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「先生が誘ってくれるの、不思議に思ってはいたんです」
やっぱり彼女は、だいぶ酔っているのかもしれない。いつもならこんな風に、自分から会話を始めることはほとんどない。声も、いつもより落ち着いてい大人びている。これはこれで、やばいな…。
「だから、話がどんな内容でも、聞けると思います」
少し間をあけて座ったベンチで、彼女は頷きながら言った。
彼女のカバンは、まだ僕の傍にある。
顔を向けて、口を一文字に結んだまま、どうにか笑顔にしようとしている彼女を確認してから、そっと息を吐くように空を見上げる。
丸い形に近づいている月が、雲の切れ間に姿を現した。
夜の空は黒ではなく、何種類もの紺色が、深く濃く重なっているように見える。
月の明かりと、ぼんやりとした公園の街灯が、今の二人にはちょうど良い明るさかもしれない。こんな、緊張した表情を見られたくなかった。
今ここで確実に言えるのは、彼女は、著しく誤解をしていると云うこと。そして、誤解とはいえ、それを受け入れようとしているところをみると、彼女は俺が考えているより、ずっと芯が強いのかもしれない。
彼女より、自分はだいぶ大人なつもりでいたけれど、彼女にはそう思われていなかったりして。
「千菜ちゃんて、兄弟は?」
「…え?」
「いや、実はすごいしっかりしているのかな、と思って。なんて言うかまだ可愛らしい印象だったから」
彼女は、意表を突かれたように瞬きをした。
「弟が、います」
「そっか、お姉ちゃんなんだ。俺は一人だけど、いてくれるなら姉貴が良かったな」
そういえば、好きなこと嫌いなこと、家族のこと学校のこと、とにかく彼女の大切なことは何も知らない。
さしずめ今日あったはずの、大学での何かも。
そういうことを、一番に話してもらいたかった。
そうか、そんな存在になりたいのかもしれない。とりあえずは、何かあったら俺の顔が一番に浮かぶような。
「大学で、何か心配なことあった?」
自分の気持ちをもう少し整理する時間を作るように、中華料理屋から気になっていたことを聞いてみる。
「…話って、それですか?」
彼女は戸惑った顔をした。
「それも、かな」
「友達に、ちょっと指摘されて」
「悪口っぽいこと?」
彼女、は首を振る。
もちろん初めて聞く、理沙ちゃんという友達との、お昼の話をしてくれた。
その子に言われた、”人の気持ちがわかっていない”といった類の話。
全貌はわからなかったけど、その内容は俺にとっては悲報だな。
面識はないが、俺は理沙ちゃんの意見に、心の中で全面的に賛成した。
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