柚子

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柚子

 得体の知れない賑わいと高揚感が街全体を包み込んでいた。  例えば、ショウウインドウに飾られたキラキラと輝く金・銀・赤の星や玉だの、純白の綿を千切って散らかされた偽物の雪だの、高級そうなコートを纏って、さも物質文明を謳歌する快活な女性を演じさせられているマネキン達だの、そうした浮かれ気分のものの詰まった四角いガラス張りの部屋が、まるでドラマの一場面を切り取ったかのように非現実の空間を点々と大通りに造り出している。  また、カラス瓜の蔦の如く街路樹に絡みついた青白い光の照明が、冷たい冬の外気とも相まって、こんな眩い雪など現実にはありえないはずなのにあたかも雪景色のような錯覚を人々に抱かせ、その幻術を見せる樹々の下を行き交う人々は、どこか落ち着きのない様子で笑い声を弾ませ、その手にある紙袋やリボンの施された包みの上には、どぎつい赤と緑の色ばかりが溢れ返っている。  なんてことはない。この時期になればどの街にも訪れる冬の風物詩、クリスマスの生み出す空気である。  そんな地に足のつかない空気の満ち満ちた街を彷徨い歩きながら、私はその賑わいと活気にいよいよ()てられ、かつてムンクがオスロの高台で世界の叫びを聞いた時のような、恐慌、あるいは嫌悪感にも似た眩暈を覚えていた。  こんなことを言うと、ああ、こいつはクリぼっち(・・・・・)――即ち恋人も親しい友人もおらず、クリスマス・イブを独り淋しく過ごす哀れな人間なのだな…などと、心理カウンセラアよろしく、したり顔でプロファイリングする者もいることだろう。  だが、それは否だ。  そんな他人の価値観でしか己の幸福を推し量れない、浅はかで低俗的な輩と一緒にされてはそれこそ失礼千万である。  それでは、神の子イエスの生誕祭であるというキリスト教的意味合いを忘れ、無知にも〝鶏肉を食う日〟あるいは〝恋人達の記念日〟の如く誤認したり、あまつさえ、商業主義的な金儲けの道具にこの聖なる日を利用している現代日本の様相が気に入らないのか? と問われれば、それもまた否である。  そんな怒りを覚える敬虔なクリスチャン達には敬意を表するとともにある種の親しみすら感じるが、私は彼らよりももっと原理主義者(ファンダメンタリスト)なのだ。  クリスチャンを除けば、正式にキリスト教の教義について学ぶこともなく、中途半端にこの祝日を年中行事の一つに組み込んでしまった現代日本人において、この〝クリスマス〟というものをイエス・キリストの誕生日であると信じて疑わない者がおそらく大半を占めるであろう。  だが、それは古代ローマ帝国の時代において、皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を国教化して以降に作られた概念である。
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