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「私みたいな研究者だって、大昔はダンセイしかなれなかったのよ。それが、時代の変化とともに少しずつジョセイの権利が叫ばれて、地位が改善していったの」
「大昔のジョセイって大変だったのね……。でも、だんだん良くなっていったんでしょう? よかったわ」
私はお姉様の言葉にホッとした。
大昔の私たちのご先祖様が辛い思いをしていたというのは心が痛い。
「そうね。少しずつ少しずつ、当時のジョセイが声を挙げることによって、立場は向上していったわ。ダンセイと同じように教育を受け、同じように働き、偏見がなくなって。……でもね、人の心の潜在的な差別というのは消えないものなのね」
「潜在的な差別?」
お姉様は少し悲し気にうなづく。
「いくら制度や目に見える形で改善がされても、ダンセイの心の中にあるジョセイに対する差別はなかなかなくならなかったということよ。例えば、同じ仕事をしているのになぜかジョセイだけ評価が低かったり、お給料が少なかったり。容姿の美しさが厳しく求められるのもジョセイならではのことだったみたいね。そして何より、ダンセイからの暴言暴力や虐待というのは、時代が変わってもなくなることはなかった。悲しいことにね」
私たちにだって暴力はある。意地悪な子につねられたり意地悪なことを言われたり、お母様におしりをぶたれたり。
でも、ダンセイに暴力を振るわれるというのはそんなことではないのだろう。
お姉様の悲し気な表情がそう言っている気がする。
「私も心理学的なことはよく分からないけど、あまりにずっと暴力や暴言を受け続けると、やがて精神的にも支配されて抵抗力を失ってしまうのだそうよ。そうやって不幸な人生を歩んだジョセイがこれまでどれくらいいたのかしら」
お姉様の言葉に、私は大昔のジョセイ達に思いを馳せた。
小説やおとぎ話には決して出てこない、実在した彼女達の苦しみ。私にはもう想像すら及ばないけれど、きっと今のように楽しくのびのびと生きられない人も多かったのだろう。
「お姉様、ダンセイがいた頃のジョセイは幸せではなかったのね……?」
私は無性に悲しくなった。私たちのルーツであるご先祖様は、辛い人生を歩んできたのだろうか。
「ごめんなさい、悲しい話ばかりしてしまったけれど、そんなに辛いことばかりではなかったはずよ。楽しいこともあったし、時代が変わるにつれて生活も豊かになっていったと思う。ダンセイだって、そんな極悪非道なことをする人達ばかりではなかったと思うわ。あなたが読んでいるような小説にある素敵な男性もたくさんいて、新たな命を育むための生涯のパートナーとして全力で愛したはずよ」
でも――と、少し声を落として付け加えた。
「ジョセイ達はいつの時代も怒っていた。意味もなく虐げられることに。理由のない差別に。そうやって長い年月をかけて声をあげ続け、怒り続け、そしてとうとう」
風がざぁっと大きく吹いた。それは、私たちに何かを訴えかけるようだった。
「ジョセイはダンセイを諦めることにしたの」
お姉様は風で舞い上がった髪の毛を左手で押さえながら、また遠くの方を見てそう呟く。
「諦める?」
「そうよ。ダンセイと対話することも、愛することも、その存在を許すことも、そのうち全部諦めたの」
私はお姉様の言っていることが理解できず、しばらく無言で目をパチパチさせながらお姉様を見つめていた。
「……ダンセイ相手に戦争でもしたということ……?」
「そうね、ある意味そういうことだわ。もっと正しく言えば、逆襲したのよ。長い年月をかけてね」
「逆襲?」
お姉様はなぜかうっとりとしたような、興奮したような、そんな表情で私の近くに座り直す。
私は、ここからはお行儀よく聞いた方がいいような気がして、寝そべっていた姿勢から身を起こした。
「記憶は脳にしか蓄積されないとさっき言ったわね。記憶のメカニズムはまだ全部は解明されていないけど、現代の脳科学ではそういうことになっている。でもね、私は違うと思う。私たちを構成する細胞の一つ一つに、先祖から受け継いだ記憶が宿ってるのよ」
お姉様は少し頬を紅潮させてそう言った。
「ジョセイ達の怒りや悲しみ、恨みという長い年月を経て成熟した記憶は、一つの物質となって遺伝されていった。そして、子が産まれる度にその記憶はまた遺伝情報として受け継がれるの」
私は、だんだんと理解が追いつかなくなって、黙って話を聞くことにした。
「ダンセイが産まれる度、この記憶はY染色体を攻撃した。Y染色体が持つ遺伝子を少しずつ殺していって、自然の摂理では考えられないほどの早いペースでこれを絶滅に追い込んだの。そうやって」
「ダンセイは産まれなくなったの?」
私はびっくりしてお姉様の言葉をさえぎってしまった。
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