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Chiopsticks
「海色って、昔ピアノ習ってたんだっけ?」
騒がしい教室の中で、お昼ご飯の準備をしていたが、弾かれたように顔を上げる。
ピアノを辞めて6年が経過した私にとって、「ピアノ」という単語は懐かしい感じがした。
もう高校3年生だ。まだ将来のことはボンヤリとしているものの、5月になった今、既に受験勉強は始まっている。ピアノのことなんて、頭の片隅にも残っていなかった。
目の前に座る友人の碧は、コンビニの袋を取り出し、私の顔を見つめて首を傾げた。
黒髪を短くしておりボーイッシュな見た目だが、動作は女の子らしく可愛い。
「違ったっけ?」
「ううん、合ってるよ。急にどうしたの?」
「いや、こんな記事見つけたからさ」
碧は菓子パンを頬張りながら、スマホの画面を指差す。それはSNSで拡散された記事だった。
「何これ……『ストリートピアノ』?」
「駅前で昨日から始まったんだけど、期間限定で誰でも自由にピアノを弾けるんだって」
「ふーん、そうなんだ……」
私は弁当に視線を移す。ピアノに関する情報は、あまり聞きたくなかった。
どうしてもピアノというと、6年前の「あの日」を思い出してしまう。
6年前の「あの日」以外にも、怒られた練習の日々が記憶に焼き付いている。
今では思い返すことも少なくなったが、それでも少し胸が締め付けられるような気がした。
「海色は何歳までピアノ習ってたの?」
「12歳まで。途中で辞めちゃった」
「えー、何で辞めちゃったのさ」
「まあ色々あって、ね」
私の言葉から何かを感じ取ったのか、碧はそれ以上聞いてくることはなかった。
だが、ボソリと小さな声で呟いた。
「海色のピアノ、聴きたかったな……」
私は再び顔を上げる。碧は聞こえていないと思っているのか、紙パックのオレンジジュースを飲みながら、遠くをぼんやり眺めていた。
――私のピアノが聴きたい、か。
『期待外れ、だったな』
あの日、呆れられた先生に言われた一言。
私がもう一度ピアノを弾いたら、誰かにそう言われてしまうかもしれない。
期待外れの音を奏でるなんて、恥ずかしくて出来るわけがない。
私はもう、人前でピアノは弾けないだろう。
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