荀彧伝

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曹操による、荀彧の功績を称える上奏文。 註釈が19ポイントもあるので 前後編に分けます。 13-1. 十二年,操上書表彧曰:「昔袁紹作逆,連兵官度,時衆寡糧單,圖欲還許。尚書令荀彧深建宜住之便,[一]遠恢進討之略,起發臣心,革易愚慮,堅營固守,[二]徼其軍實,遂摧撲大寇,濟危以安。紹旣破敗,臣糧亦盡,將舍河北之規,改就荊南之策。彧復備陳得失,用移臣議,[三]故得反斾兾土,[四]克平四州。向使臣退軍官度,[五]紹必鼓行而前,[六]敵人懷利以自百,[七]臣衆怯沮以喪氣,有必敗之形,[八]無一捷之埶。復若南征劉表,委弃兖、豫,飢軍深入,[九]踰越江、沔,利旣難要,將失本據。而彧建二策,以亡爲存,以禍爲福,謀殊功異,臣所不及。 註1.恢,大也。 註2.徼,邀也,音古堯反。 註3.左傳:「南轅反斾。」杜預曰:「軍門前大旂。」 註4.謂兾、青、幽、并也。 註5.鼓行謂鳴鼓而行,言無所畏也。 註6.各規利,人百其勇也。 註7.沮,止也。 註8.捷,勝也。 註9.沔即漢水也。孔安國曰:「漢上爲沔。」 (訳) 十二年(207)、 曹操は荀彧のことを表彰するために 上書して述べた。 「かつて袁紹が叛逆をはたらき 兵を官度(官渡)に連ねましたが、 この時、軍勢は寡なく、兵糧は尽き、 許に帰還いたそうと図っておりました。 尚書令の荀彧は 深妙に留まる事の便宜を建て、 進撃・討伐を計略を※遠恢にして 臣の心を奮い立たせ、 その愚慮を変革させてくれました。 (※註1.恢とは、大である) 軍営を堅くして守りを固め、 袁紹の軍勢を※(むか)え撃ちまして かくて大逆を打ち挫き、 危機を脱して安泰となりました。 (※註2.徼とは、邀である。 音は古堯の反切である) 袁紹を破ったのち、臣の方では またも糧秣が尽きてしまい、 河北の(はかりごと)を放棄して 改めて荊南の攻略に着手しようとしました。 荀彧は再び詳らかに得失を陳べ 臣の建議を変移させてくれてまして、 故に※旗を翻して冀州の地を得、 ※四州の平定がかないました。 (※註3.左伝には 「南轅(なんえん)は旗が反対を向いている事」とある。 杜預(とよ)は「軍門の前に大旗」と言っている) (※註4. 四州とは、 冀州、青州、幽州、并州の事である) もし臣が官渡にて軍を退いていたなら 袁紹は必ずや※ 鼓行して前進し、 敵軍は利を(おも)い 自ずから百人力を為して、 臣の軍勢は怯懦し、※(はば)まれ、 戦意を喪ってしまい、 必敗の形勢となって、 ※一捷(いっしょう)の勢いを得られなかったでしょう。 (※註5.鼓行とは、太鼓を鳴らして 行軍することを謂い、 畏れる所の無い事の表現である) (※註6.各々が利を(ただ)さば、 人は百人分の勇武を発揮する) (※註7.沮とは、止である) (※註8.捷とは、勝である) また、もしも南へ劉表を征伐して 兗州・豫州を委棄していれば、 飢餓した軍にて深入りする事になり、 江水・※沔水を越えて勝利を得るには 困難を要しますからには、 本拠地を失っていたでしょう。 (※註9.沔とは即ち漢水である。 孔安国は「漢は沔の(ほとり)である」と云っている) 荀彧の二策は、 滅亡を存立と為し、禍を福へと転じ、 謀計は殊更にて功績は特異なもので、 臣の及ぶ所ではございませぬ。 (註釈) 註6のあたりが追加されたセリフです。 敵人利を思わば以て自ずから百とす? 微妙に訳に自信がありません。 三国志よりも 「荀彧のおかげで勝てました」 感が増していると思います。
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