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僕と彼女の平穏
「それじゃ、また」
「うん、今日も夜、通話しようね」
「……ん」
すっかり日の短くなった帰り道。葉の落ちた木々を横目に、僕たちは別れた。彼女――伊藤詩織さんは笑顔で手を振って、遠ざかっていく。そんな彼女を見送る道は夕焼けに燃えていたけれど、なんとなく空いた左手が冷たかった。
伊藤さんと出会ったのは今年の春、2年生に上がったときだった。大人しそうで、あまり人と話さないタイプの彼女と話すようになったのは、偶然図書室で僕の好きなライトノベルを読んでいる姿を見たときだった。
『あ、あの……、伊藤さんも、それ……読むの?』
『えっ、あ、はい……えっと……、浅沼くん、ですよね?』
はじまりは、そんな些細なこと。けれど、僕はそこから伊藤さんのことをたくさん知っていった。
クラスでは決して目立たない存在だし、人とも最低限のことしか話さないけど、好きな作品のことや趣味のことになるとすごく話が弾む人だということ。
絵を描くのが好きで、実はこっそり漫画を描いていること。いずれはそれを何かのコンテストに出したいと思っていること。
どうにか頼み込んで見せてもらった漫画は、不思議な人形を連れる青年が迷える人々を救うダークファンタジーだった。
『すごい、こんなの描けるんだ!』
思わず漏らした、気もなにも利いちゃいない感想を、嬉しそうに顔を赤らめながら聞いてくれた彼女。まだ恥ずかしくて他の人には見せる気はないというその漫画の話をしたりしながら、僕たちは少しずつふたりだけの時間を重ねていた。
といっても、学校ではお互い大して話もしない――なんとなく、ふたり一緒にいるところを見られるのは恥ずかしかったし、伊藤さんも休み時間にいろいろ考えている様子なので、その邪魔もしたくなかった。
この帰り道と、帰ってから少しする通話。
それが、僕と彼女の特別な繋がりだ。
そんな日々はずっと……季節が変わっても、お互い高校に進んでも、続くものだと思っていた。
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