The Last Christmas Eve

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 太古の昔人々は天を仰ぎ、時には祈りを捧げ、時にはさまざまな想像を巡らし、そこに神が存在していると信じていた。この世界が球体で、その外に更に宇宙という無限の世界が存在しているなど誰に想像できただろうか。しかし人は天に憧れを抱き、上へ上へと昇ろうとした。そして最後に辿り着いたのは宇宙だった。その闇は無限に続く漆黒の海。科学の進歩とともに解明されていく銀河系、地球誕生の神秘。そして人が神により最初から人の姿で生まれ落ちたのではなく進化の過程を得て現在の姿になったことが分かるが、それでも尚、人々は語り継がれてきた神話や未知の世界に対する夢を捨てなかった。それは地球を離れ、火星に移り住んでからも変わらず。  聖なる夜、イエス・キリスト生誕の日。世界中の人々がその日を祝福していた。その前夜祭――クリスマス・イブは、いつしか恋人と過ごすイベントとして定着していった。  ここにそのイブを祝して集った一組のカップルが…… 「景色が綺麗だと思ってここを選んだんだけど、気に入ってくれた?」 「ええ」 「よかった」  頬杖を突きながら、目を細めて微笑する少年。端正なその瞳は、髪の色とお揃いの水色。服装は飾らないアメカジスタイルで、装飾品は特に身につけていない。向かいの席に座っているのは彼の恋人。艶やかな黒髪を前下がりにカットしたボブがクールな印象を与える大人の女性だった。二人は美男美女の理想系。但し、“少年”と“成人女性”の。そこに危うさが見え隠れする。しかしこの夜はその危うさも緩和された。ここに集うのは皆、カップルばかり。それぞれの相手との甘い時間に浸る彼らには、この二人の姿も朧げに映る。まるで魔法にかけられたように。ここはそんな夢の場所だった。日常の喧騒とは無縁の上質な空間に二人はいた。宿泊施設内のカフェに。窓に映る白い雪。とめどなく地上に向かって降り注ぐその光景が心に安らかな静寂を与えていた。その雪は坦々と地上に舞い降り、その上から、またその上からも舞い降りていく。白に白を重ねていくように。しかしその雪が地上に積もることはなかった。それは地球で見られた白い雪をイメージして、特殊な装置により人工的に作り出された降雪の演出だったのだ。 「この雪を汐名(しおな)に見せたかったんだ」  夜空を舞うように降り続ける雪を窓から眺めながら少年は言った。  ティーカップを両手で包み込むように持って彼女が言う。 「“止まない雪”でしょ?」  自分も雪を眺めながら。 「そう、止まない雪」  少年は首肯してそう繰り返し、改まった口調で切り出した。 「ところで、汐名」  彼女――汐名は疑問符を浮かべた表情で、小さく首を傾げた。彼が言葉を紡ぐ。 「遠山響(とおやま ひびき)が零号士になることを反対したんだってね」  脈絡のなさに、何で今その話? と言いたくなる汐名だった。 「また“叔父さん”から聞いたの?」 「そう、“叔父さん”から。オレたち仲良いからね〜」  彼が言っている“叔父さん”が、誰なのか、名前を聞かなくとも汐名には分かっていた。彼の母方の妹の夫、“呉羽衛(くれは まもる)”のことであると。 「ほんっとあなたって叔父さん子よね」  その叔父との会話はほぼ甥である彼に筒抜けだった。彼は防衛組織関連の裏事情をいつも、いつの間にか知っている。  彼が言った。 「で、何で反対したの?」 「だってあの子はまだ15(歳)だし、パイロットになったばかりで経験が浅いのにそんなに急いで危険な職業に就かなくてもいいと思って……」 「へ〜ぇ、オレが零号士になるって言った時はそんなに心配してくれなかったのに、遠山響のことはそんなに心配するんだ?」 「!?」  汐名は激昂した眼で彼を見据えた。 「あなたの時だって、心配したわよ!……」  その後、言葉が続かなくなった。  心配しなかったわけじゃない。  でも、あなたなら遣り熟してしまえる気がしていた。零号士でも。  すると彼は屈託のない笑みを浮かべた。 「お姉ちゃんみたい」と。  そう、そんな感じよ。響に対して私はそんな感覚を持っている。と汐名は心の中で同意した。 「まぁ、オレは特別だからね。“優等生(エリート)”だから」  彼はあまり謙遜しない。こういった発言が人に好かれないことの所以でもあった。決して悪い子ではないのだが、人に嫌悪感を与えやすい。扱いに慣れている汐名はあえて何も言わない。 「……」  しかしその通りだった。彼のような人間は珍しい。15歳で防衛パイロットになり、たったの二年で最低ランクのFからBまで上り詰めたのだ。銀河系レースで輝かしい成績を収め。彼はまさに“特別な人間”だった。 「汐名はオレが特別な人間だと思ってる?」 「え?」  