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ええか、わしはな、忙しいんや。
昨日も仕事終わって、帰るんは終電やったんやで?
いや、終電には乗ってへんねんけどな。飲みに行ったから。
飲まなやってられへんやんか。
そら、女の子のいる店で飲むわな。独りで飲んでもおもろなおやんか。
毎日毎日、遅くまで仕事山積みや。何か刺激があらへんかったら、やってられるかいな。
そら、飲んで帰ったらタクシーしかあれへんがな。どんだけお金かかると思ってんねん。
帰ったら帰ったで、嫁は寝とるしやな。亭主の帰りは起きて待っとかんかいっちゅうねん。
娘は彼氏と長電話や。色づきやがって、十年早いわ。花嫁修業もせんとからにやな。
ほんで、痴漢なんかしてへんからな!
「忙しいって言う割には、随分と長話してるじゃない?」
褐色の髪をポニーテール束ねた制服姿の女性警察官は、駅員室に入ってくるなり言った。相手に突き刺さる、凛とした声。あずみの今までの不安や恐怖を全部吹き飛ばしてくれるような、そんな不思議な力を感じる声だった。
「なんや、お前は」男は怪訝そうに警察官を見やり、小ばかにしたように肩をすくめる。男の話を聞き流して形だけ相手をしていた駅員も、戸惑いの色を露わにしていた。
彼女はそれには応えず、あずみを手招きする。
「おいおい、なんや! わしを先に処理せんかい!」
立ち上がった男を、警察官は「静かにしなさい!」と一喝する。その迫力に、男の今までの強気はいっぺんに吹き飛ばされた。
そうか。こいつは、自分より弱い人間に向かって、吠えてただけなんだ。男の脆さを目の当たりにし、あずみは次第に安心感を取り戻す。
「もう大丈夫」と彼女は言った。「痴漢の犯人は、あの男で間違いないのね?」
「そうです」やっと強い声が出た。「あいつです。あいつ、あたしの親友を毎日狙って痴漢してて、だから今日は、あたしが囮になって捕まえてやろうと思って!」
「偉かったわね。でも、怖かったでしょ」
「でも、絵梨花は独りで、もっと怖い思いをしてたから」
「そうね。でも、あなたたちは、二人とも、もう孤独じゃないのよ。今度からは助けが必要なら、あたしを頼ってね」
彼女の不敵な笑顔が頼もしい。
「なあ」と男はまた、不遜な態度を取り戻して言う。
「さっきから、ワシが痴漢した前提で話しとるけど、何か証拠でもあ」
「あるわよ」と、彼女は食いぎみに応える。そしてあずみに向き直り、「不愉快だと思うんだけど、あなたに協力して欲しいの」
「何でもします! アイツが逮捕されるなら!」
「ありがと。じゃあーーあなたのタイツと下着を調べさせて欲しいの」
「なんやねん、ワシの指紋でも付いてるって言うんか!」
「残念ながら、指紋は付いてないわ。でも、きっと付いてるはずよ。あんた、鼻水を手で拭うの、癖でしょ?」
ーーい、いやぁあああああ!
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