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しばらくはそれでもなんとかお店を切り盛りしていたけれど、優秀な番頭と店の運営資金を失った白河屋はあっという間に傾いた。その中でおじい様も体調を崩して今年のお正月を迎えたかと思ったらぽっくり逝ってしまった。
もはやここまで、と父さまは白河屋を閉めてしまった。このままだと、一銭にもならないどころか、借金を抱えてしまうという。ちょうどその頃、此度の農場開拓の話が舞い込み、父さまは二つ返事で話を受けた。有り体に言えば、ほとんど夜逃げだった。
父さまはそれでいいかもしれない。立派な農民――立派な農民って何よ――になれれば、人生楽しいでしょうよ。
でも、私の未来は?私も栄吉も公子も、こんなところで地味に暮らしていくの?
私はもう一度大きなため息をついた。ため息をついても、文句を垂れても、今は父さまについて行くしかない。所詮、私はまだまだ子供だ。
栄吉たちの手を引いてずんずん草むらを進んでいく父さまの背中を見失わないよう、私は歩を速めた。鋭い草花が足の甲にチクチクと刺さる。痛い。痛いけど、我慢しなくちゃいけないんだ。私は、ここで生きていくしかないのだから。
何度目かわからないくらい草や虫に刺され、足の痛みに早くも慣れてしまった。足元のことを気にするのをやめて、ふと顔を上げると丘の上に赤いものが見えた。緑の森と青い空ばかりの場所に不釣り合いな赤。森に隠れて全体は見えないけど、家の屋根みたいだ。
「父さま、あれは?」
「んん?なんだろうな。もしかしたら、山縣先生の別宅かもなぁ。まあ別宅なんかあったところで、使わないだろうがな」
父さまは可笑しそうに笑った。私は笑う気になんかなれなかったけど、父さまの言うことはその通りだとは思う。山縣先生、つまり山縣有朋といえば、総理大臣就任秒読みの日本一忙しいお人だと言って差し支えない。こんな田舎の別荘でのんびりしているなんて、考えられなかった。
それじゃあ、何のために別荘なんて作ったんだろう。素朴な疑問が浮かんだけど、私の頭の中は明日から始まる憂鬱な生活のことですぐにいっぱいになった。
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