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駅前の広場には樹木が立ち並ぶ。葉のない木もちらほらある中で、季節を惑う程に殆どの木々に葉が残っている。元気こそあるようには見えないが、その一つ一つから辛抱強く冬を耐え抜こうという意志が感じ取れなくもなかった。
石のベンチは濡れなくも冷たい。長く座るとお尻全体が異常な冷えを感じ始め、もしかすれば濡れているかもと手で確かめてしまう程。
手はカサカサになり温かいお湯が欲しい。濡れないお湯があるならそれだけでこの程度の寒さは耐えられる自信があった。休憩できそうな喫茶店やファーストフード店等は見えるが、あえて寒空の下で待つ。財布の中身は見なくとも寂しい。使うならばせっかく会えるマサのために使いたかった。
駅から出てくる少年の姿。髪は立つ程に短く、一見は活発なやんちゃ少年のような雰囲気。子供から大人への過渡期特有の美と勇が混じり合う複雑な様相、無意識に見せる世界を知らない幼き行動。中学生に見えると同時に、不思議な鏡を見ているような錯覚もあった。少し大きめのパーカーは赤が若干褪せていた。黒っぽいショルダーバッグに下はジーパン。両手をポケットに入れ、辺りを見渡す姿が目に写った。
よっくんは静かに近づいていく。気づいたマサは笑顔になり、胸の前で小さく手を振ってきた。
「うぃっす」
よっくんの挨拶にマサの返事はない。それを見て優しい笑顔でマサに言った。
「はは、どうした?これだけ会ってるのにまた緊張してんの?」
「あ・・、いや、んん・・。やっぱりヨシくんはかっこいいなって思って」
まだ声変わりは始まったばかりなのか、時折聞こえるひっくり返る裏声。しかしそれがヨシの胸を締め付ける。視線は顔の至るところに向く。その目は顔の産毛も拾う程だった。
「はは、やっぱりマサはかわいいな。
とりあえずここは寒いから」
歩きながら互いに鼻をすする。マサはヨシのその行為は気にしない。それ以上に、自分の鼻水が白く乾くことが恥ずかしくて、そうならないようにずっと自分の鼻を触っていた。
「ティッシュ使う?」
マサは礼を言って鼻をかむ。しかし、自分が感じている程の鼻水どころかティッシュが濡れたかすらもわからない程度。
「めっちゃ鼻が出てる感じしてたけど全然出ないや・・」
「寒い時の鼻ってそんな感じだよね。逆に出てないって思って無意識に鼻触ったらしれっと垂れてる時もあるしね。
それより何か飲む?」
「いらない。着いてから飲み物あるんでしょ?」
「それでいい?」
マサはティッシュを丸く潰すとポケットに入れた。ヨシがそのゴミをもらおうかと尋ねると、また使うからとマサは断った。
冬期集中講義は16時過ぎ頃に終わる。落ち合ったのは間もなく17時を迎えようとした頃。インターネットカフェに着いたのはそれから15分程経ってから。完全個室の部屋があり、そこで19時迄勉強を教える。
「宿題一緒にしてもらいながらここのお金まで払ってもらって、僕ってどれだけヨシくんに世話になってるんだろね」
ドリンクバーでジュースを注ぐと部屋に戻る。
「俺もマサと会えて嬉しいし、こうした口実がないと大学生と小学生が会うなんてできないだろう?」
「こうじつ?」
「理由みたいなものだよ。まあ、塾をこのネカフェでやってるって考えたら別に変な話ではないんだけどね」
「でも、僕、教えてもらってるのにお金払ってないよ?」
「はは。マサ、わかってて質問してるだろ?」
「え、わかんないよ。・・僕は何もわかんない。ただ、ヨシくんと会うのは別に嫌じゃないよ」
「別にね。
はは。なのに、自分から俺に連絡してくるんだね。いいよ、マサはまだ小学生だから。少しずつ色んな話ができるようになるだろうからね」
ヨシにはマサの感情がわからなかった。自分から寄ってきたかと思えば離れていく感じがするも、完全には離れてはいかない。だが、本当に距離を置けば一生会えないんじゃないのかという不安は確かにあった。そして、自分の人生を消されてしまうのではという恐怖もあった。
山道に迷う子供を助けているつもりが、獲物を狙う狩人の罠に引っ掛かっているような印象。さらには、魅惑の果実を味わってしまったことで、その果樹の成長を見届けたいという欲求。そもそもヨシ自身が羨ましいと思われる存在でありながら、決して求めてはならない禁断の領域を、その暗黙の容認を知っていることから純粋な過信に溺れてしまっていた。
宿題を進めながら、マサの手はヨシとの時間を心の安らぎに費やす。これはヨシの希望することではないが、共益たる快楽であった。
「温かいね。それになんか不思議だよね・・。こんなにヨシくんはきれいなのにやっぱり大人なんだなぁって」
時にその手を自分の鼻に当てるマサ。
「嫌なんだけど手のにおいを嗅ぐと同じにおいがするんだよねぇ・・。でも僕、ヨシくんのだったらいいにおいに感じるんだよね。カズ・・、お兄ちゃんね、カズのは嫌だけど。
・・ヨシくんは嫌?」
マサを見ていてマサという人間が二人いるような感じがした。顔と右手は宿題に集中しているようにしか見えない。しかし、左手の動きや時折口から放たれる言葉は暗闇から覗き込み、ヨシの気持ちを窺っている不安な別人格に感じた。
「マサはきれいだよ。こんなこと言ったらあれだけど、お兄ちゃんの気持ちもわからなくはないかな・・。
身近にマサみたいなのがいたら気持ち押さえられないだろうなぁって」
「・・ねぇ、宿題、次のページまででいいかな?」
ヨシの言葉への返事はなくマサは尋ねた。ヨシの顔を見て発した言葉だったが、先程の会話はなかったかのような表情。そこまで頑張ろうと声をかけると、それが終わるまでは宿題だけに完全に集中し出した。静かな時間だけが過ぎる。冷静な自分を取り繕うヨシだったが、先程とは違う空間が妙に落ち着かなかった。
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