月魔の夜

2/2
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
 この寒空に薄いドレス一枚身につけて、カタカタ震える女を尻目に、スマホをスカートのポケットに入れる。  同じタイミングでスフィアが濁る。  女の影が映っている。 「いま、呪ったでしょう?」 「…なによ」 「いま、誰かを呪ったでしょう? 誰、だれが標的なの」  スフィアの中の影はうつむいて、何か大きな手のようなものに胴体を掴まれている。  召喚者だ。  赤い月が天空に昇る。  力が満ち溢れてくる。  契約が成立するまでは、わたしの人間のフレームを保っていられるといいのだけど。    開いた右手を相手に向ける。掌に雷音が走る。 「さあ、()せて頂戴。あなたの欲望(のぞみ)の形を」  相手が、己の両腕で顔を隠すより早く、私は欲望を引きずり出す。  桜の花びらが散る…?  春先。  緩くカールさせた髪を風に揺らし、私は大学の門をくぐる。  草のてっぺん、木々の葉先、物のフォルムに宿る光の柔らかさ。  新しい校舎、はじめて会う人たち。  あんまり嬉しくて、ふわふわしてた。  受験を乗り越えたあとのはじめての授業、はじめてのサークル。  楽しかった。  それが。  あの日、新歓コンパの日。  浮かれてはじめて口にしたお酒。  飛ぶ意識。  上に……。 「のしかかってくる獣たち、あなたは暴れて、部屋を脱出して、それから」 「な、何よ」  手のひらに現れた球形(スフィア)に写し出されたのは。 「うそ」 「そう、あなた、クルマに轢かれたの」 「そんな!」 「誰を呪ったの?」    唐突な問いに、ポカンとしているけれど、こちらも余裕がないので、あまりそこは突っ込まない。 「誤解しないでね。()んだのはあなたで、わたしは答えただけ。あなたがもういいってんなら、もういいのよ」  背を向ける。  相手が希望しなければ契約は成立しない。晴れてわたしはお役ごめん。  こいつは食われてしまうだけ。ここの住民に。 「ま…まって! 言うわ、誰が憎いか! そしたら、復讐してくれるんでしょぉ…」  舌打ちをする。  相手からの依頼を拒否する権限はない。 「早くしてね」なるたけ無愛想にいう。女が息をつき、言う。 「私、わたしが一番憎いのは……」 わたしの右手に浮かぶ球体(スフィア)が濁る。その濁りから視えてくるもの。 「私が一番憎いのは……勝彦」  スフィアから薄汚れた桜の花びらが、強い風に乗ってあふれ舞う。  大学に入って、初めて出来た恋人。  楽しかった。話が合ったし、ひとつの出来事に感じることも同じ。  まるで、わたし自身と話しているみたい。 「それがあの夜、あんなことがあった夜に、気が付いたら、彼の家に行っていて……あの眼、忘れられない。夜の黒より深い、穴底のような眼。あんな眼でわたしを見た」かさり。 「あんな声でわたしのこと、蔑んだ」こそり。 「追い払われた」かさりかさ。 「ねえさんがいた」くすりくす。 「許せない。許せない」こそりこそ。  かさりこそこそりかささくりさくくすりくすくす……女の背後の空気がざわめく。  女の(せな)から(わき)から、小さな鬼どもがざわざわと溢れ出す。 「許せないゆるせない」「許すなゆるすな」「憎めもっとにくめ」囁きを残して離れていく。  ひいっと短く声にならない悲鳴を上げる依頼人。 「……あれ、なに?」 「あなたの暗い囁き、あなたの執念、ただの憎しみ」面倒だ、早く終われ。 「ねぇ、別にいいのよ。あなたが誰かを呪ったのでなければ。喚ばれたのは、わたしの勘違いってことで」背中を向ける。 「じゃね」 「ま、待って! 私はどうなるの⁉」  あー、めんどくさい。 「どうなるって…決まってるじゃない?」振り向いて相手を見、後ろを顎でしゃくる。 「アレの餌よ」 さっきの小鬼たちがワラワラワラワラ沸いて出た。 「餌エサご飯ゴハン」 「ひっ!」 「呼ばれたのは勘違いみたいね。あんたは、呪いたくなるほど誰かさんを憎んでなかったってことで、じゃ!」 「ま、待って待って待ってまってってば!」  月が、上の方から、赤く染まり始める。 「じゃ、早くして。さっき言ってた、かつじってヤツでいいの?」 「勝彦よ、火打勝彦。」 「ああ、ひうち・かつひこ、ね」球体が反応しない。コイツじゃないらしい。 「他はいないの?」 「え?」  虚を突かれたような顔をする。 「アンタが憎いヤツよ。もちろん、この男も憎いでしょうよ。でも、他にもいない?」  スマホのモニター部に男の顔が浮かび上がる。 「この、かつひこ君以外にさ。たとえばやったヤツ等なんて憎くないの?」 「……わからない」 「え?分かんないの?こまったなぁ。」スマホをしまう。 「じゃ、もう、成仏しなよ」月の影響で身体が痒くなってきた。ボリボリ掻く。 「かゆっ!」  眼がぴくぴく動く。鋭さが増しているのが分かる。  比喩(ひゆ)でなく背中が毛立ち、みりみり萌え出でく。 「お姉ちゃん」    今度ははっきりとわたしを見て言った。 「お姉ちゃんをやっつけて」  球体が反応し、スマホが鳴る。 「お姉ちゃんね」わたしは反復する。  球体に映った女性の姿を見てニヤリと笑う。 「いいよ」掻きながら応える。 「コイツをやっちゃえばいいのね。分かった」
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!