スコール

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「遅くまでごめん、送るよ」 「あの、私も少し…」  お金払います、と言おうとしたその前に。 「今日は、友達になってくれたお礼」  先生は私より先に、大学の荷物が入った重い鞄をクロークバスケットから取り上げると、レジに向かった。あいにくレジには2組の会計待ちがいて、私たちは少し離れて並ぶ。  先生が、少しかがんで囁いた。 「ダメ、って言われなかったから、いいんだよね、友達」  それ、終わってなかったんだ…。 「…私が友達なんて、いいんですか?」 「いいんだよね、って俺が聞いたんだけど。きりなくない?」  先生は、楽しそうに笑った。私も思わず笑う。 ここに来た時のような緊張は、もうなかった。病院ではわからなかった、先生の私への距離の取り方に、居心地の良さを感じる。    会計の順番が来ると、先生は私に店を出るように合図した。そんな気遣いに恐縮しながら、先に店を出る。 「ご馳走様でした。美味しかったです」  財布をポケットにしまいながら私の傍に来た先生に、お辞儀をした。 「どういたしまして。こっちこそ、付き合ってもらってラッキーだった」 「最後のシャーベット、本当に美味しかったです」  暑かったり寒かったりした一日が、心も体もちょうど良い感じになっている。あのまま、濡れた服を着て電車に乗っていたら、きっとみじめな一日の終わりを迎えていただろうに。    ほんの少しのアクシデントは、一緒にいる人と作られる時間の中で、幸運なハプニングに変わるのかもしれない。 「良かった、引かれなくて。カッコつけて、女の子にシャーベットなんて頼んだの、初めてだったから」  本当とは思えないけれど、そんな風に言われるとまた緊張してしまう。 「ほら、そこの中華屋。来週は、そこにしようか」  ハプニングは、続いているとしか思えなかった。でも、すぐにその返事は、できない。 「か、カバンありがとうございました」 「重いね、毎日こんなん?」 「今日は、資料が多かったので。すみません」   「下まで持つ。人質ならぬ物質(ものじち)。…送るよ」  カバンを受け取ろうと差し出した手に、先生の手が乗せられる。そのまま、ギュッと握られて手を引かれ、エレベーターの前に並ぶ。私の手は、引き攣ったように指が伸びて、固まった。  カバンは、返してもらえない。    心臓が、耳のそばで鼓動を強めた。  
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