。  どんな大きな罪もきっといつかは許される。もちろん、すぐになんてことはない。生きている間に許されないかもしれない。  でも、許されるための努力や償い、今までの自分からの変化しようとする心をもっていきていかなければ。  死んで償うこともできるけど、生きて償うと決めたのなら。  マオも、大きな罪を背負っているけど、死んでしまった方が楽だったけど、生きて苦しんで、幸せになれっていうのなら、マオは頑張って償うから。  変わっていくから。 「大丈夫だよ、イルシオン。この世界を救った勇者。あなたはきっと、いままで殺してきた命にも、そのことを知った人たちにも許される。悔いて償おうとする優しいあなたなら」  エリンさんがその象徴だ。争いをしらない平和でいきてきた女の子が、物騒な世界でいきてきたあなたを受け入れたんだから。  ううん、それ以前に、あなたは世界中の人から賞賛され、慰められてもいい存在なんだから。 「魔王を殺さずに、魔王すらも救った勇者のお話なら、幸せな結末が待っていなきゃおかしいでしょ? ……あなたに殺されるはずだった魔王がそう思っているのだから、きっと間違ってないはず」  もう見えなくなった背中。もう見えなくなった馬車に向けて、言葉を紡いだ。  ……次に会うときは、本当に幸せになっていてね、勇者。あなたに負けないくらいこの魔王も幸せになるから。悪い方法じゃなくて、良い方法でね。  即位式から数日。僕たちは久々に集まっていた。  リール、ルカ、ガイ、ルル。イルシオンを除いた当時のメンバーと、アンナ、ルミナス、マオ、それにヴァリーさん。  即位式の暗殺未遂の件と……結婚の前祝い、それに即位式をいわう回だ。  僕とルミは並んで座り、みんなが騒ぐさまをみていた。ガイがよっぱらってアンナに甘えて、ルカやルルがからかう。リールは、ヴァリーの世話を見て、遠巻きにマオがこの様子を楽しんでいた。  幸せな時間だ。旅の時もみんなでバカやって騒いだ日はある。けれど、今はなにも重荷はないから、もっと素直に楽しめた。  ああ、ここにイルシオンもいればな。きっと彼のことだから、リールと一緒にわらいあっていただろうに。  僕とルミの結婚も人一倍喜んで……「スピーチしようか? 俺、一番うまく言える自信があるよ」とか名乗ってガイが張りあったりして……輪をかけて盛り上がるんだ。 「またイルシオンさんのこと考えてたでしょ」 「ごめん、しめっぽい顔してたね」 「……まあ、イルシオンさんのおかげであたしたち結婚できるようなものだから仕方ないけどね。あの人がいたならって考えるなら、その分楽しまなきゃ」 「それもそうだ」  ルミはいつも励ましてくれる。元気な彼女が側にいてくれるなら、僕はこれからも王として頑張っていけるだろう。 「あー、イルシオンなら元気にしてたぞ」  そうか、元気にしてるなら……。 「「「え!?」」」  マオ以外のみんながその発言に声をそろえて驚く。  ヴァリーさんは、ワインを一杯ぐいっと飲みほしてから、続きを話した。 「黙っているのもみんなに悪いからな、言うなって約束を破るが、この前、王都にきてあったんだ。可愛い彼女を連れてな」 「……ヴァリーおじいさん、しゃべっちゃだめだよ」 「マオちゃんも知ってたのー!?」  ルカがマオのほっぺをつまんでうにうに動かす。ほかのみんなもヴァリーさんを問い詰めていた。  僕も……ほっと息をつく。生きていてくれてよかったと。  ……深刻な顔をしていたのは、一人だけだった。 「お兄ちゃんに……彼女……!?」  彼の妹、リールは一人、衝撃の事実にショックを受けて座り込んでしまった。……ブラコン気味だったもんね。 今日と言う日は幸せな日になった。友と祝いあえて、親友が生きていることを知れて……あの黒い影を思い出す。きっとあれは彼だったんだと。 「……結婚式のスピーチは任せてくれよ、イルシオン」  まだ見ぬイルシオンの彼女を想像し、二人が仲良くしている姿を考えながら、僕は呟くのだった。
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