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兄/量一/S.S…9
紫苑? 何を言って……
その時、背後からポンポンと二の腕を叩かれた。
「撮影に入りますのであちらの離れた場所でお待ちいただけますか?」
振り返るとTシャツにジーンズ姿の小柄な女性が俺に話しかけていた。
ハーフアップした巻き髪に濃紺のキャップを被り、つばの間から覗かせるハの字の眉が、すみません。と付け足している。
「ドラマの撮影……、ですか?」
「はい。2、3分で撮り終えますので、ご協力ください」
蛍光の腕章に『アシスタント・ディレクター』と書かれていた。
この状況って……
まさか!
紫苑がエキストラに抜擢されてる?
どういう経緯で? う、うそだろ!?
この状況に「ふあぁい……」と間の抜けた返事しか返せない俺は、それでもあたふたと後ろ手に数歩下がり遠巻きに見守るギャラリーの一員となった。
まぁ、まぁ。 あり得るよな。
だって紫苑は兄の俺が贔屓目に見ても間違いなく芸能界でトップクラスの可愛さだからな。
ーーあれ? それだとトップか!
独り言ちて、笑う。
ディレクター? プロデューサー?
誰だか知らないけど、わかってんじゃん!!!
もしかして、このままスカウトとか……
少し暴走気味かな。 などと自分を俯瞰して妄想を払拭する。するとパーテーションで仕切られた1ブロック先が騒ついた。
おや?
向こうから歩いてくる二人は……
福士くんと菜奈ちゃんだ!!
うっわっ! スゲー美形!!
『本番! テイク1! 5、4、3、・、・』
間髪入れずに人混みの中からカウントダウンの声がかかると、辺りは静まり返った。
今をときめく俳優、女優はオーラが違うなぁ。と見惚れたのは束の間。
いやいやいや。
紫苑も負けてないぞ! ところで紫苑は……
うおっ!
すでにチーズドック食べてるよ!
幸せそうだなぁ。
あ、一本食べ終わった。
え、もう2本目! 3本目!?
早くないか!
あんなに目尻がさがっちゃって……
あむあむ。って、美味しそうに……
か、かわいすぎ……
その時、気づいた。
恍惚の表情でチーズドックを頬張る紫苑の飾らない天真爛漫な悦びが、見る者全てを魅了している事に。
辺りを取り囲んでいるキャラリー全員が、今や紫苑一人から目を離せられない現実に。
「これ、ほんとにおいしいです」
紫苑の楚々とした天使の微笑みに、あちこちで感嘆の息が漏れた。
俺も笑顔で息を漏らす。
でも、その吐き出した息の半分は、小さい頃からの宝物が見つかってしまったような、紫苑が手の届かない場所に行ってしまうような、寂寥と焦燥が入り混じる、苦い予感の味がした。
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