大樹の下から、船を漕ぐ

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 次の日から、私たち家族の新しい暮らしが始まった。  それは、今までとは雲泥の差だった。  そこそこ大きな呉服屋に生まれた私は、お嬢様、お嬢様、ともてはやされ、蝶よ花よと育てられた。でも、そんな生活は今や夢幻。  鉛筆や算盤を、鍬や草刈鎌に持ち替えて、朝から晩まで畑仕事。    農具を扱ったことなんてない私の腕は、たちまち鈍い痛みに襲われた。栄吉も公子も、疲れたー、つまんなーい、と駄々をこねる始末だから、二人をあやすのにも難儀した。  昔は農民だったという父さまですら、ヘトヘトになっている様子だ。先が思いやられる。  しかも、だ。想像していたよりも、この地はまだまだ農場として使うには土壌が出来上がっていなかった。先に開拓している人たちがいると聞いていたから、もう少しマシだと思ってた。  本当に、大丈夫なんだろうか。下手をすれば、生き死にに関わるんじゃないかとさえ思える。  なんで、なんで、……私の頭の中はそれでいっぱいだった。 ***  そんなある日、私は野菜を分けてもらいに隣近所を回っていた。私たちに与えられた土地で作物が取れるようになるのはまだまだ先。土地が農地として機能するようになるまでは、こうして先に開拓を始めているご近所のお世話になる。見返りに、私は針仕事を引き受ける。  近所といっても、回りきるのに半日ほどかかる。父さまは心配だから他の人間に行かせようとしたけれど、私は気分転換がてら外に出たかったので、お使い役を買って出た。  でも、気分転換は、行きの道すがらだけだった。 「こんなにまっと着物、くらねえけ?」  針仕事用の農作業着を受け取った時、その家の下女が言った言葉が、なまりが強すぎてわからなかった。なんとこの地では、言葉も通じないというのか。 「ええっと……」 「(ばあ)、そん人東京から来たんだべ。おめぇ、訛りが強すぎていけねえ」  奥から出てきた女性の言葉は、いくらか聞き取れた。この家の奥様のようだ。 「(わり)ぃねえ。そんなにたまげるほど着物あってだいじか?と言ってんさ」  たぶん、「そんなに針仕事をお願いしちゃって大丈夫?」と聞かれてるんだ。そういうことにしよう。私は、「はい、大丈夫です」と答えて背負ってきていた駕籠に着物を詰め込んだ。 「針仕事は得意なんです。実家が呉服屋だったものですから」 「呉服屋!へぇー、なじょなしゃああんめ事があっだのか()んねぇけど、んだな白い腕で務まる程甘ぐはねぇべさ」  また、栃木弁だ。今度は、後半だけわかった。 「ありがとうございます。すぐに仕上げてお持ちしますわ」会話がかみ合っていないのはわかっていたけど、私は呉服屋時代に培った商売用の笑顔を顔に張り付けた。  その後、芋や葱をもらってから、私はその家を後にした。  見渡す限りの畑を見ていると、さっき言われた言葉が頭の中にこだました。きっと、こう言われていたのだ。  ――東京から来たやつに務まる程甘くはない。  そんなことはわかってる。だから今、苦労してるっていうのに。    あぜ道を歩いていると、畑を耕している人たちが、私を見ては何かヒソヒソと話しているのが視界の端に見えた。私がそちらに顔を向けると、彼らはぱっと、何事もなかったかのように畑仕事を再開する。  何を話しているのかはわからないけど、彼らによく思われていないことだけは間違いなかった。それを見て落ち込むとか、そういう気持ちも少しはあったけど、それ以上に、怒りを覚えた。  あなたたちに、何がわかるっていうの。私の、何がわかるっていうの。  怒りに任せてあぜ道を歩き抜け、山間(やまあい)の獣道に入った。ここを越えれば近道だったはず。早く、帰りたい。本当は東京に帰りたいけど、せめて家族の待つ家に、早く。  そんなことを慣れてもないのにするべきじゃなかった。私は完全に、山の中で道に迷った。しばらく歩き回ってみたけど、いっこうに見慣れた景色が見えてこない。
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