日没に落涙

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スコアは最近ずっと伸び悩んでいる。試験会場の自分のナンバーが振られた無機質な灰色の個室でサトシはこめかみを押さえる。これではまた地上にいくチャンスはもらえないだろうなと悲しくなった。 2250年大気汚染や温暖化、核戦争の影響で人口は激減し自らの行いのため地上に住むことができなくなった人類は地下に潜った。もう何世代も前から太陽の光を浴びて育つこどもはいない。サトシもそんなこどもの一人だ。地下のこどもたちにとっての憧れは宇宙服を着用して行く地上クルーズだ。 18歳までにバカロレアで決められたスコアを叩き出せたこどもにだけそのクルーズにいくチケットが貰える。地上に行って太陽の光を浴びてみたい。空の色が本当に青いのかを、映像ではない本物の夕日の素晴らしさをこの目で確かめたい。地下に住むこどもたちみんなの目標であり夢でもあるのが地上クルーズなのだ。 「サトシどうだった?」 「今回も間違いなく無理っぽい。ケビンは?」 サトシの友人で生まれ年が同じケビンは首を振った。 「俺、ほんとにこのままじゃ無理だ。特別講習受けるよ。18まで半年もないんだから」 「あれ、めちゃくちゃキツイんだろう? おかしくなるヤツもいる。大丈夫なのか?」 ケビンの大きな青い瞳には疲労と絶望が浮かんでいる。 「でも、このままだと俺は地上に一度も出ることなく人生が終わっちまう。サトシだってそんなのはごめんだから毎月こうやってバカロレアを受けてるんだろ?」 地上クルーズは実費で行くには地下の街が丸ごと一つ買えてしまうほどに高額だった。 だからこそ、子どもたちはバカロレアのスコアに一喜一憂するのだ。 「でも、おかしくなったらそれこそ人生終わりだろ?」 「おかしくなったっていい。地上に行けるんだった ら、俺は何だってやってやるさ」 ケビンは特別講習を受け、バカロレアのスコアをクリアした。1ヶ月の特別講習中、ケビンにはいつもの快活さはなく、げっそりとし、目ばかりぎょろぎょろと大きく見えた。サトシが心配をして声をかけても相手にせず人格まで変わったようになっていたが、本人の希望通り地上クルーズへと旅立った。地上クルーズに行ったこどもはもう成人扱いなのでこどものいる生活居住区には戻ってこない。サトシは寂しく思いながらも自分はどうするのか考えなければいけなかった。 ◇ バカロレアの試験官に呼び出されたのは誕生日までもうあと3ヶ月と言うところだった。サトシはきっと合格したのだと喜んだ。しかし、試験官が口頭で伝えたのは不合格だった。 「残念だったね。サトシ、けれど今回君は自己ベストのスコアだったんだ。もう君の18歳の誕生日まで時間がない。最後のチャンスと思って特別講習を受けてみる気はないかね?」 サトシは試験官の勧めに即答は出来なかった。げっそりと人格まで変わってしまったようなケビンの姿が目に焼き付いていたからだ。 「僕はケビンみたいに1ヶ月も耐えれるとは思いません。最近なんだか動体視力も落ちてきた気がするんです。もう何をやっても合格するスコアは出せない気がしています」 サトシの諦めた様子に試験官は頷いた。 「確かにこれまでの特別講習は過酷だったね。それはずっと私たちにとっても課題だったんだ。今、試薬の臨床試験の依頼が来ていてね。それを使えば特別講習を短期化できるんだ。一週間とはいかないが10日ほどの特別講習で成果が出る可能性が高い」 「10日で?」 「ああ。試薬と言ってももう効果はある程度確認できているから、スコアがもう一息の君に決めたんだよ。どうかな?やってみないかい」 「やります!」 サトシはこうして願ってもないチャンスに飛びついた。 ◇ 特別講習が終わるまでの期間はサトシが想像していたよりずっと楽に過ごせた。試薬はサトシの身体によく合っていたようで副作用も粘膜が充血するのか涙や鼻水が多少増える程度でほとんど問題はなかった。