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マスターのカクテルは、口当たりがよくて飲みやすく、思わず ”大人っていいな” と思ってしまうような一品だった。元々、そんなにお酒を飲みたいほうではないので、大学の集まりでは、マスターのとは比べ物にならない、カクテルとは名ばかりのものを1杯飲む程度だった。
BAR Deneb のマスター玲さんは、黙っていると完璧なイケメンなのに、中身はジェンダーレスでミステリアスな人だった。
先生に何か耳打ちをしながら向けられた視線は、”妹ちゃんは黙っててね” と言うようにしっとりとしていて、思わず、二人の雰囲気から目を逸らしたくなった。
確かに、先生たちから見ればお子様で恋愛経験も乏しいけれど、恋愛の機微には寛大なつもりだから、そっちの世界が気持ち悪いとか、信じられないとは思わないけれど。
自分が原因ではない価値観の違いで、相手に気持ちが伝わらないのは、辛いかもしれない。もっと早く、わかっていれば気持ちを止められたかもしれないのに。
それを暗示するように帰り道、先生は無口だった。そうしたいわけではないけれど、今度は手も繋がれない。
先生が私の気持ちに気づいて、わざわざマスターの存在を教えたのかも…。
「今日は、家まで送るよ」
突然、先生が言う。
「お酒も飲ませちゃったし、この前より遅いし。…話したいこともあるし」
確かに、体は少しフワフワしていた。カルーアミルクの後 ”これもお勧め” と言って、ソルティードックもいただいた。細長いグラスの縁には、きらきらと塩がきれいにつけられていて、三日月みたいなグレープフルーツが上手に挟んであった。爽やかな口当たりは、お酒だということを忘れてしまう程飲みやすく、体全体が気持ちよく軽くなった。
「マスターの事ですか?」
酔いのせいか、いつもはこんなに簡単に言葉にしないのに、自分から聞いてしまった。
「大丈夫です。驚かないと思います。…いえ、驚くかもしれませんが、逃げません」
これが、酔っぱらうってこと?言葉が止まらない。
先生は立ち止まる。私も立ち止まり、先生を見上げる。
「どっちでもいけるんだ、玲さん。…って、意味わかるかな」
どっちでも。どっちでものどっちって、そのどっち、だよね…。
「女の子から見ても、いい感じだった?玲さん」
質問が続いて、私は、どの部分に答えればいいのか、少し考える。
「まずかったと思って。玲さんの店、連れて行ったの」
やっぱり先生、後悔している?
「だ、大丈夫ですよ、だからって、先生の事軽蔑したりしませんし。どっちって、その、男の人でも女の人でもお付き合いできるって、意味ですよね」
先生は、小さく頷く。
「今の世の中、恋愛はいろんな意味で自由だと思います。大学にも、そう言う噂のある人いますし…。だからって、変わってるとか世界が違うとか、全然感じませんし」
やっぱり、上手に言えない。言い訳みたいになってる気がする。先生の事も、それでいいと、思えてないかもしれない。
だって、憧れだったのにこんなに傍にいる時間が増えて、距離が近くなってしまって。憧れでよかった筈なのに、それで済んでいないのがわかってしまった。
苦しくなって、鼻の奥がツンとする。アルコールのせいかもしれない。
もしかしたら、好きという気持ちにたどり着くのは、もう少しだったかも…。
でも、まだたどり着いていないのなら。
「応援しますよ、お二人の事」
どうにか笑顔を作れた、と思う。
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