Hey!!彼女!チューしようぜ!

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  セクハラという言葉もなかった昭和の頃、とある会社にしょっちゅう、「ヘイ!彼女!チューしようぜ!」と女性社員をからかう男がいた。その為に彼は平忠雄(たいらただお)という本名を或る女性社員に捩られ、皆からヘイチューという綽名で呼ばれるようになった。  で、このヘイチュー、会社の課長で優男で女性社員達にもてたのだが、社長の秘書で会社切っての美人である栄子にはどうしても相手にされなかった。何しろ栄子は普段から社長に侍っていて社長しか尊敬できず、社長以外の男を軽蔑しやすいバイアスがかかっていたのだ。  それでもヘイチューは栄子の美しさに参っているから何とか相手にしてもらおうと何度も栄子の借家に手紙を送ったが、彼女は一切返事をくれない。  況して、「あなたの顔は花のように美しい!あなたの手は紅葉のように可憐だ!あなたの心は青空のように澄んでいる!」などとこんな陳腐で在り来たりな青い文句を並べ立てるのだから栄子が馬鹿にして返事をしないのも無理はないと言えなくもないが、ヘイチューにしたら失礼千万なことなので、こうなりゃあ意地でも返事を書かしてやると彼は次のような手紙を送った。 「せめて手紙を読んだ証明となる言葉だけでも良いですから返事をください。お願いします。」  するとA4サイズの真っ白な便箋のど真ん中に一文字だけ『読』とあるのみの手紙が送られて来た。而もヘイチューの書いた手紙の読という文字を切り取って貼ってあったのだ。  時は2月の末、哀れ、ヘイチューは寒気にわななきながら心の中がシャーベットのように冷え切ってしまった。 「冗談じゃねえ、所詮、寄らば大樹の陰と頼る女の心は動かせねえ…」  ヘイチューはその見解に落ち着き、一旦は諦めたが、6月の梅雨時、車軸を流すような大雨が降るえらく暗い晩にこう思った。 「こんな道の見分けもままならない晩に濡れ鼠の体で訪ねてゆけば、同僚の誼で泊めてくれるに違いない。そうなればチャンス到来だ。」  偶々栄子が住んでいる借家近辺を歩いていたヘイチューは、その了見で心が固まり、故意に傘を捨て、ずぶ濡れになって栄子の借家の玄関前にやって来て呼び出しブザーを押した。 「ピンポーン!」 「は~い!」と借家の奥から栄子の声が聞こえて来て彼女が三和土に降りてドア越しに聞いた。「どなたですか?」 「平です。」 「えっ、こんな夜分遅くに而も大雨が降ってるのに何しに来たんですか?」 「いや、何しに来たと言うか、只、その、何しろ突然、突風に見舞われましてね、傘を飛ばされて見失った上にくたくたで暗くて土砂降りで、もう、これ以上一歩も歩けないような始末で・・・」 「まさか泊めてくれと言いたいの?」 「いや、泊めろとまでは言いませんが、止むまでで良いんです。何しろ全身雨でべたべたで風邪をひきそうで、もう悲惨な状態なんです。ですから、せめて中で体を拭かせてください。」 「でも・・・」 「あなたの心配しているようなことは絶対しません。ですから・・・」 「・・・」 「考えてもみてください。僕がそんなことをしたら、あなたは社長に訴え、僕は身の破滅につながるんですよ。ですから、そんなことする筈ないですよ、兎に角、そんなことより僕は体が冷え切って疲れて今にもぶったおれそうなんです。ですから・・・」 「ほんとうに?」 「はい、もう、このままだとここにへたり込んでしまいそうなんです。」 「えっ!それは困るわ。」と栄子は思わず口に出し、そわそわし出し、もうしょうがないと思って少しだけ玄関ドアを開けて覗いてみると、確かに酷い風体だった。 「まあ、ほんとになんて酷い・・・どうしましょ・・・」 「あの、図々しいことを言うようですが、長いこと雨に打たれて体が冷え切ってるんで風呂に入らせてもらえませんか?」 「えー!お風呂に!」 「はい、何しろ、寒気がして風邪をひきそうで・・・」  ヘイチューは極寒の雪国にいるかの如く殊更に寒そうに体を震わせた。