第19話 リッテンマイヤーとガルガンティアの論戦

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第19話 リッテンマイヤーとガルガンティアの論戦

「ベールベール王国に対して国家の威信を示す、その言や良し。……(しか)れどもこの戦い、開催するべきではないと存じます」 「ほほう、リッテンマイヤー公爵代行。綺麗な顔に似合わず論を申すか」  国王レイガント・アルムガントがニヤニヤしながら言った。  相手が若い女性と見ればこれだ、とカノアは軽蔑した。  この父親は無能だが、とにかく女好きだ。国王という身分の上、顔立ちも整っているので女性にはモテる。  かく言うカノアの母親だってそうだったのだ。父には正式な妻のほかにも無数の愛人がいて、母はそのうちのひとりに過ぎなかったのだが、生涯、国王を愛していたし、また自分がいちばん国王に愛されていると確信していたらしい。そんな母を、カノアは心から見下していた。あんな女の股ぐらから自分が産まれたのだと考えるだけで、鳥肌が立つのだ。 (どういう人生を送ったら、あんな腐った生クリームみたいな感性をもてるのかしら。とことん馬鹿だった女、さっさと病死して本当に良かったわ)  で、その女好き国王レイガントに声をかけられたレウルーラ・リッテンマイヤーは、しかし理知的で、別に相手の容貌に瞳を輝かせるわけでもなく、話を続けた。 「わたくしが出兵に反対する理由は、おもとしてみっつあります。  まず、ひとつめ。  先日の戦争において、我が国土は獣人どもにおおいに荒らされましたが、その復興のためには多大な予算が必要ということです。破壊された城壁の再建、蹂躙された国内の村々に対する補償、田畑の整備、戦災孤児の保護、さらに先の戦いで死亡した兵の遺族に対しては、一定の金銀を与えることでその悲しみを慰めてやらねばなりません。  ……有り体に言えば、いま戦争をやるだけの資金的余裕は我が国には存在しないのです。ベールベール王国に攻め入るとすれば、武具馬具防具に、遠征のための兵糧まで用意しなければなりませんが、その軍資金はどこから捻出(ねんしゅつ)するのですか? 税収? いいえ、先ほど申し上げました通り、国民は疲弊しきっています。むしろここは減税するべき時期でさえあります。  ふたつめ。  アルムガント王国がベールベール王国に国家として攻め込んだのは、記録上、67年前のジロン山脈の戦いが最後になります。それ以降、我が国は軍団を整えてかの国の領土に足を踏み入れておりません。それすなわち、我が国はかの国の地理や情勢に疎いということ。我々は敵国の兵の数も、装備の質も、いかなる人材がいるかもほとんど把握しておりません。これでは勝利することは困難でしょう。彼我の兵力差も分からず、その上、地の利は敵にあり、我らにはないのですから……。  ベールベール王国は山と森の国だと聞きます。森の奥深くに敵兵が潜り込み、ゲリラ戦術で我が国の軍を攻撃すれば、いかに我が軍の士気が旺盛であろうとも、勝利するのは困難になります。  そして、みっつめ。  そもそもこの戦争の目的はどこにあるのでしょうか。ベールベール王国を亡ぼしたいのか。それとも、とりあえず一戦交えて勝利すればそれでよしとするのか。敵国の領土の一部を手に入れたいのか。あるいはベールベール王国から謝罪のひとことでも貰いたいのか。そのあたりの目的も定めずに、ただ漠然と戦争を仕掛けるだけでは、戦いはただアルムガント王国の人的及び物的資源を消耗するだけの不毛な争いで終わることでしょう。まずは出兵のための戦略構想を練り上げてから、現実的な出兵準備を整えるべきと存じます」  レウルーラ・リッテンマイヤーは、あくまでも穏やかに、軍議の問題点をひとつひとつ指摘していった。  その言葉はどれも一理も二理もあるものだったから、カノアは内心膝を打っていた。もし自分に戦争を利用しようという野心がなければ、彼女とまったく同じ意見を口にしていただろう。  これはうわさで聞いた話だが、レウルーラ・リッテンマイヤーは幼いころから病弱で、身体を動かすことも苦手だった。病身ゆえに、名家の娘でありながら縁談もなかなかまとまらず、ならばせめて勉学だけでもとベッドの上でひたすら本を読んでいた女性だったという。――それが一年ほど前から、にわかに病が治っていき、どうにか人並み程度の体力を手に入れて、いまとなっては老いた父親の代行さえも務めている。そしていま、軍議の場で一席をぶっている……。 「なにを言うか、小娘。――ならば我らは、あの獣人どもに膝を屈せよというのか!」  公爵代行に反論したのは、ガルガンティア将軍である。  彼は眉間にしわを寄せてリッテンマイヤー公爵代行を睨みつけた。 「将軍、そうは言っておりません。ただ、現状では復讐戦を行うには不足の要素があると言いたいのです」 「現状ではだめだと? ならばいつ攻め込む? 来年か? 再来年か? そんなに待てるか! 先日の戦争ではな、わしの息子も討ち死にしたのだぞ! 獣人どもに、頭を叩き割られたのだぞッ!」 「お気の毒に存じます。……しかしガルガンティア将軍。国家の戦争は支配者の復讐心のみをもって行われるべきものではありません。