荀彧伝

13/17
前へ
/204ページ
次へ
九州についての議論。 12. 九年,操拔鄴,自領兾州牧。有說操宜復置九州者,以爲兾部所統旣廣,則天下易服。操將從之。彧言曰:「今若依古制,是爲兾州所統,悉有河東、馮翊、扶風、西河、幽、并之地也。公前屠鄴城,海內震駭,各懼不得保其土宇,守其兵衆。今若一處被侵,必謂以次見奪,人心易動,若一旦生變,天下未可圖也。願公先定河北,然後脩復舊京,南臨楚郢,責王貢之不入。天下咸知公意,則人人自安。須海內大定,乃議古制,此社稷長乆之利也。」操報曰:「微足下之相難,所失多矣!」遂寑九州議。 (訳) 九年(204)、 曹操は(ぎょう)を抜き、自ら冀州牧を領有した。 曹操に、 「再び(古代の)九州を置くべきで、 冀州の統制する所を広くすれば 則ち天下は容易に服するでしょう」 と説く者が有り、 曹操はこの意見に従おうとした。 荀彧が言った。 今もし古の制度に依らば、 冀州は河東(かとう)馮翊(ひょうよく)扶風(ふふう)西河(せいが)・ 幽州・并州の地の悉くを 統制する事になります。 公は以前、鄴城を屠り(抜かれ) 海内を震駭させられましたが、 各々は、その土地を保ち、 その兵集を守る事が出来ぬと 懼れておりましょう。 今、もし拠点を一つにして 侵略を被ったならば 必ずや次は奪われる(自分たちの番だ) と見なす筈です。 人心とは容易に動揺するもので もし一旦変事が生じれば、天下を 図る事が出来なくなってしまいます。 願わくば公には 先ず河北を平定されまして 然るのちに旧都を修復し、 南の楚郢(そえい)へと臨んで 王への入貢の無きことを 責譲されますように。 天下が(みな)公の意向を知れば 則ち人々は自ずと安堵いたしましょう。 須らく海内を大いに定めるべきで、 古の制度について議するのはそれからです。 これぞ、社稷の恒久的な利と申せましょう」 曹操は報いて(返事をして)述べた。 「足下の非難がなければ、 多くを失うところであったぞ!」 かくて九州の論議を寝かせた。 (註釈) 曹操のセリフが追加されてます。 「荀彧の言葉がなければ 道を誤るところだったぜ」的な。 あと3話で終わりです。 このままだと三国志の劣化コピーですが……
/204ページ

最初のコメントを投稿しよう!

81人が本棚に入れています
本棚に追加