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夜明け
冬眠するように息を止めたかった。死んでいるかのように無でありたかった。明日があるだけでよかった。しかし、僕らに与えられたのは不確定の朝。
空は澄み切って、星と満月がよく映える。刺すような寒さは手足を襲い、心までも凍らせる。
少し前まで刃を人に向けることすら躊躇っていたのに、今では平気で人を斬り殺している。
刀の柄を握り直し、大きく振った。鈍い音と断末魔が夜空に溶けて、月が赤く染まる。そして、僕は明日を得る。観客席の喧騒がやけにうるさくて、罪悪感に苛まれて、緊張が解けて……その場に倒れ込んだ。
僕は、あと何回人を殺せばいいのだろうか。
***
起床のアラームが鳴った。もうすっかり慣れたせいか、久々に快適な睡眠であった。布団の温かさに負けないよう、早々にベッドから出た。寒さに愚痴を言いながらポストに入っていた対戦スケジュールを見る。今晩の予定が更新されていた。
「……」
荒い文字で「今日は菊田と対戦」と書かれていた。菊田(きくた)とはクラスメイトで、唯一の友達であり、好きな人である。
学校に行くのが嫌になった。枕に顔を埋めて冬眠していたかった。しかし、そんなことは許されない。僕が奴隷だからだ。
僕は貴族の次男として生まれ、十五歳になる前の日、両親に売られた。おそらく、勉強ができなくて、兄の面汚しになると考えたからだろう。
奴隷といっても、僕は賭け事の道具と見せ物である。毎晩行われる殺し合いに出場し、主人の駒となり、観客を楽しませる。それが僕の役割だ。
午前七時半。準備を終え、部屋を出る。学校内にある寮に住んでいるため、教室まで五分もあれば行ける。廊下の窓から差し込む朝日が眩しくて目を細めた。
教室に着き、席に座ろうとすると、机に「死ね」と書かれていた。
「来たぞ、落ちぶれ貴族だ」
「昨晩は誰を殺したんだろうね」
「ま、あいつら《・・・・》と当たったら俺は勝ち目ないから、諦めるしかないんだよね」
ここにいる全員が奴隷というわけではなく、稀に貴族を恨む貧しい人もいる。そのせいで僕は八つ当たりの対象となってしまっている。菊田さんもその一人だ。そして、お互いに孤独だったからだろうか、いつの間にか仲良くなっていた。
「新田(あらた)くん、おはよう」
菊田だった。真っ白な肌故に目立つ唇、頬の赤が非常に印象的である。程よく伸びた黒檀のような髪も魅力的だ。
「おはよう」
しかし、会話のネタ一つすら思い浮かばず、意識的に目を逸らしてしまった。今晩、彼女と殺し合いすることを思い出したからだ。
明るく「今日の対戦よろしく」なんて言えるはずもなく、言葉を交わさないまま彼女は席へ着いた。
僕は彼女へ刃を向けることはできない。かといって、棒立ちすることは彼女への侮辱行為だ。そもそも、彼女が本気で刀を振るならば、それこそフラれたと同義だろう。
午前八時になり、鐘が鳴った。
***
小気味良い木材の衝突音が鳴り響く。ただ、今晩のことだけを考えて木刀を振る。ひたすら相手の攻撃を受け続け、間合いを詰めることを忘れていた。
「新田! てめぇふざけてんのか?」
パートナーの寺内が木刀を下ろして近づき、僕の胸ぐらを掴んだ。
「そんなつもりは……」
「それじゃあなんだ。最強故の煽りってやつか? それとも、鶏の霊に憑依されたのか?」
好きな人を守れない無力な自分に嫌気が差していた。彼女と戦うかどうか悩んでいた自分を許せなかった。朝を迎えられないことが、彼女を忘れることが、怖かった。
「覚悟もねーやつが、なんで剣術最強って呼ばれてんだよ」
そうだ、たった一日で、自分が死ぬ覚悟も彼女へ刃を向ける覚悟もできるはずがない。それを相談する相手もいない。答えは見えているが、プライドが邪魔をする。結局、一人で思考を巡らせるだけで何も進展しない。
「お前なんてよ、鼻へし折られて無様に死んでろ」
寺内はそう言って僕を押し倒し、去って行った。僕は運動場で仰向けになったまま空を見上げた。日中とはいえ、寒いことに変わりはなく、顔や手先が痛くなってくる。
上の方から足音が近づいてきたので、目を向けるとそこには菊田がいた。刀を二本持っていて、真剣な表情をしている。
「はい。一本勝負ね」
そう言って菊田は刀を一本差し出した。僕は渋々立ち上がり、刀を受け取る。このやり取りは木刀で何度もやったことがある。
彼女は鞘から刀を抜き――構える。僕は柄を握り、刀を抜く。