その気色に観念した栄子は、已む無く言った。 「じゃあ、ちょっと待ってて!今からお風呂を沸かしますから。」 「はあ、そうですか、いやあ、ありがたい、本当に助かります。」  しめしめと玄関ドアを開け、三和土に踏み入り、突っ立ったままで雨の雫を落としながら風呂が沸くのを待つことにしたヘイチューは、実際に風呂に入ることになって、その間、ブーケの花で彩られ、ピンク系の色で染まる、この上なく良い香りのする栄子の雰囲気に満ちた中で湯船に浸かり、恍惚としながら栄子にドライヤーやアイロンで衣服を乾かしてもらうことになった。  彼是、30分も湯船に浸かってからヘイチューは風呂場を出て脱衣場でバスタオルを探したが、風呂場に湯桶や風呂椅子やボディタオルなど肌に触れるものを予め栄子が持ち出したようにバスタオルもなく、その代わりバスタオルハンガーに雑巾が3枚かけてあった。 「ぞ、雑巾かよ!汚物じゃあるまいし、これで拭けと言うのか、せめてタオルくらい用意しとけよ。まあ、しかし、今日までプライベートでは何の付き合いもなかったんだからしょうがないか・・・」  ヘイチューは仕方なく体の水分を雑巾で拭き取って下着を着てから栄子によって折りたたまれた衣服を身に着けて脱衣場から出ると、その足音に気づいて、「熱いお茶を入れますからどうぞこちらへ!」と親切に言う栄子の声がする居間の方へいそいそと向かった。  見ると、部屋着姿の栄子が円卓に座って、まるで主人を持つようにお茶を急須から湯呑に注いでいる。  当然、栄子と恋仲になりたいヘイチューは、誘われるが儘、栄子の向かいに敷いてある座布団に座って勧められるお茶を然もおいしそうに啜った。 「どうです、体はあったまりましたか?」 「はい、こんなに良くしていただいたんで、ぽっかぽかになりました。」 「ふふふ、それは良かったですね。」  雑巾の件は兎も角、ここまでの成り行き、そして今、初めて栄子に優しく微笑み掛けられたことで大感激したヘイチューは、元々単純で好色なので彼女が自分に好意を持っていると心底、思い込み、勢い彼女に飛びついて抱き着いてしまった。 「ああん、駄目!駄目!そういうことはしないって言ってたじゃないの!」 「で、でも、こんな時間に男と女が二人きりでいたら、や、や、やることは決まってるじゃないですか」 「な、何、言ってるの、あなたは!」 「い、いや、僕、会社ではどうしても言えなかったんですが、い、い、今なら言えます!ぼ、僕、あなたがす、す、好きで好きで堪らないんです!」 「私はあなたなんか全然眼中にないの!」 「えっ!」  ショックの余りヘイチューの体が固まってしまうと、その隙に栄子は彼の体から擦り抜け、一目散に借屋から出て行ってマイカーで逐電してしまった。 「嗚呼、なんて女だ。俺一人残して自分の棲家を出て行くとは・・・大方、社長のところへ行ったんだろう。もう俺は終わりだ。しかし、こんな惨い嫌われ方をされても俺はあの女が好きで堪らない。嗚呼、こんなことではいけない、何とか嫌いになる手はないものか・・・」  ヘイチューは暫し、必死に考えた。 「あっ、そうだ、トイレだ!トイレの臭い匂いを少しでも嗅げれば、少しは嫌いになれるかもしれない。」  そう思ったヘイチューは、トイレに入ってみたが、ドアを開けた瞬間からとても芳しい香りが漂って来て、おまけに栄子そのもののフェロモンまで漂って来るので、「成程、毎日、ここに座って用を足してるから匂いが染みついてるんだ・・・」と思い、便器の座面に鼻を近づけてみると、「ああ、これだこれだ、正にさっき抱き着いた時に嗅いだあの匂いだ。いや、それ以上!正にこれは栄子の花園だ!ガルゥゥゥ~!」と狂喜したので思わず栄子のあれを嘗める積もりで便器の座面を嘗めてしまった。  それが格別うまいと感じてしまったのが運の尽きで、それからエスカレートしたヘイチューは、栄子の尿が付着していると思われる便器の中までうまそうに嘗めて行き、遂に水が溜まっているところへ舌を入れてみると、なんだ、これは!