第1話 頼れるあいつは就寝中②

1/1
前へ
/84ページ
次へ

第1話 頼れるあいつは就寝中②

「ねえ先輩、やっぱり何かの間違いですよ」  私は名月(なつき)さんの背中を呼び止めて、必死で訴えた。真剣な話を切りだそうとしているのに、私はなぜか「やっぱり背中も綺麗だ。私もこんな三十代になれるだろうか」とどうでもいいことを考えていた。 「いいえ、間違いじゃないわ。あなたは今日をもって交通課から捜査一課に異動になるの。私の推薦でね」  くるりと振り向いた名月さんはいつも以上に美しく、私は一瞬、抗議の言葉を忘れそうになった。 「そんな、ひどいです。私が先輩に憧れて交通課を志望したこと、知ってますよね?」 「ええ、何度も聞いたわ。でもね、人には適性を最大限に生かせる環境ってものがあるの。私はあなたの能力を伸ばしてあげたいの」 「能力って、いったい何の能力ですか。一課といったら殺人ですよ?怖いじゃないですか」  私が鬱憤をぶつけると、名月さんは困惑するどころか、カラカラと笑い始めた。 「あのね、これから行く部署は「残務処理係」と言って未解決事件を洗い直す部署なの。捜査本部もなければ犯人逃走もない、終わった事件の後始末をする部署だから安心して」  私は激しく気落ちした。名月さんの説明は私を楽にするどころか、かえって疑問の種を増やしただけだった。 「どうしてそこが私に向いていると思ったんですか?」  私はできる限りの恨めしい表情をこしらえて言った。よもや憧れの人からこんなひどい仕打ちを受けるとは。レーサーの夢を諦めてまで警察官になったのは、あなたの凛々しい仕事っぷりを見たからなのに。 「そうねえ、強いて言えば、私の弟がそこにいるから、かな。あなたとなら絶対、いいコンビを組めると思うわ」  私は意外の念に打たれた。仕事人間のような名月さんの口から、家族の話を聞くのは初めてだったからだ。 「弟……さん?」 「ええ、一回りも離れてるからいまだに子どもにしか思えないけど、一応、刑事をやってるわ。小さいころから何をやらせても人並みにできない子だったけど、この仕事だけはどうにか務まってるみたい」 「その人と私が、コンビを組むんですか」 「そうよ。今なら暇だし、たぶん「起きてる」んじゃないかしら。忙しくなる前に挨拶しておくといいわ。捜査が始まったらもう、彼じゃなくなっちゃうから」 「彼じゃなくなる……って、どういうことですか?」 「ごめんなさい、悪いけどそのあたりは本人に聞いて。……あ、もうそこが処理係のドアよ。じゃ、またね」  名月さんは無責任にそう言い置くと、さっそうと廊下の奥に消えていった。私は仕方なく「残務処理係」という、まるでゴミ処理室みたいな名前のドアをノックした。 「はあい、どうぞ」  ドア越しに返ってきたのは、なんとも間延びした男性の声だった。私は「失礼します」と断り、ドアを開けた。入り口から見えたのは、三十歳くらいのずんぐりした男性だった。 「あの、今日付で残処理室配属になった桜城蓮那(おうじょうれな)です」 「ああ、はい。僕は雷郷長生(らいごうひさお)。これからお世話になります」  私は眠そうな目をした先輩刑事の口ぶりに、体中の力が抜けてゆくのを覚えた。  お世話になるのはこちらだというのに、こんな人が先輩で大丈夫なのだろうか。 「ここは終わった事件をあつかう部署だから、あんまりあくせくしないで自分のペースでやったらいいよ。僕もそうしてるから」  そういうと雷郷という刑事はあくびを漏らした。不安と不満とでもやもやが溜まっていた私は、溜めこんでいた疑問を思わず口にした。 「あのう、この部署への移動はあなたのお姉さんからの推薦だっていう話ですけど、どういう理由で私が抜擢されたんでしょうか」
/84ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加