僕と世界の導火線

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僕と世界の導火線

   僕と世界の導火線                            零考楽龍介   無数のヒトのつむじが斜め四十五度を向いていた。こんなにも多くの人がいるのに、教会には僅かにヒソヒソ声があるのみである。彼らの信仰は様々だったが、その手は同じ祈りを結んでいた。  世界の滅亡が告知されて一週間。今日がその日。今がその十分前だ。凄まじい速度の隕石が衝突するとか、逃れる術はないとか、何とか。原因は複雑で告知は唐突だったが、NASAの発表とあれば受け入れる他なかった。  僕が思っていたほど混乱はなく、人々はすぐに『いかに終末を過ごすか』ということに集中した。ひねくれていた僕は暴動でも起こしてやろうかと思っていたのだが、その考えはすぐに消えた。旅先で運命の人に巡り会えたのだ。約一週間のデートを過ごした彼女とこうして教会にたどり着き、今は彼女も祈りの姿勢をとっている。  彼女と出会ったのはある海岸だ。人の考えることは似通っているもので、景色の良い場所には「この世の見納めだ」と多くの人が集まっていた。多くは家族や恋人と過ごしていたので、独り身の僕はさぞ目立っていたことだろう。同じように目立っていた彼女は――夕日に照らされて幻想的で――僕はすぐ口説きにかかった。  世界の終わりに建前はいらない。運命的な出会いだとすぐに分かり、それからは二人で思い出づくりに励んだ。お互い、限られた時間の中で効率よくデートしようという性格は共通していた。喧嘩など起こるはずもない――。  良さそうだと思った場所に行っては景色を楽しみ、そこの名物を食す。世界最後の贅沢に、財布の紐が緩んだ。約一週間、僕たちは会社と自宅の往復という生活圏から飛び出すことができた。行く先々でこれまでの世界の感想を語り合い共有した。知っているつもりの世界が輝いて見えるものだ。こんな美しいものが滅びてしまうなんて悲しいね……そんなことを語り合いながら、肩を抱き合った。  意外にも一週間という時間は、滅亡を覚悟させるのに十分な時間だったようだ。多くの人が旅行でこの世界と自分の未練に別れを告げられたということだろうか。『この地球全て』が滅びると覚悟した人々は最後の祈りを捧げるため、自然と寺や教会に集まったのだった。  満ち足りた思い出と覚悟は二人だけでなく、教会にいる人々全員から恐怖を拭い去っていた。むしろ、世界の最後は一体どんな光景だろうかという好奇心すら湧き始めている。あとどのくらいで『その時』だろうか。スマートフォンに目をやると、『その時』まで既に残り五分を切っていることが分かった。ふと、僕の右手を彼女が強く握りしめる。僅かに震えるその手を僕は握り返した。  ややあって、神父風の男が祭壇に向かって歩きだした。ヒソヒソと聞こえていた話し声は止み、誰もが男に注目した。祭壇に着くと男は話を始めた。 「お集まりの皆さん。世界の終わりに当教会を選んでいただきありがとうございます。最後の時、こうして穏やかに過ごせることを神に感謝します」  男は頭上のステンドグラスを指差して続けた。 「先程のニュースによりますと、こちらの方角から強い光と音が発生するそうです。ステンドグラスの十字架が、ハッキリと輝くことでしょう。最後ですから、ぜひ皆さん十字架をご覧になりながらお祈りお願いします…………そろそろですね。ご準備ください。愛する人のことを思い浮かべましょう」  透明な十字架が煌々と光を宿した。誰もがそれを凝視している。やがて耳鳴りが始まった――隕石の衝突による超音波だろうか。僕と彼女は祈りながら身を寄せ合う。光は留まることなく広がり続ける。もう神父の姿を見ることはできない。光は教会の人々、そして――外の世界をも包み込んだ。 「お集まりの皆さん。世界の終わりに当教会を選んでいただきありがとうございます。ニュースをご覧の通り、一週間後に世界は滅亡します。どうか、愚かな衝動に身を任せないでいただきたい。ご存知の通り、美しい世界を最後の思い出にしていただけるよう、一定の条件を満たした方に給付金を差し上げることになっています。それでは番号順に並んでください」  気がつくと僕は祈りの姿勢を解いた。まだ『その時』ではないのに、何をしていたんだろう。 「すいません……」  か細い声が僕に抗議する。隣の女性に肩が当たっていたのだ。教会の座席にはゆとりがない。 「あ、こちらこそスイマセン」  ボーっとしている場合じゃない。給付金を受け取ったらとっとと家に帰って使い道を考えよう。しかし、最近お金を使い過ぎている気がする。僕は預金残高の心配をしながら帰路についた。
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