そして――菊田が刀を振る。それに刀を合わせ、攻撃を受け流す。彼女の攻撃は明らかに大振りで隙だらけであった。すかさず反撃をするが、動きが遅かったせいで払われる。
続いて、彼女は間合いを詰めて腹へ蹴りを入れてきた。しかし、横腹をかすめただけであった。僕はバランスを崩してよろける。
そこに彼女が渾身の一撃を加えれば、僕は確実に負けていたが、彼女は寸止めどころか振る素振りすら見せずに止まった。
「やっぱり無理だよ……私は新田くんを殺せない」
彼女は刀を下ろし、鞘に収めた。
「新田くん、私を殺してよ」
「僕だって無理だよ……」
「あんな馬鹿みたいな殺し合いしたくないのにね」
「じゃあ、主人と戦おう」
「えっ?」
完全に思いつきだった。主人を殺し、奴隷という立ち位置を変える。革命を起こすのだ。
「僕たちならできるはず。なんせ、学校のツートップだよ? 護衛とか蹴散らして、二人で生きよう!」
「賛成!」
菊田は笑いながら右腕を上げた。死ねない理由ができたのに、緊張がほぐれた。きっと、菊田のおかげだ。
***
午後九時。学校から一キロほど離れた場所にある闘技場へ到着した。いつもに増して観客が多かった。おそらく、ツートップの試合だからだろう。
僕はいつもと同じく監視人に裏門へ連れて行かれた。裏門から入るとすぐそこに待機室がある。待機室で防具を着たり、刀を試し振りしたりするのだ。
もちろん、対戦相手と部屋は分かれているが、隔てる壁は板一枚である。そのため、隣の音はよく聞こえる。
一人につき三人の監視人が着いているが、従順な僕に対して警戒するはずもなく、立ち寝や読書は当たり前になっている。
「よしっ!」
隣の部屋から威勢の良い声が聞こえた。
「よしっ!」
答えるように僕も気合いを入れる。
そして、握った刀を監視人たちに対して振った。首元と足を切り、できる限り小さい立ち回りで戦力を剥ぎ落とす。隣からも断末魔が聞こえ、一安心した。
部屋から出て、菊田と合流した。監視人の叫び声を聞きつけて警備隊が来る。監視人とは違い、本格的な武装をしている上に、容赦はないし、人数も圧倒的に多い。
囲われないように移動しながら着実に人数を減らしていく。警備隊の防具は僕たちと違い、硬くて重たい。そのため、刀が通らない。なので、的確に肌の見えている部分を斬り、時には蹴り倒し、防具の軽さを活かして逃げ回る。
振り下ろされる刀を受け流し、腕の関節部分を斬り、次の対処をする。体力は消耗する一方で、僕も菊田も息を荒らげ始めた。そんな時、避難する観客の中に名も知らない主人を見つけた。
「主人見つけた」
「私も」
主人は目が合った瞬間に顔が青ざめ、必死になって逃げようとした。しかし、僕はすぐさま彼を追いかけ、背中とうなじを斬った。
菊田は主人らしき人物と剣を交えていた。応戦しようと向かうが、警備隊が邪魔をする。
波状に敵を避けて進み、菊田の主人の腕に一太刀浴びせた。菊田が追い討ちに肩から斜めに刃を通す。すると、菊田の主人は歯を食いしばりながら倒れた。
「そろそろ限界」
僕はめまいがするほど疲れ切っていた。
「でも、あと少しだよ」
彼女は刀を構え直し、警備隊の中へ突っ込んで行った。僕も負けてられないと、彼女に続いた。
それからどれくらい戦っただろうか。どれくらい傷ついただろうか。気がつけば、僕たちは並んで倒れていた。
「警備隊が、実はまだ隠れてました。なんてことはないよな」
「フラグだよ、それ」
そう言って菊田は笑った。つられて僕も笑った。
腕や腹が痛む。安い防具のせいで、防ぎ切れなかった攻撃が貫通して、それなりに傷を追っていた。返り血なのか、流れている血なのか見分けが付かないほど、僕たちは人を殺した。
「星、綺麗だね」
「そうだね。それに比べて僕たちは血塗れ。人殺しの罪も合わせたら、ものすごく汚いのかもしれない」
真夜中の空は星が美しく輝いていて、何時間でも見ていられた。
「でも、僕は菊田と迎えられる朝が、美しさよりも大切なものだと思う」
「柄にもなくかっこいいこと言うね」
恥ずかしくなって顔を手のひらで覆った。
「でも、そういうところ、好きだよ」
「ありがとう。僕も、菊田のこと好きだよ」
「亮太」
「……美玲」
下の名前で呼び合う気恥ずかしさと嬉しさが絶妙に噛み合って、無性に叫びたくなる。
横を向くと目が合う。体も横にして、体を寄せ合い、目を閉じ、手を合わせ、体温を感じる。
戦いの熱も徐々に冷め、冬の寒さが押し寄せてくる。同時に空が青みを帯び、太陽が顔を出す。
あたたかいキスで夜が明ける。
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