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何だろうと少年が扉を開くと、そこにはフードを深く被った背の低い老人が立っていた。顔は良く見えないが黒いローブから覗く手は皺だらけで、爪は鋭く伸びて薄黒く光っている。
「…君だけかい?」
「はい?」
「ここに住んでいるのは…君だけなのかね?」
「え、と…まぁ。そうですけど?」
「本当に?ここに腕の立つ払い屋さんが居ると聞いてきたのだが…」
「腕の立つ…薬師じゃなくて?」
少年が少し後退りポケットに手を突っ込むと同時に、急にぶわりと強い風が吹いて老人のローブを連れ去った。
「チッ、わざわざこんなトコまで来て収穫がこんなガキ一人たぁ…ざけんなよっ!!」
「やっぱりその類いか!」
老人だったソレはぐんぐんと大きくなり鋭い爪をぎらりと光らせて、思い切り振り翳すと少年へ襲いかかった。嵐のようにぐわっと風が強くなる。巻き起こる粉塵から何とか片目で様子を窺い、少年がポケットから手を出そうとした、その時。
「サワくん危ない!」
ふわりと揺れる猫っ毛に、赤く光る瞳。嵐のような粉塵の中少年の視界の端に映るのは少年より幾分背の高い男の姿だった。
「…おれのものになにすんの」
一瞬の内に少年の前に躍り出た彼がぐいと少年の肩を引き寄せる。そうして彼が目の前の化け物に手を翳した、その瞬間。
「ぐわぁっ!!!」
一瞬眩い程の青い光が辺りを覆う。
するとしゅんと風が止み、さっきまでの嵐がまるで嘘のように静まり返った。鋭い爪で少年に襲いかかろうとしていた化け物は跡形も無く、人に擬態するのに使っていたらしいボロ切れだけがひらひらと舞い落ちていく。
「やー、久々にピンチだったね!」
「いやいや、あれくらい俺一人で何とでも出来たのに…勝手に人の仕事取んなよフジクラ!」
「えぇー、だってヒトに擬態してあまつさえ俺の結界破ってくるやつだよ?危ないに決まってんじゃん。結構強めの張っといたのになぁ」
フジクラ、と呼ばれた男はそう言いながら頭を掻くと、足元に落ちていた布切れを拾い上げて燃やしてしまった。手から放たれる炎は青く輝き、一瞬で布切れを灰にしてしまう。
「だから邪魔すんなって言ったのに…」
「まぁまぁ、今回は依頼じゃなかったんだからいーじゃん?それよりサワくんが無事で良かったー!」
ぶつくさと文句を言いながら教会へ戻る少年を追い掛けて、フジクラはぎゅっと後ろからサワを抱き締めた。ヒトの姿の彼は少年より幾分背が高くて、抱き締められると少年は簡単に彼の腕の中に収まってしまう。
「だからぁ!抱きつくの止めろって、ば、重いっ!聖水ぶっかけるぞ?!」
少年がポケットから取り出した小瓶には少し青みを帯びた液体がちゃぷんと揺れていた。まぁこんな脅しがこの男に通用しないことなど少年はとっくに知っているのだが。
「だって猫の姿だとこんな風にぎゅって出来ないんだもんー!それにこれは俺には効きませーん。残念!だからぎゅってしてい?」
「だから何でそうなんの?!していいなんて言ってない!」
「しーたーいー!」
「はーなーれーろっ!」
今度は人間の姿で少年に遠慮無く頬擦りをするこの男。と、先程の化け物は実は少年の本業に深く関わりがあるモノ達である。
「もう払い屋なんて止めて俺とゆっくり暮らそうよ」
「やだ。お前に指図される筋合いはない。ってか!」
「キスしてい?」
「話聞けよ!お前いつまでここに居るつもりなんだ」
遠慮無く顔を近付けてくるフジクラの口を何とか両手で抑え込んで、もう何度目か分からない問答をした。男は口付けを拒まれたことに明らかに不服そうに眉間に皺を寄せながらも、やがて赤みを帯びた瞳を妖しく光らせて少年の手の平をぺろりと舐めた。
驚いた少年がパッと手を離すも、その手首をすかさず掴んで自身の胸へ引き寄せ彼は嬉しそうに微笑む。そうして引き寄せた少年の耳元で、どんな花の蜜よりもずっと甘い声色でその悪魔は囁いた。
「きみが死ぬまで。死んだら俺が連れてってあげるから大丈夫だよ?永遠に一緒だね!」
「何も大丈夫じゃねぇよ?!お前と契約した覚えは!ない!ってかいい加減離れ、ちょ、力つよっ!」
「なぁんて、サワくんから召喚してくれた癖にー。あ、分かったこれがツンデレだ」
「ちげぇわ!」
このサワという少年は普段は薬師として生計を立てているが、彼には実はもうひとつの顔があった。所謂「悪魔」と呼ばれる存在を祓う祓魔師である。その腕は確かなもので、依頼を受ければ依頼人の元へ赴き人々に悪さをするソレらを祓うのである。
しかし「悪魔」といえど悪さをするものばかりでもなく、少年は時には人と同じように彼らと接することもままあった。
とは言え相手は悪魔である。人々の間には悪しきモノとして認識されるそれらにも分け隔てなく接するなど祓魔師として赦されることでは勿論無く、少年の行動は人間の世界においても異端なものであった。
まだ特に行動を咎められたりはしていないが面倒事は御免被る。という訳で少年は目立つことを避け、こうして人里から少し離れた場所で細々と表向きは薬師として暮らしていたのである。
そんな少年サワの元へこの悪魔フジクラが現れたのは二、三年程前のこと。
道端で弱っていた猫を悪魔の類いと知りながらも介抱したのがいけなかったのかも知れない…とフジクラに抱き締められながらサワは思う。と言うか悪魔ならそもそもこの教会にすら入れない筈なのに、何故こいつは平気なんだろう。
猫として匿っていた時は一応教会の外で介抱していたのだが、ある日突然その猫は姿を消し、そしてフジクラとして現れた。教会の中、薬の調合のつもりで描いた陣の中から、この見目麗しい男の姿で。
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