第2章

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古城のスマホが鳴った。神岡の文字が出ている。前に花音に話した古城の父の友人の名だ。 ……神岡さんだ。 「ちょっとごめんね」 道の脇に車を止めて、古城が電話に出ると、 >>悪いな、電話くれてたんだな。 「はい」 >>日本に帰ってきたのか 「……はい」 >>お前、まさか…… 神岡は言いよどんだ。  「違いますよ。仕事で来たんです。暫く日本とアメリカを行き来する事になると思いますが、近々会いに行きますので」 >>……そうか、それなら良いんだが……―― 心配そうな声だ。義父に復讐するのではと心配しているようだ。 花音をちらりと見ると、チャッピーの頭を愛おしそうに撫ぜている。その手に持つスマホのRinのチャームが車の窓越しに太陽の光を受けてキラッと光った。 母親は俺が小学校一年、凛が幼稚園の年少の時に再婚した。義父にも凛と同い年の連れ子がいた。 凛は自殺だった。花音に亡くなった理由を伏せたのは、彼女と会った後に命を絶ったとは、とても言えなかったからだ。 入水自殺をする前日に、 「お兄ちゃん。話があるの……」 と真夜中、俺の部屋に来てすがるような眼で見つめて言った。 「なに? 改まって……」 「…………やっぱり、いい。また、今度にするね」 そう言って、淋しそうに笑うと部屋を出て行った。あの時無理にでも話を聞くべきだったのに…… 凛の苦しみに何故、気づいてやれなかったのかと悔やんでも悔やみきれない。 遺書はなく、俺に一片のメモを残しただけ。 “お兄ちゃん、凛のこと忘れないでね。ずっとずっと覚えていてね” 命の代償とするには、あまりにも簡単な一文。 解剖で、妹は妊娠していた事が分かった。まだ中学生だったのに…… さらに、信じられないことは、その相手は義父だった。 凛は義父に、小さい時から性的虐待を受けていたのだ。まさか自分の娘と同じ年の凛に手を出すなどと……考えられなかった。 再婚して以来、家族とは名ばかりの扱いを受けてきたが、中でも凛は俺の知らない所で地獄の苦しみを受けて来たのだ。 そんな奴は殺すしかないと思った。それだけが凛への償いになると…… その俺を止めたのは、神岡さんだ。 神岡は、大学教授だった父の助手だった人だ。父の友人としていつも気遣ってくれた。父が亡くなった後もずっと自分達家族の事を気にかけてくれた人だった。 「あの時のお前は何をしでかすか分からないと思って、アメリカに留学させたけど、他国で一人淋しい思いをさせて悪かった」 神岡さんは顔を見るたびに謝ってくれる。けど、今は神岡さんが正しかったと思う。凛は自分の復讐のために殺人なんて望まないだろう。自分のせいでオレが犯罪者になるなんて…… 「じゃあ、信じてるからな……」 「はい」 ――……いつでも、遊びに来てくれよ!…… 「はい、近いうちに伺います」 古城は電話を切ると、花音に話しかけた。 「ごめんね、長電話で。親父の友達の神岡さんていう人なんだ」 「神岡さん……」 「父は生前、大学教授で、神岡さんは当時の助手。今は教授になってるけど」 「じゃあ、凛ちゃんのこと……」 「よく知っているよ」 「あ、あの……凛ちゃんは、海が好きなんですよね」 花音が、躊躇いがちに話してきた。凛の死について気になるのだろう。 「ん? ああ……」 凛が海を好き? 初耳だった。 「凛ちゃん、海の一部になりたいって……」 「海の一部……?」 「はい。そうなれたら、自分の中の嫌なことや苦しいことがなくなってしまうような気がするって……海の碧と空の青の同化する所、静かで何もない所。 そこには波の音と風の音しか聞こえなくて、太陽の光が温かく降り注いでいつの間にか眠ってしまう、そんな場所に憧れるって……。 私がそれって、太平洋の真ん中辺りって聞いたら、静かに笑っていました。その時の姿が信じられないくらい綺麗でした」 凛、お前の最後の言葉は彼女が聞いてくれていたんだね。 「そう……」 「でも、凜ちゃんはあの後、……亡くなったんですよね……」 「…………」 オレは答えることが出来なかった。続きを話す気にはとてもなれなかったからだ。答えを濁していることで、察しているかもしれないが…… 苦しみを抱えたまま一人で逝ってしまった凜。 凜の魂は安らかに眠っているだろうかと気がかりだった。 彼女に話した海の碧と空の青の同化するところで眠っているのだろうか…… あまりに抽象的な表現で、どこなのか見当がつかないが…… 凜、お前はそこに行けたのだろうか……安らかに眠れているだろうか……
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