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#10 今更ですが初めまして
リビングに入ると、ソファーにふんぞり返って座る白銀の前で、見下ろすように凌さんが立っていた。
「懲りないなぁ、まだやってるのか……」
横から呆れたような相良さんの声が聞こえて来る。
とにかく座るように俺に言うと、相良さんはキッチンでお茶を淹れ始めた。大人しくダイニングチェアに座って待つ間も、件の二人の会話は平行線を辿っていた。
「お前がどこに行こうがお前の勝手だ。だけどな、引き受けたのもお前だろ。ガキじゃないんだ、約束は守ってもらわないと困る」
「状況が変わったんだよ。最初から僕の都合合わせでいいって言ったのは凌だろ」
「ああそうだ。だから今回のショーもお前がこっちにいるタイミングに合わせたんだ。大勢の人間が、お前の都合に合わせて動いてる。それをいきなり『明日からまた出かける。いつ戻るか分からない』ってどういうことだと聞いてるんだ」
「だからっ、状況が変わったんだ!」
「だったら理由を言えよ!」
白熱している。俺がそれをここで見ているのも、相良さんがのほほんとお茶を淹れているのも同じリビングでの出来事とは思えない。あまりにも温度差が酷くて背筋が寒くなる。
淹れてもらったお茶を飲むことしか出来ないでいると、ふと白銀と目が合った。
『その眼で僕を見るな』
——さっき投げつけられた拒絶が頭にリフレインする。剥き出しの嫌悪が、心臓の一番弱い部分に突き刺さっているみたいにチリチリと疼いた。
白銀は俺から目を逸らすと、深い溜め息とともにソファーに背を預けた。
「……Okay. わかったよ。出かけるのはショーが終わってからだ」
それを聞いた凌さんはガクッと肩の力を抜いて、白銀の横に倒れ込む。逃がさないと言う意思表示か無意識か、白銀が着ているオーバーサイズのフードトレーナーの裾をしっかりと握っていた。
「勘弁してくれ。目玉のお前が抜けたらマジで困るんだ……」
「わかるよ。僕以上の逸材を見つけるのはきっと骨が折れる」
「そこまで分かってるなら、もうドタキャンするなんて言い出さないでくれよ」
なんとか事が収まったのを見計らって、相良さんが二人が座るソファーの前のローテーブルにお茶を置いた。
「夕哉くんもこっちにおいで〜。やっと全員揃ったんだ。少し話そっか」
「あ、はい」
ラグの上に座る相良さんの隣に腰を下ろせば、ソファーに座る二人と対面することになった。白銀は俺には興味無さそうにそっぽを向いている。
やはり俺は、彼に何かしてしまったのだろうか。
二対二で挟む事になったローテーブルの上では相良さんが淹れた日本茶が四人分、湯気を立てている。向き合ったまま誰も喋ろうとしないこの状況に業を煮やしたのか、凌さんが隣の白銀に声をかけた。
「お前、夕哉に会うのは初めてだろ」
突然名前を出されて顔を上げる。白銀は無反応だったけど、この場で面識がないのは俺とこの白銀だけなのだから、まずはそこからだろうというのは道理だった。
それならば、新参者からいくのが更なる道理だろう。
俺は居住まいを正して両手を太ももに添えると、三人に向かって礼をした。
「改めまして、藍沢キヨから管理人を引き継ぎました、孫の藍沢夕哉です。この春から大学生になりますが、これまでは山梨の田舎で貸別荘を営む両親と暮らしていて、あまり県外に出た事がありません。世間知らずで皆さんにご迷惑をおかけする事もあるかもしれませんが、ばあちゃんから託されたこの家の管理を俺なりに精一杯していきたいと思っています。よろしくお願いします!」
一息で言い切って頭を下げる。頭の中で何度もシミュレーションしていた新管理人の挨拶の言葉をやっと言えたことに、俺は内心小さな達成感を覚えた。
家族以外の人との交流は、俺にとって特別な意味がある。この家で一つ屋根の下、どんなに些細な事も大切にしていきたかった。
すると頭上から、ぷっと吹き出した声が聞こえて俺は顔を上げた。見ると笑っていたのはまさかの白銀で、目が合ったのも束の間、またバツが悪そうに逸らされてしまった。その隣では凌さんが目を瞬いたかと思うと、苦笑した。
「そんな大仰な挨拶されるとは思ってなかったよ。藍沢のばあさんも変な所で律儀だったけど、お前は輪をかけて真面目だな。もっと肩の力を抜いた方が良いんじゃないか」
「そ……そうでしょうか」
大袈裟過ぎたかもしれないとへこむ俺の背中を、相良さんが励ますように叩いた。
「礼儀正しくていいじゃんね。凌みたいな捻くれ者には、夕哉くんの真っ直ぐさがむず痒く感じるだけなんだから、気にしないで」
「……海貴、お前はそうやって良いところばっか持って行くよな」
「そんな事ないって〜。でも、新しい管理人に未だに適当な事しか言わない凌よりは、言葉の信頼性はあるかな?」
笑顔でグサグサ刺していく相良さんに俺の方がなぜか慌てそうだ。言葉に詰まった凌さんは、首裏を掻くと、「まあ、減るもんじゃないしな」と呟いてから俺に向き直る。
「お前があまりにも素直だから、からかいたくなったんだ。悪かった。今朝も言ったけど、俺がホストっていうのは冗談だ。本当の職業は美容師」
「美容師さん?」
「何だよその顔は。嘘は吐いてないぞ」
「あはは! 前科があると信じてもらうのも一苦労だね」
「うるさいぞ、海貴」
「はいはい」
文句なんてどこ吹く風で、相良さんは涼しい顔でお茶を飲んでいる。凌さんはバツが悪そうに咳払いをすると、長い足の片方を折って胸元に引き寄せた。部屋着に着替えても一つ一つの動作が絵になる人だ。
美容師ということは、染まった指先は、カラー材が原因か。どこか漂っている清潔感は、職業柄のものなのだと、ようやく合点がいったのだった。
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