国家のため、国民のため、このようなときだからこそ、怒りをこらえ、冷静に国を運営しなければならないとわたくしは考えます」 「わしが国家のことを考えていないというのか!! 貴様、つけあがるな――」 「よせ、ガルガンティア。若い美女にあまり噛みつくものではないよ。リッテンマイヤー、そなたも一度、下がりなさい」 「いいえ、陛下、下がりませんぞ。だいたいレウルーラ、公爵代行の身でありながら一人前の顔をしてしゃしゃり出てくるとは何事だ。わしはおぬしの倍以上長く生きている。おぬしがオギャアと生まれた年に将軍に任じられた男だぞ。それなのに、二十歳になったばかりの小娘が、なにを偉そうに――」 「ガルガンティア将軍、ちと言葉が過ぎますぞ」  そう言ったのは、それまでずっと沈黙を保っていた貴族、ロボス・オットーであった。  五十六歳。痩せぎすの面構えにメガネをちょこんと乗っけた彼は、お人よし貴族と呼ばれるだけはあって、それは穏やかな声音で言った。 「リッテンマイヤー公爵代行は、代行なりの考えを述べたに過ぎません。それをそのように目くじらを立てて噛みつかれることはない。また若い娘がというならば、先日の戦いで王国を救ったのは、この場においては誰よりもお若いカノア姫ではありませんか」  ロボスが発した、おそらく心からの本音であり、正論でもあったのだが、その場にいた多数派の意見ではなかった。  ガルガンティア将軍の主戦論に雷同していた者たちは、ロボスの言葉に鋭い眼光を差し向けたし、ガルガンティア将軍本人も、いかにも不服と言わんばかりに鼻息を荒くし、 「代行の分際で意見すること、それ自体が不遜なのです、オットー殿! カノア姫も――これは臣下として心よりの忠言となり申すが、ただ一回の戦功に気をよくして軍議にしゃしゃり出るようでは増長のそしりはまぬがれますまい。あなた様はあくまで妾腹(バスタード)でございます。どうか分際をわきまえられますように! ああ、陛下もなにゆえ、姫の参加を許諾されたか……。ガルガンティアは嘆かわしゅうござる!」  ガルガンティアは、血走った眼をカノアとリッテンマイヤー公爵代行にそれぞれ向けた上で、妙に芝居がかった動作で首を横に振った。すると軍議の場に忍び笑いが広がった。  それはガルガンティア将軍の意見に賛同するかのような笑い声であった。『妾腹(バスタード)王女(プリンセス)』がちょっと手柄を立てたからといって、軍議に参加してきたのを心苦しく思っていた人間は多かったのだ。  ロボスとリッテンマイヤーは、それぞれわずかに目を伏せて、場の成り行きを嘆くようなそぶりを見せた。  そしてカノアは――カノアは歯を食いしばって心の内の激情に耐えていた。  ふと父親に目を向けると、国王はガルガンティアのこういう態度に慣れているのか、口許をわずかに緩めているだけだ。  その態度にまた腹が立った。 「――最初に話題に出たように、この戦争でベールベール王国に一泡吹かせておかねば、魔人国(デスジャッカル)が我が国に侵略の手を伸ばしてくるのは自明の理である! なればこそ、例え無理をしてでもここでベールベール王国と一戦交えて勝利をおさめ、アルムガント王国ここにありと示さねばならんのだ! このボルトチック・ガルガンティアは決して怯えぬ。国家のためにあくまでも弓矢の道を選ぶ覚悟である。諸君、わしは戦うぞ。戦うぞ、戦うぞ、戦うぞ!」  不気味な演説だった。  論点もずれている。  リッテンマイヤー公爵代行はあくまでも現実を認識した上で反戦論を述べているが、ガルガンティア将軍は「アルムガントが弱ければ魔人国が攻めてくる、かもしれない」という、有りえるかもしれないが現時点ではただの予測でしかないその事実にすがっている。  その場にいた者たちは盛り上がり、ガルガンティア将軍に合わせて「戦うぞ!」「そうだ、戦うぞ!」と右手を掲げて吼えまくった。叫んでいないのは国王とカノアとロボスと、そしてリッテンマイヤー公爵代行――リッテンマイヤーは、なにか反論したい様子だったが、若いうえに公爵代行の身分、この空気の中でさらに反戦論をぶつのは容易ではなかった。  戦争は、どうやら続くようだった。――カノアはガルガンティアの人格にこの上なく立腹してはいたが、しかしこの流れそのものには満足していた。ザムザが巻き起こした馬鹿げた戦争をもっと利用して自分の出世に利用してやる。要らない人間は失脚させる。あるいは殺してもいいのだ。戦争のさなかなら、やりようはいくらでもあるものだ―― 「陛下。いかがなさいますか。かように出兵論でまとまりかけております。――最後のご決断を」  フェルト大臣が、最終決定者であるレイガント国王に判断を求めた。  ガルガンティア将軍と、その賛同者たちは、わくわくしたまなざしを国王に向けた。  彼らは、開戦は決定だと信じて疑わない様子だった。  ガルガンティア将軍とリッテンマイヤー公爵代行の喧嘩を仲裁してから、ずっと黙っていた国王は、大臣に話をふられるとわずかに片眉を上げた。  そして、きっかり5秒間沈黙を保ったうえで――とんでもない私見を述べたのだ。
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