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月魔の夜
放課後。
いつまでもいつまでも夕暮れの中の学校は、ある程度、点呼が済めべすぐに終業になり、ばらばらと生徒達が下校していく。
わりあい最後のほうに校門をくぐる。
赤く焼けた空を背中に聳え立つ門が、かしいだ音を立てて閉まる。
背中でその音を聞き、振り返ることなく街に下りる。
高台の校門から続く、ひたすら下る階段。なまじ一段いちだんが低いために、かえって降りにくい。
だんだんと宵闇に染まる空気、木々のざわめき。
はかなく、薄く、そのくせ粘ついた空気。
校門から、街までは暗い者たちが、身体を持つものを狙う、襲う、奪う。
そして、乗っ取られた者達は、やはり暗い者達になっていく。
だからと言って、乗っ取った者達が、その身体を得て街にいけるわけでもなく。
無駄になった身体は空体になって、階段の脇に落ちている。
背中が総毛立つ。
いつ、わたしの身体が、こんな風に打ち捨てられてても、おかしくないから。
ゆっくりと確実に校門から伸びる階段を降りきると夜が来た。
街までの道をぼんやりと照らしている。
天を見上げる。
月が孤高の光を放っている。
ここからは魔性たちの時間だ。
ほんの五十メートルほどの歓楽街。
昼は寂れて人影もなく、すえた臭いをさせているこの街の中心も、夜になると装いを変える。
思いおもいに化け物が装う。美しい蝶に、ホムンクルスの群れに、人を奈落に落とし喰らう羅刹に。
その中に、そのつもりがないのに紛れ込んでくる人達がいる。
こちらの者が招きよせたり、元々ここと親和性が高くて波長が合ってしまったり、理由はいろいろだが。
人がこちらに来て、ただ済むわけがない。
美しく装った者達が、欲望の羽を広げ、網にかかった誰かの命にかぶりつく。
哀れ人たちは、人外に己の命を吸われるわけだ。
それが死ぬほどではないだけ。彼らもわきまえている。
羅刹が人の命を干からびるほど吸い尽くしてしまう前に、他の住民が止めるだけだ。
紛れ込んでしまった人間も、おそらく朝になればこの街のことは忘れてる。
せいぜい頭痛を起こしたり、倦怠感を単なる体調不良くらいにしか思っていないだろう。
覚えていても、たいてい悪い夢を見た程度の認識。
ここはそんな街、人と他の者との境界の街。
まあ、もっとも通常、人外も人間に直接害を為すことはあまりない。
人の持つ影に潜むことでしか、生きる術はないのだから。
先ほども言ったとおり、抑制は利くのだ。こんな、赤錆た月夜でない限りは。
今日は、そう、その夜だ。すべての軛が解かれ、欲望の奈落まで追い込まれていく。
理由なんて、たいしたことではない。思い余る熱情ゆえに、狂うのだ。
あるものは、人になりたい余りに。
あるものは、人をやめるが為に。
あるいは呪いの果てに、嘆きに紐付けられたゆえに、己の無能さに導かれるがままに。
自分をもてあました誰かが今日もこの街に現れる。
静寂にヴァイブ音。
SNSを見て舌打ちをする。依頼だ。
私がここにいる限りは断ることの出来ない依頼。
こんなに錆びた夜なのに、静かに狂いたいのに、そうもいかない。
依頼内容を確認し、メールのリンクをタップすると、球が現れる。
そこに対象者の人生の短いストーリーが浮かぶ。
舌打ちしながらスマホをタップし、魔方陣アプリを起動させる。
このスマホには少し仕掛けがあり、このアプリを起動させた状態で、モバイルライトを点灯させると、地面に魔方陣が投影される。
あとは呪文を唱えれば法術は完了。
グニャリと空間が歪んで、人影が吐き出される。
安っぽいぺらぺらサテン地のドレスに、かけすぎで鼻が曲がりそうな位きつい香水のにおい。
荒れた肌に、日ごろの不摂生振りが現れている。
よほど寒いらしく、カチカチと歯を鳴らして両腕を抱え、辺りをきょろきょろ見回している。
「ようこそ、月に誘われた迷い子さん」
「だ……れ」
電子タバコをくわえた。
「だれ、よ」再び問いかけてくる。
「さあ」
目を見開く。おびえるような、小ばかにするような。
「名前くらい名乗りなさいよ」
立ち上がって、自分が裸足だと言うことに気がついたみたい。
「ちょ、なにこれ、今から店出るのに」
「困る?」
