それぞれの距離

6/10

423人が本棚に入れています
本棚に追加
/142ページ
 レストランの入った駅ビルから出ると、いつも利用するのとは反対口に向かう。私が利用したことのない通りを、先生はまた私のカバンを物質(ものじち)にして、繋いだ私の手を優しく、でも離せない強さで握っている。  賑やかな千鳥足のおじさん集団とすれ違った時、先生は私を(かば)うように手を掴んで自分の傍に引き寄せ、そしてその手は繋がれたまま、通りを進んでいた。    確かに診察の時、先生は、おばあちゃんの手も優しく握ってあげてはいるけど。 「あの、先生、ついていきますから、手…」  繋がれた手を放したいわけではなかったけれど、私も握り返すわけにはいかなかった。  先生が立ち止まる。 「ごめん、言わなかったっけ。昨日午後緊急手術(オペ)が2件続いて、しかも1件はちょっと厄介で3時間かかったんだ。トータル5時間立ちっぱなしで、今日ちょっと筋肉痛。繋いでもらってると、歩くの楽なんだけど」  ”手を貸す”のに、自然な理由。断わる方がおかしい。 「そうだったんですか。…すみません、気が付かなくて。じゃあ、カバンは…」  せめて、カバンは自分で持たないと。 「カバンは大丈夫だから、もう少ししっかり手を繋いでくれる?転んだらカッコ悪い」  自分で、そのきっかけを作ってしまった私は、ニッコリした先生の笑顔に息が止まる思いで、思わず言われた通りに手を握ってしまう。  先生はその私の手をそっと握り直して、とても転びそうには見えないしっかりした足取りで、また歩き始めた。
/142ページ

最初のコメントを投稿しよう!

423人が本棚に入れています
本棚に追加