93人が本棚に入れています
本棚に追加
第1章
「じゃぁ、チャッピー、会社に行って来るから、お利口にして待っててね!」
淋しそうに見つめるチャッピーの頭を撫でると、少し後ろ髪を引かれる思いで家を出た。
チャッピーは白と茶の毛がふわふわのキャバリエという犬種。
いつも花音の心を癒してくれる可愛い家族。
電車の中で、スマホを見る。
待ち受け画面には、白いセーターを着た爽やかな顔立ちの少年と、髪の長い美しい女の子の姿が映っている。
(凛ちゃん、お兄さん。今日も一日頑張ります!)
凛ちゃんは友達で、その隣はお兄さんの賢さんだ。
中学3年のゴールデンウィークに訪れた和歌山の浜辺で友達になった凛ちゃん。
花音にとって、あんなに楽しく話せた子は今までいなかった。
人見知りな性格のために、友達のいない花音。
凛ちゃんにだけは、初めて合った時からなんでも打ち明けられた。
臆病な性格のせいで、いつも学校で一人ぼっちなこと。勉強やお稽古事がダメなせいで、父親に疎ましがられている事……
凛ちゃんは、真摯に私の話を聞いてくれて、抱え込んでいたものが軽くなるのを感じた。
「ねっ、花音ちゃんは、誰が一番好き?」
「ママかなぁ……?」
「え? 疑問形?」
「うん。ママは仕事が忙しくて、あんまり会えないし……。なんかよく分からなくなってくるの。ルリ子さんの方がママみたい」
「ルリ子さん?」
「うん。いつも一緒にいてくれる人、とっても優しいの。大好き! でも、ママじゃないでしょ。ルリ子さん方が好きって言ったら、……ママ、悲しむと思うから……」
「お父さんは?」
「お父さんは、怖い。いつも怒ってばかり……凛ちゃんは?」
「私のお父さんは、私の小さな時に死んじゃった」
「えっ?」
花音は、驚いて言葉を飲み込んだ。
「でも、私にはお兄ちゃんがいるから」
凛ちゃんは花音を慰めるように、綺麗な笑みを返しくれた。
「これが、お兄ちゃんよ。見て!」
携帯電話をパコンと開いて、凛ちゃんはお兄さんの写真を見せてくれた。そこには、上品でキリッとした端正な顔立ちの男の子の写真が映っていた。
「わぁ……!」
「私が世界で1番好きな人。花音ちゃんもお兄ちゃんが好きになってくれたら嬉しいな! 今、高2で、名前は賢って言うの」
こんな素敵な人は初めて見た。凛ちゃんの肩に両手を置いて爽やかに笑っている。
「……素敵……」
思わず言葉に出た。花音が熱心に見ていると、
「でしょう?」
凛ちゃんは嬉しそうに笑った。
花音は写真の男の子に魅了された。花音の初恋だ。
その日、暗くなるまで二人で話した。
同い年で、二人とも大阪に住んでいるという事も嬉しかったし、何より一緒にいると楽しかった。
だけど次の日、凛ちゃんは来なかった。
明日も会おうと約束したのに……
次の日も次の日も、凛ちゃんに会いたくて海辺に行って待ったけど、もう二度と会える事はなかった。
花音は、ゴールデンウィーク中、海辺で待ち続けた。
今では、まるであの時の事が、幻だったのではと思えてくる。
手元に残るスマホの写真が、二人の出会いが現実だったと教えてくれるだけだ。
―――あれから10年、花音は25歳になり、今は大阪の御堂筋本町に本社を置く中堅の商事会社西山物産で働いている。
最初のコメントを投稿しよう!