柚子

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 和風を売りにする寺の町なのだから、むしろ仏教化したミトラス神である弥勒菩薩の縁日でも行えばいいのになどと勝手に脳内都市景観コンサルト業を行いながら、他人(ひと)の目から見れば。きっと食あたりか二日酔いなのだと誤解されるであろう不快に歪められた面持ちで歩いていると、私の淀みきった鈍色の瞳に果物屋の高配のきつい台に並ぶカラフルな色彩達が急に飛び込んで来た。  その通りかかった果物屋は間口が狭く奥に長い、いわゆるうなぎの寝床(・・・・・・)というやつで、店内は照明も薄暗く、良く言えばノスタルジーを感じさせる塩梅の良い明るさで、軒先にかかるオレンジと白の縞の(ひさし)もすっかり日に焼けてビニールも伸びきっていて、高度経済成長期にはそこそこ繁盛していたが、今は細々となんとかかんとか続けているといった印象だ。  しかし、その色褪せた店構えとは相反して、そこに並ぶ赤や黄、橙、黄緑といった果実達はなんとも瑞々しく、生命力に満ちたその色彩は疲弊した私の心にも不思議と活力を与えてくれる。  そうだ! 一年に一番、太陽と人々の生命力が弱まるこの時期に、冬至の祭を行う意義はまさしくここにあるのだ!  打ちひしがれた今の精神状態には神々しすぎるその水菓子達に、私は冬至祭に潜む根源的なその意味合いをここへきて真に悟ったような気がした。  ああ、そうだった。クリスマスの幻惑にかかって私自身うっかり忘れそうになっていたが、そういえば今日は12月22日。日本におけるまさに〝冬至〟の日だ。  せっかくだし、この店で柚子湯に使う柚子でも買って行こう。  ここまで偉そうに能書きを垂れておいて、恥ずかしながら己自身、冬至の準備をしていなかったことを今更にも思い出した私は、狭い店内へ足を踏み入れると鮮やかな黄色い色をした果実へと手を伸ばす。  だが、それが柚子ではなく檸檬であることに途中で気づき、その手を中途半端に空中で止めるとともに、梶井基次郎の小説『檸檬』のことを不意に思い出した。  そういえば、今はもうなくなってしまった寺町通りにあったというその果物屋も、明るく賑わう通りの中ではそこだけが妙に暗かったというし、もしかしたらこの店とどこか似ているのかもしれない。  そんなことを無意識の内にも思った私の脳裏に、この慢性的な憂鬱さをで吹き飛ばしてくれそうな、ある素晴らしい計画が天啓の如く閃いた。  プレゼントをするにもちょうど良い時節だ。 ここは一つ、大先達たる梶井基次郎先生のやり方を真似てみようじゃないか。
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