10日間の特別講習後バカロレアでサトシは見事合格し、地上クルーズに行けることになった。色々な居住区からやってきた合格者達は30名。皆目をキラキラ輝かせている。引力に逆らって地上に向かう円盤の中の少年少女たちは幸せそのものだった。異変が起きたのは間もなく地上です。と言うアナウンスの後だった。 急に辺り一面が真っ暗になり、驚く暇もなくビンの中身をひっくり返したようにどこかに落とされた。何かがおかしい。先ほどまで着ていた筈の最新のシールド付きの宇宙服を着ていない。サトシは裸だった。しかも何かネバネバした液体が身体中に纏わりついている。大きく息をしようとしたら盛大に咽せた。どうにか暗闇の中で立ち上がろうとしたが立ち上がれなかった。いつもと身体の感覚が全く違うのだ。おかしい。頭が重すぎる。自分以外の地上クルーズ参加者も皆パニックだったが、次の瞬間大きなモーター音の様な轟音と共に壁が動いて今度は一瞬で明るくなった。 サトシは自分の身体を見て叫んだ。おかしい。立ち上がれない筈だ三等身ほどしかないし触っただけでも頭が大きすぎるのが分かった。それに他の参加者の姿を見て自分と同じことが起きていることが伺えた。 誰もが混乱する中で誰かが指差した方向をサトシは見た。 夕日だった。そこにいた全員の瞳をオレンジ色の光が照らしていた。圧倒的な美しさにサトシは泣いていた。今起きていることのほとんどは分からないけれど、間違いなく地上にいることは間違いないのだ。他のクルーズ参加者も皆泣いていた。そして、彼らが肉眼で何かを見るのが初めてであると言う真実に気づくものは一人もいなかった。 ◇ 「よし。日没だ。収穫作業に移ろう。新しい飼料を使ったロット29と30のサトシはすぐに持って来てくれ」 養殖工場のオーナーはご機嫌で部下に指示を出した。新人がオーナーに質問する。 「本当に日没を一時間見せるだけで味が全然違うんですか?」 「君、いい質問だね。朝日を見せた方がいい品種と夕日を見せた方がいい品種がいるんだがこのサトシは夕日で味がグッと良くなる。折角だから君、食べ比べてみたまえ」 オーナーは新人に自社製品について語り始めた。それは人類の敗北の歴史でもあった。惑星メルグが地球を侵略したのは今からちょうど百年前だ。圧倒的な科学力と兵力で人類をねじ伏せたメルグ星人が次にやったことはこの地球上すべての可食できる食物を食べることだった。メルグ星人は見えるものや聴こえるもので感動することはほとんどない。彼らを感動させるのは美食だけなのだ。そして彼らを一番感動させたのは人類の眼球だった。 「人類はなかなか利口な生き物でね。放牧が難しかった。逃げ出したり徒党を組んで同胞に危害を加えることもあったんだ。かと言って隔離して育てると味が極端に落ちる。そこで我が社の創業者が養殖に挑戦したんだ。眼球の味は運動量と何を見せたかで大きく変わることも発見し、品種改良で眼球を大きくすることにも成功した」 「朝日や夕日の光を当てた眼球のクオリティが高いことはいつ発見されたんですか?」 「それはたまたまなんだ。ある日まだ酸素を抜く前に壁が開いてしまった事があってね、たまたまそれが日没と重なっていたんだ」 オーナーは新人に取れたばかりのロット30のサトシを振る舞った。新人はメルグ星人特有の鋼の様に硬い闇の様に黒い三本指で摘み口に入れた。新人は感動でため息を漏らした。 「これは感動的だ」 「そうだろう。最高なんだ。あんなただの紫外線を浴びたぐらいでね」 新人が試食をした物とロットナンバーが同じ59個のサトシは箱詰めされて店頭に並ぶと飛ぶように売れていった。 今日も地球の養殖工場では眼球を食べられるためだけにケビンやサトシが目覚めなければいいとても長い夢を見ている。 了
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