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希望を売り、影を受け取る
「いらっしゃいませ。ご新規のお客様でございますね」
「……」
真夜中の公園。街灯がつくる影の中に、古ぼけたベンチ。
それに腰掛けて、煌々と光を放つランタンを膝に乗せる女。
フード付きのローブは、暗さのせいで色がわからない。
お客様、と呼ばれたスーツ姿の男は、返事をせずに女の姿を凝視した。女は人間に見えたが、果たしてそうなのかはよく見えなかった。
「あなたがご所望する希望を、売って差し上げましょう。代価はあなたの心の影のかけら。さあ、欲しい希望を申し付け下さいな」
やっと男が確認できたのは、女がボブヘアーだということ、瞳が空色に、怪しげに光っていることだった。闇の中だからこそ、女の瞳は唯一の光に見える。
そんな男、求められぬ説明を始める。
「妻…だ。……昨日、トラックに轢かれて……かたちも残らなかったんだ……あぁ…。うう…。結婚、記念日だったんだよ…。嬉しかった…日、だった。ケーキを一緒にたべて」
「では、お客様がご所望するのは、「笹原望美」という希望でしょうか」
間髪入れず、希望屋は言った。口元にわずかな笑みをたたえたまま。男は何も気にせずに、何度も頷いた。
「ああ。ああ! ほんとうに、かなう、んだよな」
「ええ。ご希望通りでございます。お気に召さなかった場合は、返品も受け付けておりますよ」
空色の瞳が、僅かにキラリと光る。それは、彼女がランタンの蓋を開けたからだった。
ランタンの中から、ピンク色の煙と金色の瞬きが湧き出てくる。男はそれを見つめながら、口を開けて息を漏らした。女は笑うのをやめて、俯かず、眼球のみを下に向けて、ランタンの蓋を一気に閉めた。煙はぼふんと音を立てて、ランタンに閉じこもって消える。
「さあ、お客様」
女は顔を元に戻す。
まさに美しく。
闇に輝き。
まさに。
神のような。
…–––姿だと、男は感じてしまった。
黒の空に浮かんだ煙は、ぐにゃりと不自然に曲がってうねって、やがて人のかたちを作り出した。金色の光は輪状にそれを包み込んで消え、音も立てず、女と男を挟み、
笹原望美という、姿をしたモノが現れた。
「これは単なる幻想ですから–––」
「ああ! あああ! あはははははははははははははは! はははははははははははははははははははははははは! 望美! のぞみだ!! のぞみなんだね!!!! あははははははは! ああ、ああぁ………ふふふ……会えたよ……また……ふふふふふはははは……!」
「–––幻想ですから、すこしでも心を離せば、消えてしまいます。それで、もう二度と蘇りません」
「心を離す? あははははははははは! そんな事、いっちどもしたことないよ! だって、いつもいつも、一緒だったんだもの! ねえ望美? 離れなかったよねえ?」
果たして、希望屋が出した希望は、黙って佇んでいるだけだった。闇の中に、影を作らずにいる、それに、男は完璧な、「完全なる笹原望美」だと錯覚し、それに抱きついた。
確かに感触があった。毎日感じてきた、毎日愛してきた、柔らかい感触が。ずっとずっと、その感触というものが、彼女すべてだと思っていた男にとっては、あの煙と光が、元々彼女のものだったのだと感じた。
「お気に召したでしょうか」
「………なあ、望美は、喋れないのか?」
「ええ、声は「再現」できません」
「声が………聴きたいんだよ。つくれないのか? なんだってする、やってくれよお」
「なんでもする、ですか」
女は目を細め、ランタンを擦る。男は懇願する幼い子供のように、上目で希望屋を見つめた。
「足りない、足りないんだよ…望美…」
男は笑わない幻影を抱き寄せた。
望美、とよばれても、ただ無言で、そこにいるだけ。幻影は幻なのだ。男が創り出した、勝手に編み上げた、儚い煙なのだ。
そんなものに声を求めて何になる–––––––––女はにこりと唇を吊り上げる。
「それが、お客様の希望なのですね。ないはずの声をつくるのが、あなたの救いなのですね。…ふ、ふふふふふふふふふふふ。では、付け足しましょう。代価は倍でございます」
––––と、男が急に苦しみ出した。
「あ、あ“あ”、う…。…–––––––––––!!!!」
「笹原望美の幻影は、完璧でございます。保障いたしましょう。
だから、あなたの声を奪わせていただきました。
教えて差し上げましょうか。
ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
にっこり。
歪んだ唇だけが、闇に残る。
男は、急いで幻影を見つめた。
「–––、–––…。–––!」
男は口を、開ける。閉じる。幻は、喋らない。黙ったまま。身体中から血が吹き出す。ぐちゃぐちゃになる。腕が飛び、胴が潰れる。トラックに轢かれたかのように、綺麗に無惨に散らされ––––– ––– ––––。
「お客様、私が幻影の声をつくれなかったのは、あなたが笹原望美から声を奪った、の間違いではないでしょうか。
ふふふふふふふふふふふふふふふふ」
幻は煙にならずして消えた。
男は、ああそうだった、と笑う。思い出していただけたかしら、と女。
「もう代価は受け取りました。希望は手に入れられましたでしょうか」
––が、男はかぶりを振る。あら、と希望屋は首を傾げた。
「まだご不満な点でも?」
男は目尻に涙を浮かべる。
“望美がいなくなった”
“また愛したいんだ”
“また首を絞めてみたいんだ”
「あふふふふふふふふふ、ふふふふふふふふふふふふ、ふふふふふふふふふふふ。
承りました。はは。これで、あなたの心の影は、なくなりました。これからは、誰にでも、ありのままでいられるのです。はははは
は、はははふふふふふふふ。では、もう一度–––––––」
またしても、毒々しい煙。
男を包んで、開いて、
痛々しい幻が、
永遠の希望が。
現れた。
「ふふ、あふふふふっ」
さあ、売って差し上げましょう。
代価はお客様の心の影。私はそれを、希望たちの栄養にするのです。
より深い影が、より良い希望をつくるのです。
「ふふふ、ふふふふははは。んふふ。イイモノが、いただけましたね」
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