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甘く深い接吻から(3)
「相変わらずいきなりだな」
インターホンを押して少し待てば、スウェット姿の叔父が呆れたように笑いながら俺を迎え入れる。「しかも、何かボロボロというかしわくちゃだし」重ねて告げられる彼の言葉に俺は小さな苦笑を漏らす。「呑み潰れた奴介抱してたらそのまま抱き枕にされたんだ」色々な事情を端折って告げた俺の答えに、似たような事を経験した事があるのだろう彼は「そりゃお疲れ」と笑うのだ。そんな叔父との会話を終わらせれば、勝手知ったる彼の家に上がり込んで一直線に風呂場へと向かう。そこではいつもと変わらない柔らかな笑みを浮かべた壮年男性が俺を待ち構えていた。――元々、この家は彼のものらしい。
「おはよう、直人くん。格臣くんのだけど、着替え用意しておいたから」
「ありがと、ハナさん」
にこにこと笑う叔父の恋人――ハナさんに短い礼を口にして、俺は一晩そのままで寝た所為でよれよれになった服を脱ぎ、洗濯機の上に畳んで置く。紙袋でも貰ってそのまま持って行こうと思ったから。風呂場の中に入れば一気に熱い湯を浴びて、幾分かスッキリし始めた思考が戻ってくる。風呂場の中に置きっ放しのシャンプー類を拝借して少しこざっぱりした気持ちで風呂場を出れば、真新しいバスタオルとシンプルなデザインの着替えが置かれていた。ごうん、と音を立てる洗濯機を見て、上に置いておいた俺の服が消えている事に気付く。面倒見がいいのは、叔父とハナさんのどちらなのだろう。
「ごめん、持って帰ろうと思ってたんだけど洗ってもらっちゃった?」
着替えを纏い髪を乾かしてリビングへと向かえば、パンとサラダの朝食を摂る二人が居た。「俺らのと一緒に洗うついでだから、なんもよ」と笑うのは叔父で、その向かいでは自身の隣の席に用意してあるそれらの朝食を指して「簡単なのだけど、食べてきなよ。これからバイトなんでしょ?」とハナさんが笑う。実の両親よりも親らしい、なんて思うのは仕方ないだろう。嫌いなわけではないがどうにも個性が過ぎる両親よりも断然穏やかな二人は、俺が席に着けば楽しそうに笑みを浮かべていた。
「あ、そういえば」
パンに噛り付いてからふと思い出して口に出した俺の声に、二人は揃って首を傾げる。「彼氏が出来たんだけどさ、突っ込まれる方の準備ってどうすればいい?」重ねて告げた俺の疑問に、叔父は口に含んでいたらしいコーヒーを噴き出し、ハナさんはピシリと固まる。再起動が早かったのはハナさんだった。思わずといったように「格臣くん!?」と声を上げて狼狽え始めるハナさんに、使い物にならなそうなくらい噎せる叔父。穏やかな朝食は急転直下で慌ただしい空間と化した――俺の所為なんだけれども。
「――どこからツッコミを入れればいいんだ!」
やっと言葉を発する事ができるようになった叔父は「そういうところ本当姉貴に似てるよな!」と肩で息をしながら叫んでいた。「ええと、それで、なんでそんな事に?」おずおずとそう訊ねてくれたのはハナさんで。突然すぎたか、と反省した俺は、碓氷との数週間を掻い摘んで説明する。
「女に告白されて、振ったら張り手が飛んできて、碓氷――親友だった男に「男で試してみる?」って聞かれてまぁいいかとオッケーして、昨日飲みに行って突っ込みたいのか突っ込まれたいのか聞いてみたら俺に突っ込みたい方って言われて、キスされて「がっついちゃうから今日は我慢する」って言って俺を抱き枕にして寝られて今に至る」
馴れ初めから昨夜までの流れを説明すれば、叔父は額に手をやりハナさんは相変わらずの笑顔のままで「うん、わからない」と口にした。「姉貴の血が濃過ぎるだろ……」思わず零されたような叔父の言葉に首を傾げた俺へ、ハナさんは困ったように笑う。「まぁ、葎花さんの事は置いておいて――直人くんは、ちゃんとその碓氷くんって子の事は好きなんだよね?」確かめるように口を開いたハナさんの言葉に、俺は視線を揺らしてしまう。「わからない」そう、分からないのだ。親友だった男との関係が、恋人という名前に変わって。碓氷のことは親友だった時から好ましく思っていたし、今でもそれは変わらない。けれど、恋人として――恋愛感情として好きというものがそれに合致するのかという所になると、分からないのだ。
「けど、キスをされても嫌ではなかったんだよな」
ポツリと零した俺の言葉に、ハナさんは小さく笑って「そっか」と俺に柔らかな笑みを見せる。「まぁ何だ、あんまり思い悩まない方がいいな。なるようになるから」ようやく落ち着いたのか頭を掻きながらそう口にしたのは叔父だった。「姉貴だってなるようにしかなってねぇし、まぁ、そんなもんだろ」そう重ねた叔父の言葉に頷いた俺は、結局やり方までは聞くことが出来ずにバイトに向かう事になってしまった。「後でメールするよ」と笑うハナさんに見送られて。
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