汐名ははっとして目を瞠った。心中を覗くように、彼の水色の瞳が彼女の瞳を捕らえていた。 「オレなら零号士(ゼロ)になっても、必ず生きて帰還(かえ)って来れるって」 「……」  汐名は困惑した。彼は心配してほしくてこんなことを言うのか?  彼は無言で彼女の手を取った。 「?」  汐名はぽかんと彼を見詰め、されるがままに手を預ける。彼は彼女の手を両手に包み込む。美少年の彼が硝子細工のような繊細な瞳を細め、造作が美しいその手で彼女の手を包んでいるその姿は、あまりに美しい光景だった。  やだ……。  汐名は恥ずかしくて顔が上気していくのを感じた。その感覚が耳全体にまで広がっていくのを阻止することができなかった。しかし彼が寂しそうな瞳をしていることに気付き、しだいにそれが悲哀に取って代わった。  彼女の手を両手に包み込んだまま、彼が言葉を紡ぐ。 「汐名みたいに芯の強い女の人じゃないと、オレみたいな仕事をしてる男とは付き合えないんだろうな」  独り言のように呟いて彼は手を離した。  二人はそこを後にしてフロントに向かった。キーを受け取りエレベーターで、宿泊する部屋に上がる。 「何か音楽でも聴く?」  二人分の荷物を片隅にまとめると、部屋に設置された電子機器をいじりながら彼が言った。 「うん」  気のない返事をする汐名。バッグから携帯電話を取り出して充電装置に差し込む。サービスで備え付けになっていた。それに差し込むと数分でチャージが完了する。彼の端末も受け取って隣の充電装置に差し込んだ。ドレッサーの椅子に腰掛け、鏡で身嗜みをチェックする。その間彼は先程いじっていた機器から興味をなくしたのか音楽をかけずにそこを離れていた。上着をハンガーにかけ、重ね着していたネルシャツも脱ぎ、下はズボン、上は長袖のTシャツだけというすっかり薄着になっていた。ソファーで寛ぎながらテレビを見ている。 「汐名、こっち来て」と彼女を呼ぶ。  別にすることもなくドレッサーに座っていた汐名だったが 「え、ええ……」  すぐに腰を上げず、躊躇い勝ちに立ち上がった。彼のいるソファーの前に行き、その隣に座る。すると彼は何故か席を立ち、ソファーに彼女を置き去りにした。 「どこ行くの?」  不安になって彼女が首を巡らし、彼の後を目で追いかけようとする。 「……?」  ふと背後から気配を感じた。ふわりと何かが彼女の首にかけられる。  彼女はそこに目線を落とす。首の後ろがごそごそし、軽いものがすとんと髪の上に落ちる感覚。 「!」  すぐには言葉が出て来なかった。少し遅れてから表情に、声に、驚愕と歓喜の色を表す。 「(しん)、ありがとう〜!」  感動で目を潤ませながら後ろを振り向く。  そこには彼がいた。 「クリスマスプレゼント」  彼はそう言って優しく微笑み、チェーンの下から彼女の髪を引き出してその肩に手を置いた。  彼女の胸元にはクロスモチーフのペンダントトップにダイヤを散りばめたデザインのプラチナ製のネックレスが光っていた。  彼はそのまま背後から彼女を抱き締めた。頭を擦り寄せ、その首筋の上から下へ、反対側の下から上へと伝うように短いキスを繰り返す。それに合わせて彼女は首を反らす。それから彼は前に乗り出し、顔だけ回り込むようにして彼女と唇を重ねた。キスが濃厚になり、互いの吐息が熱くなっていく。彼の手が滑り下り、彼女の胸の膨らみを撫で、徐々にニットの下に入っていく。 「あ、駄目……」  彼女はそう漏らすが、彼は手を止めない。すると彼女は 「駄目なの、今日は!」と本気で抗い、身を捻った。 「……」  急変した彼女の態度に彼はぽかんとし、一気に昂りが冷めていく。  少し間を置いてから汐名が言った。 「ごめんなさい、生理が来ちゃったの。だから……今日はできないの」 「……」  彼女は更に続ける。 「本当はまだ来ないはずだったんだけど。先月あたりから予定日からずれてきちゃって……せっかくこんな素敵なホテルを予約してくれたのに。本当にごめんなさい……」  彼女は気まずくなって彼の顔が見れなかった。ベージュピンクのカーペットに視線を落としてそう言い終える。 「仕様が無いよ」  放心状態に陥っていた彼が口を開いた。ソファーの正面側に回り込んで、彼女を労るような笑みを向けながら言う。 「そんなに謝らなくていいよ。そういうことって結構あるんでしょ?(←一般知識)」 「でも……」  彼女が顔を上げて彼を見る。申し訳ない気持ちが表情を悲しく歪ませていた。 「気にしないで」  彼は彼女の肩に手を置き、その隣に座った。彼女をそっと抱き寄せる。 「オレはイブに汐名が側にてくれるだけでも幸せだよ」 「臣……」  そして二人は聖なる夜、互いの“愛”と向き合うように、重なることなく寄り添って眠った。
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