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時間を尋ねられ、答えたのは30分前ということ。荷物を整え、ドリンクバーに再度二人で向かう。
「あー、疲れたー。でも、予定してたより6ページも進んだー。やったー」
「よく頑張ったね。とりあえず飲み物飲んでゆっくり休みな」
「あー、疲れたー。もうしばらく勉強はしたくなーい」
無邪気な少年と会話しているようにしか感じなかった。感情を隠しているようにも見えたが、その隠している感情がヨシの想定するものなのか、それとも全く異なる感情なのかまではわからなかった。
部屋に戻り、ジュースを数口飲むとマサは言った。
「あっ、歯磨き。どこかにあったよね?」
「歯磨き?なんで?」
「だって臭いじゃん。ヨシくんが汚れちゃうよ?」
「じゃあ俺も・・」
「ヨシくんはダメっ。ヨシくんはヨシくんのままが一番きれいなんだから」
表情なく当然のように歯磨きをしに行こうとしていたマサだったが、ヨシの歯磨きは身を挺して止めた。そして、その後何かを企むような、だが、それが本心であるかのような柔らかな笑顔になって言った。
「それにそんなヨシくんだと、なんか僕まできれいになった気分になるんだよね」
部屋を出ていくマサ。ヨシの体は良心に反して本能に準じていた。消えたテレビに映る自身の姿を見て罪の意識も少なからず感じていた。一方で成年を迎えながらも高校生とも見違える容姿を認識していたこともあってか、年の変わらぬ同性同士の交流に違和感を覚えずにいる自分がいることも認識できた。マサに比べれば明らかな大人でありながらも、過去生きてきた過程を振り返れば数年前の自分を維持するために手入れをしてきた体に、不快な男の姿は認識していなかった。この複雑な自己認識の合成に意図せずして興奮している自己の分身は、絶頂を迎えんとする未遂の悦楽への期待と欲動の現れであるようだった。
「ただいまぁー」
マサの表情は無邪気そのものだった。ヨシの背中に乗り掛かるように抱きつくと、頭のにおいを深く吸い込みながら少しずつ味覚の器官同士を絡め合わせるに至る。背中にいたはずのマサは床に変わり、背中のマサは体の上に乗っていた。苦しく隠れていたヨシの本能は解放され、マサの五感に支配される。嚥下されながらも食道まで至らず、時に塩味が鼻を抜ける風味を更なる美味たるものに変貌させ、マサもまたヨシの本能に支配された。繰り返しの中で未遂の悦楽も終焉を迎え、理性ある人へと回帰する。
「本当はヨシくんともっと・・」
だが、マサの本能は目的を果たしてはいない。自己の更なる悦楽を欲し、その本能をむき出しにしようとするマサにヨシは言った。
「マサ、ダメだよ。俺もマサのこと大事だけど、だからこそマサにも自分自身を大事にして欲しい。こんなことしてて言えないけど・・」
「えー、もう終わりー?
ヨシくんだけずるーいっ」
「マサ、賢いマサならわかるだろ?」
「えー、わかんないよー。
だってこれは僕が勉強を教えてもらってるお礼をしてるだけだし。ジュースも飲み放題でさ。それに僕もしたくてしてるだけだし。それに・・」
子供らしさと大人の分別が入り乱れたマサに、ヨシもどう理解して受け入れてもらえばいいのか言葉に迷った。時に同年代の友達と話しているかのような錯覚に陥りながらも、そこには10年近い年齢の差異が少なからずあった。
自問を求めるヨシの言葉への返事は純粋だった。だが、続く言葉には暗闇に迷い怯ながらも生きようとする弱きマサの姿だけでなく、他者の欲望を認知した上でそれを利用して他力による自己救済を企む暗黒の生者のような姿も垣間見えた。
「僕も誰にも言える人がいないから。ヨシくんしかいないから。僕の逃げ場はヨシくんしかいないから」
「俺はマサの味方だからさ。俺もこんな感じだから力になれないかもしれないけど、話くらいは聞けると思うから。DMでもいいしさ」
底なし沼に自分から入ろうとしているかのようなマサの言動に、ヨシは言葉を探し出して笑顔で言った。だが、求めていた返しと違っていたのか、マサの表情は冴えなかった。
「とりあえず時間だから出ようか」
マサの肩を抱くようにしてヨシは部屋を出た。
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