#09 白銀は春暁に戻る

1/1
前へ
/14ページ
次へ

#09 白銀は春暁に戻る

 騒がしくなったのは夜半(やはん)を過ぎた頃だ。  部屋の片付けを続行していた俺は、上の階から聞こえる物音に気付いて手を止めた。古い家だから家鳴りがするのは仕方ないとして、なんだかバタバタと騒がしい。  上の階にいるのは(りょう)さんだけのはずだが、凌さんが一人で暴れているとも思えなかった。  直後、一際大きな音が響いた。乱暴に扉を閉めたような音だ。思わず部屋から出て様子を伺うと、誰かが階段を下りて来る。 「待てよ! ショーはどうするつもりだ!」  その誰かを追いかけるように、二階から凌さんの声が響く。いままでの飄々とした態度からは珍しく、声色は焦っていた。驚く間もなく、俺は階段を下りて来た人物と鉢合わせた。  真っ黒いフードからはじめに見えたのは、色素の薄いクセのある髪だ。  筋の通った鼻先に、肌は日焼けを知らないかのように白い。細められた瞼から覗くのは灰色の瞳。俺からしてみればアルビノの人形ような相貌は、不思議な引力を持っていて一瞬にして目が離せなくなる。  そして相手もまた、俺を見てその表情を固めた。というより、強張ったと言った方が正しいのかもしれない。  そこで俺は、相手が男の人だと気付いた。  明らかに日本人とは違う彫りの深い目元が歪んでいる。なんだ、俺は初対面早々になにか失礼なことをしでかしたのだろうか。そもそも日本語で良いのだろうか。 「ハ、ハロー……」  言ってすぐに後悔した。相手は訝しげに俺を見ている。そういやさっきから聞こえていた凌さんの声は日本語だった。とにかくに何か、声をかけよう。何か。 「あ、あの俺」  管理人の藍沢夕哉(あいざわゆうや)です、と続くはずだった言葉は、鋭い視線に阻まれた。 「その眼で僕を見るな」  強い拒絶に、一瞬にして言葉を失う。  立ち尽くすしかない俺の横をすり抜ける白銀(はくぎん)に、待ったをかけたのは隣の部屋から出て来た相良(さがら)さんだった。 「……何時だと思ってる。近所迷惑も大概にしろ」  優しいお兄さんの印象からはほど遠い、地を這うような低い声に、背中を向けていた俺まで肩をビクつかせてしまう。  俺よりも酷かったのは、その相良さんに正面から対峙してしまった白銀と、タイミング良く階段から下りて来た凌さんだ。二人とも石になったように動かない。西洋の有名な怪物で、目が合ったものを石にしてしまう奴がいたが、まさしくそんなシチュエーション。  動きを止めた二人に、相良さんは無言でリビングに向けて顎をしゃくる。すると石化が解けた二人はそれに従って、リビングにとぼとぼと歩いて行った。  呆然とする俺に気付いて、穏やかさを取り戻した相良さんが申し訳無さそうに眉を寄せて苦笑した。 「夜遅くに悪いけど、君も来れるかな。三人目の住人を紹介するよ」  ということは、やっぱりそうなのか。あの白銀が202号室の住人なのか。  予想していなかったわけじゃない。地元でも観光地化している場所では海外からの客は珍しくなかったし、それが東京ともなれば国際色はもっと豊かになる。  いつの間に家の中に入ってきたのだろうと思ったが、彼はここの鍵を持っているのだと、俺は一人納得した。
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加