こんなおいしい飲み物は初めてだ!と思った弾みに蓋を開けた時から気になっていた水溜りに浮いているトイレットペーパーを除けてみたところ、なんと栄子が流し忘れたものか、それはそれは見事な一本糞が隠れていて、それがまた不思議なことに頗る好い香りがするのでヘイチューは水溜りの中に口を突っ込んでふやけそうになっている一本糞を水と一緒に食べてしまった。恋心が募るとこうもなるものか、これが無上の美味に感じてしまったのでもう完全に変態になってしまった。  その後、一議に及ばず問答無用と会社を首になり、以来、栄子のストーカーと化すばかりでなく、栄子のうんこ食べたいスカトロ星人と化したヘイチューは、或る日の早朝、栄子の借家敷地内にこっそり進入し、トイレの壁際まで行き、トイレの窓にできる限り耳を近づけ、栄子が大便をする音を今か今かと待ち受けた。  すると、そこへ来て25分ほど経ってから紛れもなくトイレのドアが開く音がして便座に座るまでの諸々の音がして、まず排尿の音がした。続いて栄子の屁の音が聞こえた日にはヘイチューは飛び上がって喜びたくなった。何しろ栄子の屁の音を聞くのは初めてで而も期待通りの可愛らしいものだったので彼が興奮しない筈はなく、しかし、それより遥かに興奮するのは大便をする時の音で、あの美人がどんな音を立てて糞をするのか、この一事に興味の焦点が絞られた。  その時だった。ブリブリブリ!という余りにも意外な自分がするのと変わりのないような音を立てながらボトボトボトと水の中に糞が落ちる音がしたので美人も普通の人間と変わりないんだなあと実感したヘイチューは、窓から漂って来る糞とは思えない芳しい香りを嗅ぎながら堪らなく栄子の糞が食べたくなってしまった。  しかし、その時はどうすることも出来ず、帰途に就くと、暫くして、にわか雨が降って来た。困ったヘイチューは木の下で雨宿りするべく近くの公園目掛けて駆けて行くと、途中で道端に落ちている傘を見つけた。立ち止まってよく見てみると、誰かがちょっと使って捨てたらしく、あの晩、自分が捨てた傘だった。彼はラッキーと思って傘を拾ってさした。その傘の中で歩きながら栄子の糞の味を想像し、その内にさぞおいしかろう、今朝のは音からして、ころころうんこだったから、たこ焼きの味かな、それとも肉団子のように柔らかいかな、それとも飴玉みたいに硬くて甘いかななぞと妄想がどんどん広がって行った。    或る雨の日もヘイチューは栄子が会社から帰る時間を見計らって傘の中で妄想を膨らませながら栄子の借家近くの電柱に身を隠して彼女を待っていた。  黄昏時で夜の帳が下りかかっていたし雨雲の所為で辺りは薄暮より暗く栄子は電柱を横切る時もヘイチューに気が付かなかった。  ヘイチューはその間、栄子の隣の男に出来れば、飛びかかって決定的なダメージを与えたくなってむずむずしていた。何しろ隣の男とは栄子の恋人であり自分を首にした社長だったのだから当然と言えば当然で、「俺は大人の汚い駆け引きを勝ち抜き、叩き上げで課長まで昇進した苦労人だ!それに引き替え、お前は腰巾着によいしょされ続け知らぬが仏で何の苦労もせず親の七光りで社長になったボンボンだ!だから俺の熟知する世の中の糞が分かってたまるか!」と在職中に言いたくても言えなかった言葉をせめて吐きつけたかった。序に、「スカトロ星人にしか味わえない栄子の糞の妙味も分かってたまるか!」と言いたかったのだが、そうしたらストーカー行為がばれてしまうので狂おしい程の嫉妬心を抱き、歯ぎしりしつつ見送ってしまうのだった。  而もヘイチューの苦悶はそれだけでは済まなかった。なんと二人は見せつけるように借家の前で相合傘の下、唇を合わせてキスをしたのだ。  後をこっそりついて行き、そのラブシーンを確かに見てしまったヘイチューは、ショックのあまり卒倒しそうになり、家に帰ってからも死ぬ程、悶え苦しんだ。  それから一ヶ月余り過ぎた或る日、栄子の家にバキュームカーがやって来た。