「当たり前でしょ、何してくれてんのよ。どこよここ」
まだ分かっていないのか。お仕事どころじゃないってことに。
ダイジェスト版の人生ストーリーを閲覧してある程度のことは分かっているものの、このひと本っ当に能天気。いらつく。
「別に私が連れてきたんじゃないわ。自分で来たんでしょ『自分の世界』に」
多分脳みそが凍っちゃったんだろう。ひとの言ったことを理解していない。
「ホント、めいわく。アンタが私の借金を肩代わりしてくれるんなら別だけどそうじゃなかったら、ヘンなこと言ってないで店に戻してよ」
無言のままでいる(しばらく話させよう)。
「……それ、とも、もしかして、海にでも沈めるつもり? 今どきはやらないことするわね。私にだって、頼る人はいるんだからね」
これから彼女が会うであろう目に、哀れみを感じる。
ため息ひとつ、瞬きふたつ。それからおもむろに告げる。
「信じるかどうかは、アンタ次第だけど、これからアンタは自分の道を選ばなくてはいけないの。これからふたつ、選択肢をあげるから、えらびなさい。ただし、どちらを選んでも、それはアンタが決めたこと。誰にも責任は負えない」
「なに言っちゃってんの、わけわかんない。あんた、バカなの? 私、ちゃんと言ったよね。今から仕事だって。着金返さなきゃ、それこそ内臓売られちゃうんだから。それともアンタが私の代わりに売られてくれるってわけ?」
「ふうん、売られちゃうんだ」
「ほんとむかつく。早く返してよ、でないと」手元を探る。
「……ない。スマホがない」
電子タバコを吸う。深く、吸い込む。
しばらくして息を吐くと、ずたぼろの彼女にこう告げる。
「観念してついてきたほうがいいんじゃない? ここにいたって寒いだけ」
吸い先を口に持っていく。吸う、吐く。
ホルダーをしまいながら言う。
「ここにはあなたのスマホはないんだし、仕事したいにしても、今は仕事場にいない。ここに来ちゃったんだから、やることやってとっとと帰って頂戴。そしたら、あなたの好きな仕事ができるじゃない?」
紫色に変わった唇、筋張るほど握り締めた拳。
「あなた、ホントに誰よ。本当にその筋の人たち、呼ぶわよ」
「スマホもないのに?」
紫色の唇がさらに白く色をなくす。
「だれよ」
「聞いたって何にもなんないわよ。わたしが誰かなんて」
ふん、と音がする。彼女は鼻で笑っていた。
「なんかへんな人なんでしょ? アンタなんかに付き合ってる暇なんてないわ、さよなら」
何にも知らないくせに。
くるりと背を向け、どこかに行こうとする彼女に向かって指を鳴らす。
後ろを振り向くと、彼女がやって来た。
「な、なんで、なんで?」
「わたし、ここの番人なの。今のはちょっとしたあいさつがわり」
「ばかじゃないの? 妄想に頭突っ込んだまま帰ってこれないんじゃない」
ああもう、相手したくない。
でも、何とかしないと。こいつを何とかすることで、わたしの存在は担保されているのだから。
再び、背を向けどこかに行こうとしている彼女の先に、羅刹。
牙からよだれを滴らせ、すさまじい音を原から鳴らしている。
まずい。
羅刹の口があんぐり開いたときに、ようやく、その存在に気づいたらしい。
仕方がない、羅刹には少し痛い目を見せることになる。
「ああああああああっ」
「ぐぶるるるるるっ」
ベルトにぶら下げていたクナイを手にする。
ねんをこめると紫色にけぶる。
思い切り投げつける。
うまく羅刹の口の中に投げつけられた。
「ぐぶぶぶぶう」
羅刹が口を押さえ、腹を抱えこみ、胸をかきむしる。
「はやく、去れ。さもないと腹の中で暴れさせるぞ」
にらみ付けた目から炎がたち、あちこちが燃え盛る。
右手をグイっとひねる。羅刹が転げまわる。
しばらくのた打ち回りながらも、こちらを襲おうと伺っている様子だったが、あきらめたようだ。
ぐぶぐぶ言いながら去っていった。
「な、なんなのあなた、化け物なの⁉」
ため息でそう。いくらその眼で見ていても、信じられないんだね。そう、人は自分の信じたいことしか信じない。
「失礼な人。いったでしょ、番人だって。もしくは…」タバコの煙を吐き出す。
「魔女」
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