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†††
同時刻。
未散は上月高校二年一組の教室にいた。
授業中、不意に一人の女子生徒が声を上げる。
「うわッ、あれ火事じゃね? 真っ黒な煙!」
その言葉に、大半の生徒が窓の向こう側へと首や体を傾ける。
頬杖をついていた未散は目線だけを動かして黒煙が発生している方を見る。ここ数ヶ月、ニュース番組で何度か火事があったという報道は見たが、こうして自分の目で見える範囲での発生は初めてだな──そう思いつつ彼女は早々に視線を戻す。まさに対岸の火事、自分に無関係であれば即座に思考から切り離すのというのが朱咲未散という女子高生に搭載された機能。
ただ一つ、思うところがあるとすれば。自分の家が焼失するのは嫌なので、一連の火事が放火魔によるものならば早く捕まってほしいものだ──という事ぐらいか。
(……歯、磨きたいな)
ざわつく教室内で未散は、自身の内側からジワジワと湧き出る吸血鬼としての習性を理性で抑え込んでいるのであった。
†††
「ぜぇ、はぁ……あーしんどッ!」
ミサキはなんとか人通りが殆ど無い路地裏に逃げ込み、壁にもたれかかって息を整えていた。
久々に全力疾走したなーと思いつつ、彼女は負傷した左目にそっと触れる。自己再生が機能して早々に出血は止まったものの、まだ視力は戻っていない。
(見えるようになるにはまだもうちっとかかりそうですネ。やっぱ神経や臓器の再生メカニズムはイマイチよく分からないな……)
難しい顔で考え事をしているミサキは、意識の外から投げかけられた声によって現実へと引きずり戻される。
「お〜い! もう鬼ごっこは終わりなのー?」
路地裏の入口付近に立ち、両手でメガホンを作ってそう言ったのは先ほどミサキの左目を何らかの能力で潰したオレンジ髪の野良吸血鬼少女だった。
もう追いつかれた──否、最初から振り切れていなかったのか。相手は女子とはいえ現役中学生。体力は有り余っているというわけである。ワタシまだ十九なんだけどなーと思いつつ、ミサキは警戒を緩めずに言葉を返す。
「お生憎ですが、ごっこ遊びじゃあないんですヨ──吸血鬼ってのは」
「ヒュウ、かぁっこいい♪ でもダッサイよ〜そんな顔面血だらけで言ってもさ。ひひひ!」
けらけらと無邪気さと残虐さが入り混じった笑い声が薄暗い路地裏に響く。その、本当に面白おかしく笑っている様子を見てミサキは怪訝そうな顔をする。
突然の襲撃で分からない事だらけではあるが、不可解な点は浮き彫りになりつつあった。
まず第一に、オレンジ髪の少女には殺意や敵意が無いという点。恐らく本人はちょっとしたじゃれあいのつもりなのだろうが、直接手を下さずに離れた相手の眼球を破裂させる能力を引っ提げてスキンシップを図られたらたまったものではない。命懸けである。
そして次に、そういう力を使う自分に対して動揺や戸惑いが見受けられないという点だ。
(さっきこの子が固有能力を発動した時の自然さ──ポケットに手ぇ突っ込んだまま風船ガムを膨らませる時みたいな気軽さ! どう甘く見積もっても吸血鬼になりたての子ができる所作じゃあないッ! 明らかに熟れている……ッ!)
オレンジ髪の少女はミサキの観察眼にはこう映った。野良吸血鬼というよりかは、どこかで飼育された上で野に解き放たれたような──。
そして薄々と、沸々とミサキの奥底から悪い予感とも言うべき“一つの可能性”が生じ始めていた。
「っていうか、あーッ! さっきあたしが爆破した左目、もう回復した感じなのぉ!?」
「えぇそうですネ、とっくに血は止まってるし眼球自体も再生完了。あとは視力が戻るのを待つのみ……ってネ」
「なぁんだ、つまんないの。思った以上に再生スピード早いんだね──オニヅカミサキさん♪」
「…………ッ!」
ニカ、と屈託の無い笑顔と歯列矯正器具をギラつかせてオレンジ髪の少女は言うが、自らのフルネームを見ず知らずの少女に呼ばれたミサキは警戒レヴェルをいよいよ限界まで高める。
ただの野良吸血鬼であれば組織へ連れて行って終わりだが、目の前にいる少女がただの野良吸血鬼ではない事は火を見るよりも明らかだ。
「単刀直入って奴です。アナタ、何者?」
「何者? あー……えっと、緑縁中学二年二組の玖我薪菜でぇっす。得意科目は美術! 部活はやってない! やれってうるさいけどね〜」
玖我薪菜──それは、未散とミサキが追い求める野良吸血鬼二人の内の一人の名だ。
奇しくもこういう形で遭遇してしまうなんて、ツイてるんだかツイてないんだか…と、ミサキは複雑そうな表情。
「……部活は文化系でもいいからやっときなさいな。高校進学の時にちっとは役立ちますヨ」
「へ〜じゃあオススメ教えてよ、先輩♪」
オレンジ髪の少女──薪菜の双眸が紅蓮に染まる。仄暗い路地裏に妖しくも無垢に輝くそれは、更なる流血の始まりの合図。
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