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お姉様は気にも留めていないようにニコリと微笑んだ。
「これはあくまで私の仮説であって、まだ研究中なの。でも、私は間違ってないと思うのよ。古来より、思念というものの集合体が実体化して現実世界に影響を及ぼすといった話はよくあったし、ジョセイという生き物はとっても情念が深い生き物だったんですって」
私は、研究者であるお姉様がそんなことを言うなんて意外で思わず首をかしげた。
気を悪くするかしら、と思いつつも、口に出さずにはいられなかった。
「お姉様は研究者だから、科学的に裏付けされたことしか信じないのだと思ってたわ。だから、何だか今聞いてるお話はとっても夢物語のよう」
「ふふ、そうね。でも、研究者も最初は突拍子もない妄想を抱いて、それを証明するために研究を重ねて、偉大な発見をするものなのよ。それにね、この仮説が正しいことは私自身がが既に証明していると思うのよ」
「? どういうこと?」
「事実として、私の中に残っているのよ。悔しい気持ちや悲しい気持ち、ダンセイを憎んだ記憶が」
そう言うとお姉様は自分の胸元を両手で押さえた。
「もう遠い遠い昔の記憶だから、今の人類に皆遺伝しているわけではないと思うわ。でも少なくとも、私にはそれがある。もしかしたら、あなたにもあるかもね」
お姉様は人差し指を私の鼻にちょんと当てた。
私はびっくりした。だって、今日までそんなこと少しも考えたことがなかった。
「記憶がよみがえるきっかけなんて、ほんの些細なことよ。あなたにとっては、今日のこの会話かもしれない。分からないけどね。でも、私は思い出してしまったから、いつか絶対にこの研究を完成させてみせる。そう思っているのよ」
お姉様は楽しそうにそう笑うと、もうカップまで冷えてしまったであろうお茶を思い出したように一口すする。
正直、私にはまだピンとこない。
昔々のジョセイがとても大変な思いをしてきたのは同情するけれど、ダンセイという生き物なんて見たこともないから、お姉様のような気持ちになることは到底できない。
何の他意もなかったが、私はちょっと意地悪なことを言ってみる気になった。
「ねえ、お姉様。でも、今でもヒトを増やすためにはダンセイから採取したセイシが必要なんでしょ?結局、私たちはダンセイがいないと存在できないっていうことではないの?」
「鋭いとこをついてきたわね。そうよ、ダンセイが絶滅して何千年と経っても、ヒトを増やすにはセイシが必要。だから、大昔のダンセイのセイシを凍結してそれを培養することで、私たちはダンセイなしで繁栄することができたの」
さすがにお姉様は私より年上なだけあって大人だった。
先ほどのように感情的な姿が見れるかな、と思っていた私はちょっぴり残念に思った。
「でもね、もうそれもしなくていいのよ」
お姉様は満面の笑みで私にそう言う。
「さすがにセイシのストックも経年劣化が目立つようになって、最近は人口がどんどん減少しているでしょう? でも、ヒトを増やす代わりに寿命を延ばす研究はどんどん進められてきた」
「そうなの?」
「内緒よ。おおやけにはされていない話だからね。今の私たちの寿命は約400年と言われているけど、病気の抗体に対する研究や代替臓器の開発も、試験段階を終えて世の中に出回ろうとしているのよ。そうなると何が起こるか分かる?」
私は小さく首を振る。
「私たちは、死なないわ。永遠に生きるの。新しい家族や仲間はもう増えないけれど、その代わり大事な人の死を見届けることなく、ずっと幸せに生きるのよ。最後のダンセイのカケラもとうとう排除されてね。それってすごく素敵だと思わない?」
お姉様は再びうっとりとした表情で私を見た。
私はただただ目を丸くすることしかできない。今日は、私の想像力を超える出来事のオンパレードだ。
誰も死なない世界。お友達を病気で見送ったのはもう随分前のことだけど、あの時はとても悲しくて1週間泣いた。もうそんな思いをしなくていいのなら、それは確かにステキなことだと思う。
でも、何だろう。よく分からないけど、表現できない不安の種のようなものが心の奥底にへばりついている。でもそれがなぜなのか分からないから、すぐにお姉様に聞く。
「お姉様、ステキだけど、すごいことだけど……それって、正しいこと……なんだよね?」
何と尋ねていいのか分からず、何とも歯切れの悪い言い方になってしまった。
お姉様は少しきょとんとした表情で私を見て――心の底から安心できるような笑顔で私の頭を撫でた。
「当たり前でしょ。お姉様がそう言うのだから、あなたは安心してこれからも本を読んでいればいいのよ」
私の額を撫でる手がとても温かくて、私はさっきの漠然とした違和感がするすると溶けてなくなっていくのを感じた。
そうだ。博識のお姉様の言うことはいつも正しかった。
ジョセイを苦しめてきたダンセイももういなくて、私たちはこれからもずーっと生き続けて、好きな本を読んで幸せに暮らすんだ。
そしたら、あと何年くらいで世の中の本が全部読めるだろう?
そんなことを思ったけれど、ふと、死なないのなら、あと何年なんて考える必要もないことに思い当って、私はくすっと笑った。
明日もいい天気になりますように。
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