彼女の家のトイレは簡易水洗で汲み取り式なので三ヶ月に一回の割合でやって来るのだ。  清掃員は便槽蓋を外してホースを突っ込むべく屎尿タンクの中を覗き込むと、いつものように屎尿が溜まっていなくてがらんどうになっているので、これはどういうことだ?ひょっとして他の業者に頼んだのか?と疑問に思って栄子が在宅時に電話をして尋ねたところ彼女曰くまさか頼む筈がないとのことなので二人は謎に包まれ、すっかり不可思議になってしまった。  更に一週間経った夜中のことだった。栄子は目が覚めて排尿がしたくなってトイレに向かうと、何か外から不審な音が聞こえて来るのでトイレに電気を付けずにこそっと入ってトイレの窓から物音に耳を欹てた。すると、地の底からぽちゃぽちゃと音がした後、暫くしてから物を啜るような音がして口の中でくちゃくちゃと音を立てるような音までするので、まさかとは思ったものの、そうか、それで屎尿がなくなるんだわと勘付いた。で、屎尿を汲み上げて啜って食べている超変態人間を想像して総毛だって悲鳴を上げそうになったが、ここは冷静にと自らを戒め、兎に角110番しようと思って警察に電話をかけた。 「何がありました?」 「あの、私の家の便槽蓋のところに不審者と言うか変質者がいて、どうやら屎尿をくみ取って啜って食べてるようなんです」 「えっ!ま、まさか!へへへ、悪い冗談は止してください。このところ悪戯電話が多くてですねえ」 「いえいえ!悪戯電話なんかじゃありません!ほんとにほんとなんです!第一、場所が私の家と言ってるんですよ!その上で冗談なんか言うものですか!」 「ああ、成程、そうですね、確かに今時はどんな変質者が現れても不思議ではないですからねえ・・・はい、分かりました。で、今、そいつはどうしてるんですか?」 「今も続けています!」 「そうですか、分かりました。ではあなたのお名前と住所と電話番号をお伝えください」  そんな遣り取りがあった後、栄子の借家にパトカーが急行した。言わずもがな、くだんの変質者はヘイチューだったのだが、パトカーのサイレンの音が近づいて来ても夢中で取っ手にロープを繋いだバケツを下ろして屎尿を汲み上げては啜って食べるということを繰り返していた。  結局、ヘイチューは駆けつけた警察官らに不審極まりない不法侵入者としてあっさり現行犯逮捕された。そして前代未聞の奇妙キテレツな事件に、こいつはどう裁かれるのだろう?ここの住人にとっては屎尿汲み取り代が浮いて助かってる訳だし・・・と警察官らは話し合いながら変てこりんな気分になると共にヘイチューを同じ人間とは思えず、こいつは妖怪その物だ・・・と途轍もなく不気味に感じた。  その逮捕劇を庭に出てこっそり覗いていた栄子は、その垢嘗め妖怪のように変わり果てたなりを哀れに思いながらも鳥肌を立てて半端でなく不気味に感じた。  警察署へ送致され、取り調べを受ける中、ヘイチューは正直に切々と犯行に至った今までの経緯を吐露した。  その供述を聞いていて、うんこを食べるしか欲情を満たせない汚物地獄のような苦境と切ない恋心を痛い程、感じ取った刑事は、深く憐憫すると共に恋心が募ると、こうもなるものかと人間の新たな可能性を見た気がして戦慄して驚愕した。  拘置所に勾留されている間、ヘイチューは刑事に、「異常だった自分をじっくり省察し、自分が精神的苦痛と恐怖を与えた被害者に対し済まなかったとしっかり反省した上で改心して真人間に成れ、そうすれば罰金刑だけで済む。」と言われていたので確かに俺は異常だった、栄子に申し訳なかったと反省し、真人間になろうと一心に努めた。  その努力が実って情状酌量されたらしく、裁判の結果、軽犯罪と住宅侵入罪に当たるとして罰金10万円だけで済んだ。  実際、更生したヘイチューは、釈放後、新たな会社に就職してから、ヘイ!彼女!チューしようぜ!なぞと軽々しいセクハラ紛いの言動はしなくなったから、もう二度とヘイチューと呼ばれることはなかった。
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