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第3話 非番のあいつは待機中
「北条美咲、二十七歳。既婚で死亡時は派遣社員をしていたらしい。事件当日は特に変わったようすもなく、夕方ご主人に「出かけてくる」とだけ告げて家を出た模様。翌朝になっても帰宅しなかったため捜索願が出されたが、その日の午後、雑居ビルの裏で死亡しているのが発見……か」
事件の記録を淡々と読み上げる雷郷を見て、私は僅かだが気が滅入るのを意識した。
やはり殺人を扱う部署ともなると、被害者が若い女性でもいちいち感情移入などしないのだろう。だが、私は彼女の不運に同情せずにはいられない。家を出るときはまさか十数時間後、うらぶれた路地裏で死体となって見つかるなどとは思いもしなかったはずだ。
「気の毒な人だよね、人生これからって時に、通り魔なんかに殺されてさ」
雷郷はこれから無念を晴らそうという人物とは思えない呑気さで言った。
「だからせめて真犯人を挙げようとしてるんじゃないですか。一日も早く、事件を解決することが最大の供養じゃないんですか、先輩」
私が皮肉を込めた口調で言うと、雷郷はおかしなことに、薄笑いを浮かべ始めた。
「なにがおかしいんですか」
「気が付かなかったかなあ。あの路地で「被害者」が僕の口を借りて言った事を覚えてれば、僕の話の矛盾点に気がつくはずなんだがなあ」
「矛盾点?」
私は雷郷が口にした奇妙な言葉を思い返した。たしかこう言ったはずだ。「あなたに気を許した私が馬鹿だった……あっ。
「雷郷さん、通り魔じゃないです、犯人は。通り魔に「あなたに気を許した」なんていうわけないです」
「ご名答。それを教えてくれただけでも協力的だよね、この人。……でもさ、残念ながら被害者の身近な人は一通り、事情聴取が終わってるんだよね」
「そうなんですか」
「うん。全員アリバイが成立してる。つまり僕らの仕事は、どこの誰かもわからない「あなた」を探し出す事なんだよ。あー、面倒くさい」
「ご主人は本当に何も知らないのかしら。あんな場末……といったら失礼だけど、雑居ビルに行ったってことは、何かしら目的があるはずでしょ」
「そりゃ、あったに違いないさ。だから現場を検証したんだよ。何かヒントが見つからないかと思ってね。結果として犯人と被害者との間に面識があることがわかった。とすればあのビルを訪ねた理由は犯人から誘い出されたか、犯人に連れて行かれたかのどちらかだ」
雷郷はすらすらと分析を並べたてた。このへんの手際はさすがに先輩だ。
「あのビルで被害者が誰かといるところは目撃されていない。じゃあなぜ、二人はあそこにいったのか」
「知っている人の目がない場所で殺したかったから?」
「そうだね。ようするに犯人を通り魔に見せかけたかったんだよ。あんなうらぶれた場所でも被害者がついて行ったということは、それだけ信用されてる人間だったに違いない」
「ご主人よりも信用していた誰か……」
「それもまだ捜査線上に浮かんでいない……ね。そこでだ。あのビルに行く二時間ほど前、被害者は最寄り駅の近くで一人のところを目撃されている。つまり駅からビルまでのわずか数百メートルのどこかで二時間、犯人と一緒にいたことになる。そこを探して欲しい」
「探して欲しい?」
「僕はもう、疲れちゃったからね。あのさ、誰かを憑依させるって思いのほか重労働なんだ。捜査にはあいつと一緒に行ってくれるかな」
「また「あいつ」ですか。「あいつ」っていったい、誰なんですか……あっ」
私が雷郷を問い質しているといきなりドアが開き、人影が顔を出した。
「名月さん……」
「うふふ、心配でちょっと覗いちゃった。あなたの相方、もしかしてまた寝てない?」
名月の言葉に、それまでうとうとと船を漕ぎかけていた雷郷がぴょんと弾かれたように飛び起きた。
「……ええと、よく考えたらまだ陽も高かったよね。もうちょっとだけ聞きこみしてこようか、桜城君」
「あ、はい。……もう眠気はいいんですか?」
「いやあ、刑事たるもの、徹夜の一晩や二晩は平気でこなせないと。あはは」
「じゃあ頑張ってね。色々予想外のことが起こるかもしれないけど、気楽にね」
名月は謎の微笑みを浮かべると、ドアの外に姿を消した。
「さあ、行こうか。真犯人の手がかりを探しに」
――ああ、やっぱり泣きついてでも交通課に行かせてもらうんだった。
眠そうな顔のまま殊勝な台詞を口にする雷郷を見て、私は思わず溜息を漏らした。
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