聖戦当日

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聖戦当日

 作戦会議の結果だが、「各々自宅で待機し、必要に応じて集合」という陳腐な内容に収まった。座敷わらしにとって大事なのは自らの住処であり、そこを離れて一夜を過ごすなんてことはできないのだ。火中の栗を取りに行くなら、まずは自分の分を確保してからである。  また、先輩の座敷わらしが奔走の末、どうやらかの敵は12月24日の夜から25日の朝にかけて行動を始めるらしい、ということを突き止めた。来襲の日時が分かっているならば体力も温存できる。しかし奇襲もあり得るかもしれないので、二人は住居からくすねた玩具のトランシーバーで毎晩連絡を取り合うのであった。幸運なことに、二人は同じマンションの家族にそれぞれ住み着いていた。そして座敷わらしたちは、今にも扉が蹴破られるかもしれない、それかガラスを叩き割られるかもしれない、といった恐怖におびえながら、家主たちの団らんの片隅で臨戦態勢を整えているのだった。  今宵は、待ちに待った、しかし来てほしくないような気もした聖戦予定日。12月24日の夜である。 『・・・・・・戸締りはしっかりしたか後輩』  薄暗い玄関でひざを抱えて座る後輩座敷わらし。目の前に置かれたおもちゃのトランシーバーからは、先輩座敷わらしの冷静な声が鮮明に聞こえてきた。 「もちろん大丈夫です」 『指差し確認は?』 「抜かりないです。というかこのマンション、オートロックなんですけど。それでも来るんですか?」 『・・・・・・来る。奴は一夜にして日本中の家々を巡る俊足を持つ者だ。ひょっとすると我々では相対できないかも知れん』 「この戦いって、めちゃくちゃ無謀なのでは」 『・・・・・・それでも戦わなくちゃいけない。戦わない者は淘汰される。不平不満を言う資格もない。人間はみなそうだ。ただでさえ住処が減っている妖怪たちならなおさらだ』 「・・・・・・ここが勝負時ってことですか」 『そうだ。そしてここで防衛できなければ座敷わらしとして終わりだ。大丈夫だ。この一夜を乗り切れば、大丈夫だ』  どこか自分に言い聞かせるような声色だった。しかし、その言葉を受けた後輩も心のもやが晴れていくようだった。どんな相手かわからないし、何が出来るかもわからない。それでも、座敷わらしという自分を賭けた戦いがこれから始まるのだ。・・・・・・この震えは、冷えた玄関の寒さから来るものだけではない。 「先輩、必ず勝ちましょうね」  何に勝つのか、未だによくわかっていないのだが。 『もちろんだとも――おっと待ってくれ。家族に呼ばれてしまった』 「りょーかいです。……え、そこの家族に知られてるんですか!?」 『ん?そうだが、何か問題でも?』  食いつくような勢いでトランシーバーに近づく後輩。目玉をむき出しにして反論しようとしたが、よくよく考えるとそこまで実害がないことに気付いた。 「でも侵入者が今にも入ってくるかもしれないんですよ!」 『そ、それはそうだが……家族のご好意を無碍にするわけにもいかないのでな……チキンにケーキもおいしそうだし』 「誘惑に負けないで先輩!」 『後輩の分も取っておくから安心してくれ。ではまた生きて会おう、オーバー』 「ちょっと待って先輩!おい待て、戻れ!」  しかし無線の向こう側には完全なる静寂が訪れていた。どのような経緯かはわからないが、先輩は居候先の家族の誘いに乗ってしまい、敵前逃亡を果たしてしまったのだ。きっと今頃、ジュースの入ったグラスを片手に飲み食いしているのだろう。座敷わらしとは、妖怪とは何なのか。先輩をふんじばってでも一度問いたださなければならないだろう。  それについては後々徹底的に行うとして、問題はただでさえ心もとなかった戦力が半減してしまったことだ。  ……こうなったら、恥を承知で風呂場の垢なめに助力を乞うか。  種族間では相互不可侵が慣習である妖怪だが、もはやそんなことは言っていられないと立ち上がりかけた。  そのときに聞こえた、かたり、という小さな物音。  座敷わらしは驚いて跳ね上がってしまった。音の方へ向くと、一人の小さな女の子がひとり、リビングから廊下へつながる扉から出てきたところだった。彼女はこの家の一人娘だった。たしか、今は幼稚園に通っているのだったか。  彼女の瞳は座敷わらしを迷いなくまっすぐ捉えている。今は家族団らんの真っ最中であるはずの彼女がなぜリビングから出てきたのかはわからないが、目の前に座敷わらしがいることは認識しているようだ。先輩座敷わらしの住まいの一家やこの子のように、霊感が強い人間は妖怪を見たり触れたりすることができるのだ。  普段ならこの幼い遭遇者は座敷わらしを見かけても横目で怯える視線を向けるだけなのだが、今日はよほど機嫌がよかったのか、それともいつもと見え方が変わっていたのか。スイッチを入れたように急に明るい表情になったと思ったら、また扉の向こうへ静かに消えていった。  一体何をしているのだろうか。座敷わらしが呆然としていると、すぐに女の子は戻ってきた。片手には柄付きのグラスが丁重に握られており、座敷わらしの手の届く床に慎重に置かれた。  覗いてみると、中にはシュワシュワと炭酸を弾けさせている透明な液体が。  お供え物のように差し出されたそれの意味が分からず、座敷わらしは女の子を穴が開くほど見つめた。  すると彼女は人差し指を口元に当てた。 「ママとパパには、ひみつ」  鳥の羽のように柔らかな小声でそう言うと、ぱたぱたと扉を開けて両親の元へ戻っていった。  どうやら、プレゼントされたらしい。  座敷わらしはグラスを手に取り、目の前にかざして中身を眺めた。シャンメリーという飲み物だったか、小さな気泡が飲料の中に無数に広がっており、まるでグラスの中にかつて見慣れていた星空を閉じ込めたようだった。初めて間近で見た座敷わらしはしばらくの間口をぽかんとさせていた。  ごくり、と喉が大きく一度脈打つ。  ……妖怪とは、座敷わらしとは何なのだろうか。いや、これからどうあるべきなのだろうか。あとで、先輩に聞いてみよう。  おっかなびっくりといった様子でグラスに口を付けて、シャンメリーを流し込む。初めての炭酸飲料は、頭が内側から広がっていくような形容しがたい刺激的な味がした。
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