荀彧伝

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13-2. 是故先帝貴指縱之功,[十]薄搏獲之賞;[十一]古人尚帷幄之規,下攻拔之力。原其績効,足享高爵。而海內未喻其狀,[十二]所受不侔其功,臣誠惜之。乞重平議,[十三]增疇戶邑。」彧深辭讓。操譬之曰:「[十四]昔介子推有言:『竊人之財,猶謂之盜。』況君竒謨拔出,興亡所係,[十五]可專有之邪?[十六]雖慕魯連冲高之迹,[十七]將爲聖人達節之義乎!」於是增封千戶,并前二千戶。[十八]又欲授以正司,彧使荀攸深自陳讓,至于十數,乃止。操將伐劉表,問彧所策。彧曰:「今華夏以平,荊、漢知亡矣,可聲出宛、葉而閒行輕進,以掩其不意。」操從之。[十九]會表病死。 註10.搏,擊也。高祖旣殺項羽,論功行封,以蕭何爲最,功臣多不服。高祖曰:「諸君知獵乎?夫獵追殺獸者,狗也,而發縱指示獸者,人也。諸君徒能追得獸耳,功狗也。至如蕭何,發指示,功人也。」「縱」或作「蹤」,兩通。 註11.張良未甞有戰鬬功,高帝曰:「運策帷幄中,決勝千里外,子房功也。」自擇齊三萬戶以封之。 註12.侔,等也。 註13. 前書曰:「復其後代,疇其爵邑。」音義曰:「疇,等也,使其後常與先人等也。」 註14.左傳介子推,晉文公臣。 註15.操不專功,欲分之於彧也。 註16.史記曰,趙欲尊秦爲帝,魯連止之,平原君乃欲封魯連。連笑曰:「所貴於天下之士,爲人排患釋難解紛而無取也。即有取者,是商賈之士也,而連不忍爲也。」 註17.左傳曰:「聖達節,次守節。」 註18. 彧先守尚書令,今欲正除也。 註19. 魏志,操如彧計,表子琮以州逆降。 (訳) こうした理由から先の時代の帝王は 指縦(狩猟の指揮者)の功績を貴び、 ※搏獲(実動する猟犬)の恩賞を 薄くしたのでございます。 (※註10.搏とは、擊である。 高祖は項羽を殺害した後、 論功し、封爵を行うに当たって 蕭何(しょうか)を一番にしたいと考えていたが、 功臣の多くは不服であった。 高祖は言った。 「諸君は狩りをご存知か? そもそも、狩りにおいて 獣を追跡して殺すのは、犬だ。 獣へ思うように指示を与えるのは、人だ。 諸君らがよく 獣を追い立てたのは、犬の功である。 蕭何の如くに至り、 指示を与えたのは、人の功なのだよ」 「縦」は「蹤」と作ることもあるが どちらでも意味は通じる) ※古人は帷幄の(はかりごと)(とうと)び、 攻伐の力を下と致しました。 (※註11.張良には いまだかつてない戦闘の功績が有り、 高皇帝はこう述べた。 「帷幄の中に策を運らし、 勝ちを千里の外に決したのは 子房の功績である」 自ら斉の三万戸を択び、封地とした) 荀彧の功績をさぐりますに、 高い爵位を享けさせる事で 足り(釣り合い)ましょう。 海内はいまだ彼の実情を理解しておらず、 受任する所が、その功績に ※(ひと)しいものでない事を 臣は誠に惜しんでおります。 (※註12.侔とは、等である) どうか、重ねて公平な論議の上、 彼の戸邑を疇昔(古代)と (同様の水準まで) 加増していただけますよう お願い申し上げます」 (※註13. 前書[漢書]にいう、 「その後代を復すること その爵邑に(ひと)しく……」 音義にいう、 「疇とは、等である。 その後裔と先人との [爵邑]は常に等しいものである」 荀彧は深く辞退したが、 曹操は彼を諭して言った。 「かつての※介子推(かいしすい)の言葉にあろう、 『人の財貨を(ぬす)むこともなお盗人と謂う』 況してや君の竒謨(鬼謀)は抜きん出て 興亡に係わる所であったのに、 (どうして私が)※専らにできようか? ※魯連冲(ろちゅうれん)の偉大な足跡を 思慕しようとしているのだろうが、 (頑なに封爵を拒み続けることが) 聖人や、※高節に達した者の 義といえるのかね!?」 (※註14.左伝によると、 介子推は晋の文公の臣下である) (※註15.曹操は功績を 独り占めにしようとせず、 荀彧に分け与えようとしていた) (※註16.史記にいう、 趙は秦を帝と為して尊ばんとしたが 魯連(ろれん)はこれを諫止し、 平原君はそこで魯連を封じようとした。 (※註17.左伝にいう、 「聖は節に達し、次は節を守る」) 魯連は笑って言った。 「天下の士の貴ぶ所とは、 人の為に憂患を排除して 解決しがたい紛擾を釈きながら [報酬を]受け取らない事です。 即ち、取る事が有る者とは 商賈の士[商人]の事でして、 ()の忍ばざるところです」) こうして千戸を増封され 以前のものと併せて二千戸となった。 また、 正式に※三公を授任させようとしたが、 荀彧が荀攸を遣わして 深く謙譲の意を陳べさせる事が 十数度に至ると、かくて沙汰止みとなった。 (※註18.荀彧は先に守尚書令、 この時、正式に除さんとしたものである) 曹操が劉表を征伐しようと考え 荀彧に計策を問うたところ、 荀彧はこのように述べた。 「今、華夏(中原)は平定され 荊州・江漢の者たちは (袁家が?)亡んだ事を (おのずと)知っておりましょう。 喊声をあげて宛・葉へ出征し、 間道へ軽騎を進めさせ、 (劉表らの)不意を掩うべきでしょう」 曹操はこの意見に従った。 ※ちょうど劉表が病死した。 (※註19. 魏志では、 曹操が荀彧の計の通りにしたところ 劉表の子の劉琮が荊州を挙げて 曹操を逆え、降伏した……とある) (註釈) やはり指縦のくだりと帷幄のくだりは 蕭何と張良が元でしたね。 2020年、1日も休まず更新するという ささやかな目標をクリアーしました。 (実際はめっちゃ休んでるけど……) 今年触れた人物は ・淡々三国志 袁術、孫堅、孫賁、孫策、 周瑜、魯粛、甘寧、荀彧 ・淡々晋書 司馬懿、劉淵、劉和、王弥、石勒 ・淡々史記 曹沫、専諸、豫讓、聶政、荊軻、 姫弃、公劉、古公、姫昌、姫発 ・淡々後漢書 呂布、袁術、荀彧 この調子で 2021年もバリバリ翻訳するぜッ!! いつも応援本当にありがとうございます。 来年もどうぞよろしくお願いいたします。
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