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――バカバカし。……あんなの怪談だから面白いんであって。本物なんかいてたまるかっての。
ぺたん、ぺたん、とスニーカーが地面を叩く音が続く。自分の足音なのに、どうして今日はこうもしらじらしく響くのだろう。両隣に立ち並ぶ一軒家とマンションが、見慣れた筈の光景が全て自分からそっぽを向いている気になるのは何故なのか。人気がない、とはいっても。何故今日に限って通行人の誰ともすれ違うことがないのか。
嫌な予感を拾っていけば、キリがない。この道の突き当たり、T字路を曲がれば自分が住むマンションまですぐそこだ。私はやや気持ちを焦らせながら、すたすたと歩き去ろうとした――その時だった。
ずる。
その、濡れたものを引きずるような音が――ひときわ大きく響いた途端。周辺を染める、夕焼けの赤が、一気に重くなったように感じた。
ずる。
ずる。
ずる。
――え?……え?
何かが、近づいてくる。方向は、自分の正面。今まさに、私が向かおうとしていたT字路の左から。何か、湿ったものを引きずって近づいてくるものがあるのだ。
嘘でしょ、と思う。まだ数十メートルは距離がある。それなのにどうして、濡れた足音がこんなにもはっきりと聴覚を叩くのか。ぬらぬらと景色を濡らす赤い光が、いつもの夕焼けがまるで血のように濃く染まって襲ってくるような感覚を抱くのか。
影が、差した。
角から、長い髪を持つ人影がぬっと現れた。真っ黒だ――不自然なほどに。人の形をしているはずなのに、顔の目鼻はおろか服装さえもわからないなんて、そんな馬鹿げたことがあるだろうか。
――うそ、でしょ?
私は、動けない。
金縛りにあったように、足がぴったりと地面にくっついてしまっている。
ずるり、とその真っ黒な人影が角から這い出した。そして、数十メートルばかり離れたところ先で、私と対峙する。その背中に、細長いものを背負っている。
大鎌だ。
理解が追いついた途端、私の喉から掠れた悲鳴が上がった。本当に恐怖した時、人はとっさの悲鳴さえまともに上げられなくなることを知る。助けを呼ぶなんてことさえ、容易には叶わないという事を。
『……カエセ』
男とも女ともつかぬ、罅割れた声が――耳元で、聞こえた。
『カエセ、クビヲ……カエセ。サモナクバ……』
私は、思い出していた。くびかりさん、に出会ってしまった時の対処法。
命が助かるための、唯一の無二の対抗心話がなんであったのかを。
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