はじまり

1/1
前へ
/8ページ
次へ

はじまり

 「これが君の全力、か?」  凍えるような空気が、私と先生の間に漂う。一瞬で周囲の気温が下がってしまったようだ。  私は目の前にあるピアノを、黙って見つめていた。何を言われるだろうか。緊張で口の中がパサパサだ。水が飲みたい。  「期待外れ、だったな……いや」  ため息混じりの声が私の耳を掠める。  頭をハンマーで思い切り殴られたようだ。  目の前が真っ白になりながらも、何とか意識を保つために、力強く拳を握り締めた。  「期待した私がバカだった、ということか」  今までで、一番心に深く刺さった。  これまで何度も、先生からは辛辣な言葉を投げかけられたが、今の言葉以上に鋭くトゲのある台詞(セリフ)はあっただろうか。  グランドピアノに反射した先生の顔は、眉間にシワを寄せ、険しい表情をしていた。  ――私のピアノ、何か間違えてたのかな。  私は恥ずかしさのあまり顔を伏せる。瞳から大粒の涙がボロボロと溢れ出した。  「残念だ。君の音からは何も感じられない」  「今日はもう終わりだ」と言葉を捨てて先生は去っていく。まだ終了の時刻ではないが、私は少しだけホッとした。  涙で視界が滲んだまま、私は帰る仕度を進める。途中何度も先生の言葉を思い出し、息が詰まって苦しくなった。  レッスン室を出た後、私は目元と鼻を真っ赤に染めたまま、コンビニに立ち寄った。  そして私はその日、  ――コンビニのゴミ箱に、楽譜を捨てた。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加