【1分で読める短編小説】星の贈り物

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都心から電車を乗り継ぎ数時間で辿り着く海辺のホテル、サザンテラスは、星がきれいなことで知られている。夏が終わり、誰もが海を見飽きた頃、星を見ることを趣味とする「星好き」たちでサザンテラスは静かなシーズンを迎える。「星好き」たちは、手持ち花火の火薬が散らばる砂浜に天体望遠鏡を立てる。テントの中でアルコールランプで暖をとりながら、お目当ての星が見えるのを待つのだ。 星のシーズンには、勤務中のホテルの従業員たちも宇宙のショーを楽しむことを許されていた。サザンテラスの従業員である小熊は、宿泊客たちに暖かい飲み物を運びながら、ホテルのエントランス脇の花壇に腰を下ろす一人の老婆が目に入った。天体望遠鏡をワゴンに積み込んでやってくる星好きとは明らかに違う風貌だ。海風が冷たいことを知らなかったのだろう。薄手のカーディガンの上から自らを抱きしめるように体を縮こまらせて暗い空に散らばった星をみあげている。 「寒いですよね。よかったら使って下さい」 小熊は、そう言って老婆にホテルが用意した毛布とランプを手渡した。子熊の声に顔を上げた老婆は、夜目にも鮮やかな笑顔を見せた。 「ありがとう」 周囲の建物の灯りも消え、薄暗がりとなったサザンテラスに、老婆の笑顔は流れ星が落ちたかのような輝きがあった。老人だが少女のような明るさ。子熊は、一瞬、老婆に引き込まれた。彼女の手には一枚の紙が大切そうに握られている。 「星がお好きなんですか?」 子熊が尋ねると老婆は紙に目を落して言った。 「息子がね、星をプレゼントしてくれたの」 思いがけない会話に子熊が聞き返すと、 「17歳で家を飛び出して一度も連絡のなかった息子からこれが届いたのよ」 そう言って老婆は、その紙を見せた。見ると大きく「証明書」と書かれたその紙には、アルファベットと数字が並び、その下に「惑星m5002.36r.cの所有権を日暮山蘭子に寄与する」と記載されているのが暗闇の中で読み取れた。 「親らしいことを何ひとつしてあげなかった私に、息子が星をプレゼントをしてくれたの。こんな嬉しいことないわ」 日暮山蘭子という名のその老婆は、いたずらとしか思えない手紙を見せ、幸せで弾けそうな笑顔をしている。返す言葉に困っている子熊に、 「あなたの考えていることは見当がつきますよ」 老婆は朗らかに言った。 「こう見えてもね、若い頃は男性から山のようにプレゼントをもらったものよ。靴も洋服も宝石も、クローゼットに溢れるくらいもらったわ。ただ店でお酒を飲んでいるだけで、男の人たちは私にプレゼントをしたがったのよ」 老婆の話は嘘ではないと子熊は思った。年老いてはいるが、彼女には今も枯れない色気がある。 「お客様でしたら、そうでしょうね」子熊は正直に答えた。 「贅沢をした罰が当たったのね。神様は私の一番の宝物を取り上げたのよ。息子は17歳で家を出て、一度も戻らなかった。たった一人の可愛い息子が。息子の他に欲しいものなど何もなかったのに」 何十年と音信不通だった息子が老婆に宛てた手紙が届いた。それが「星の所有権証明書」だったのだ。 老婆は、子熊の前でその手紙を愛おしそうに眺めている。 「息子さんは今どこにいるんですか?」 老婆は黙って首を振った。 「でもね、それでいいの。親の力なしでも息子はちゃあんと一人でしっかり生きているんですもの。世の中の大半の人間がいい年になってまで親を頼っているのに、息子は自分の力だけでやり上げた。大したものじゃありませんか」 老婆は心底、嬉しそうに笑っている。 「その上、何もしなかった親の私に、プレゼントまでしてくれた。出来すぎの息子ですよ。私はそれが嬉しくて仕方ないんです」 子熊は、目の前にいる薄いワンピースに身を包んだ細身の女性が現実であることを確かめようと、彼女を明るい場所に誘導した。 「ホテルが用意した天体望遠鏡がございます。ぜひお使い下さい」 「そうね。使わせてもらおうかしら」 老婆は首に下げたルーペで「証明書」を確かめ、星の位置を探そうとした。 そして不慣れな手で重たい望遠鏡を動かしてみせた。 「息子さんの贈ってくれた星、見つかりましたか?」 「さあてね」 望遠鏡を覗き込む老婆の横顔に映る光は星の瞬きだろうか。それとも涙だろうか。 「分からなくてもいいんですよ。この宇宙のどこかにあるというだけで、十分、私は幸せです」 まだ夜はまだこれからだが、老婆は部屋に帰ると言った。 「何か飲み物をご用意致しますか?」 「そうね」 老婆は考えて 「やめておくわ。お酒を飲んだらこの幸せが泡になってしまいそうだから」 エレベーターが下りてくると、振り向いて微笑んだ。 「息子のお陰で、私は毎日、日が暮れるのが待ち遠しくてたまらないんです。夜、空を見上げることさえ喜びなんですから」
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